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宴はまろやか・始めに


宴はまろやか



 いつもより空が高い日だった。
 トリステイン魔法学院の生徒たち、とりわけ今年度から二年生となる生徒たちは朗らかだ。入学したての一年生だったころから、上級生の連れ歩く多種多様な使い魔への憧れを抱いて一年間過ごしてきた。大多数の生徒たちにとって、その日の朝食がとても美味だったことは想像に難くない。
 誰も彼もが頬を赤く染めて、大仰な身振り手振りで自分が召喚することになるだろう使い魔の姿を語っていた。皆一様に能天気な顔をしている。
 喧しく大広場に集まる生徒たちを窺って、オスマンは息を吐いた。彼ら彼女らの祖父や祖母、曽祖父や曾祖母がここで学んでいた頃が否応なく思い出される。己が家名に恥じぬ使い魔を召喚せねばと強く意気込む者、もしもこの一生ものの魔法に失敗してしまったらと必死に復習する者。昔はそんな生徒が多かった。オスマンはそんな若者たちを、こっそりと学院長室から見守るのが好きだった。
 今どきそんな風に、気張る者など居ない。魔法を使える貴族は、平民とは違って楽をするのだ。オスマンもそうは思うが、楽をするための魔法に怠慢を持ち込むのは違うと考える。それから余談だが、今どき、という言葉を彼はあまり好いてはいなかった。
 自分の若い頃は、誰も彼もが魔法の研鑽に必死だったというのに。オスマンは自分が抱えた学院の現状を恥ずかしく思った。最近生まれたばかりのこの国の王女様や、その少し前に生まれたばかりの王妃様なんぞには、この体たらくを見られても一向に構いやしない。だがもしも、彼なりに信奉する魔法そのものや、その体現である伝説のブリミルを前にしたら、恥ずかしくて縮こまってしまうかもしれない。
 今のトリステイン魔法学院は、魔法学院として、あまり好ましくはない。
 オスマンはまた息を、今度は露骨な溜息を吐くと、広場の隅で必死に口を動かして、何度も呪文の復習をする少女に目を動かした。
 桃色の髪が快晴に良く映える少女だった。トリステインの大家、ヴァリエール公爵家の三女で、ルイズ・フランソワーズという。オスマンはその少女のことを非常によく知っていて、彼女は学院始まって以来の落ちこぼれだ。
 他の生徒たちの気楽さの一部は、彼女に因るのかもしれない。
 王家に最も近いと言われるヴァリエール公爵の三女で、自分たちとは比べ物にならない程に魔法の才がない女。ルイズはまさにそれだった。机を共にする誰もが、魔法への慢心を抱いてしまっても無理はないのだろうか。
 願わくば、結ぶことなくとも、決して今日の日まで研鑽を欠かす事のなかったひたむきな彼女に素晴らしい使い魔を。
 オスマンは軽く杖を振ると、遠見の鏡を閉じた。広場を映していた鏡面が彼の顔を映すのを確認し杖を置く。
 そして、広い椅子に深く腰掛け、ゆっくりと背もたれに寄りかかった。彼の皺くちゃの瞼の裏には、使い魔のねずみが見ている沢山の生徒たちと、今年の召喚の儀を監督する教師の姿が映っていた。



「あんたってば本当に、見栄っ張りでどうしようもない娘」
 使い魔召喚の儀当日の朝だった。ルイズは顔を洗うよりも先に鏡と向き合って呟いた。
 彼女の毎日は、平坦な毎日だ。魔法学院には沢山の行事があったし、そこに集まった沢山の貴族の子女たちは皆個性豊かだった。ただ、一年前からルイズの魔法は変わらない。
 感激屋の多い彼らの中に取り残されて、ルイズの感性はとてもフラットに纏まっていた。尖ってみせることもあったし、隠れて枕を濡らすこともあった。だが、どれも些事だ。
 憤慨と、嘆きを彼女の魔法が代言する。ルイズは唇を噛む。今日の日の意気込みは、諦念から体をベッドの預けてしまわないための知恵だった。召喚の儀を越えれば何かが変わるのか。魔法が成功しなければ何も変わるまい。
「今日もきっと失敗する。明日は昨日より惨めな私が居る。明後日の辛さは明日と変わらないかもしれないけれど。
 でも、ちょっと、やだなぁ」
 二年生になっても、良いことはきっと来ないだろう。三年生になったらもっと辛くなるかもしれない。卒業したらどうだろうか。やはり辛いのだろうか。魔法が使えなければ、いつまでたっても変わらないのだろうか。
 ルイズの心は諦めを知っている。それが一瞬の油断で、自分の広いとはいえない心の殆どを占めてしまうことも。きっと、それは仕方のないことなんだろう。
 生まれてから僅か十七年だが、一生この気持ちと付き合って生きていくことを覚悟している。才能っていうのは、そういうものだ。死ぬまで自分と歩いていくもの。
 取り留めなく浮いては消える雑念とは別に、ルイズの手はいつの間にか身嗜みを整えていた。そろそろ部屋を出ないと、朝食に間に合うまい。
 ノブに手をかける。召喚の儀に意気込むルイズ、を顔に貼り付けて彼女は思った。もう、一生分の諦めと覚悟は用意してしまったけれど。
 もしかしたら、もしかしたら今日は良いことがあったり、すると、良いのにな。

「あら、おはようルイズ。相変わらずぶさいくな顔。昨日あれだけ大口叩いてくれたんだから、今日はさぞかし大層な使い魔を召喚するんでしょうね?」
「うっさいわね! 見てなさい、あんたなんかとは比べ物にならないくらいすっごいの召喚してやるんだから!」



 召喚の魔法は、何度も失敗した。繰り返される爆発と、吹き荒れる煙に生徒の誰もがルイズから距離を取っていた。監督のコルベール先生は何か召喚するまで止める気はないようで、腕が上がらなくなるのを億劫に思いつつ、彼女は何度も杖を振る。
 そして最後に、緑色の肌をした貧相な亜人を召喚した。
 風貌は教科書に載っているオーク鬼やトロール鬼に通じるものがあったが、酷く小さい。召喚の魔法は作動したものの、成功とはいえないだろう。自分の魔法の限界に項垂れるルイズをそのままに、彼はきょろきょろと挙動不審に周りを窺っている。契約するなら今しかなかった。召喚魔法がどんなものであれ、鬼の類は本来人間と相容れない。
「我が名はルイズ・フランソワーズ……」
 早口でコントラクト・サーヴァントを唱えてキスをする。蔓延していた煙が晴れ、ルイズが召喚した使い魔を指差して周囲の生徒たちが笑ったが、ルイズは顔が綻ぶのを感じていた。
 ルイズのキスに、きゃあきゃあと嬉しそうにその鬼が跳ねて回ったのだ。この学院に来てから、一度も女性として褒められたことはなかった。こんなちっぽけな事で舞い上がってしまうのは、なんだか本当に小娘のようで癪だったが。
 それからもう一つ、嬉しいことがあった。
「よ、よよよよよよ、よよろおしくお願いします大将!」
 ルイズが召喚した彼女に好意的なこの鬼は、人語を解する程度の知恵があった。とても足りているとは言えなかったが、辞書に載っていない彼の種族がゴブリンということが解っただけでも収穫だ。
 人語が通じることに気を良くしたルイズは先ず、彼に名前を尋ねた。
 ところが彼が言うには、ゴブリンで一番偉い人は王。一緒に何かやるゴブリンの中で少し偉い人は大将。自分と一番目によく話をするゴブリンはおまえ。二番目に話をするゴブリンはあいつ。自分は、大将からも仲間の誰からもおまえと呼ばれていた、と胸を張って言った。
 ルイズは自室に戻る道を歩くなか、実に三十歩分の時間をこめかみをほぐすことに使った。そして、彼をラッキーと呼ぶことに決めた。

「あんたって本当にばかね!」
「へい、すみません」
「でも嫌いじゃないわ!」
「へい、ありがとうございやす」



宴はまろやか・第一話
ラッキーと二つの特務


 目が覚めれば、普段より良い朝だった。
 昨日までよりも僅かばかり深いまどろみの中、ルイズは部屋の隅の、藁の詰まれた一角に目をやる。それから緩慢な動作で起き上がり、小ぶりな唇を半分だけ開いたまま動きを止めた。
 暫くして、藁ががさがさと揺れる。そして、ひょっこりと緑色の頭を覗かせた自分の使い魔に向かって、彼女はおはようと言った。

「おはようラッキー。見て、良い朝よ」
「へい大将、良い朝ですね。カーテンは閉まってますけど」
「気の利かない使い魔ねぇ。閉まってるなら開ければ良いじゃない」
「そいつは気がつかなかった!」
 ルイズはベッドの上で心行くまで伸びをして、景気良く寝間着を脱ぎ始めた。一着ずつぞんざいにラッキーに向かって投げつけて、全裸になる。
「それ、洗っといて」
「へい!」
 一度全裸のまま、上質で肌触りの良いシーツの上に寝転がる。また、心行くまで伸びをした。
「それから、下着と制服ぅ」
「へい!」
 ラッキーは、未だにベッドの上から動こうとしないルイズに下着を渡すと、そこで動きを止めた。
「ちょっとラッキー、制服は?」
「へい! 制服ってのがなんだかわかりやせん。おいらに解るのは、それが服だってことだけです!」
「仕方ないわね。ちゃんと覚えなさいよ」
 ルイズはそう言ってから、寝ぼけた顔で立ち上がると、制服を取り出してラッキーに見せる。そして大胆にも下着姿のまま、ラッキーの前を横切って再びベッドに倒れこんだ。春は二度寝の季節だ。
「そーいえばあんた、なんで下着は解るの?」
「住んでた家の隣のやつが集めてやした。たまに皆を集めて見せびらかしてやした」
「そいつ絶対独身で歳いってるわね」
「まさしくその通り! なんで解ったんですかい?」
「秘密よ」


/ ラッキーと二つの特務


「それ、ちゃんと洗濯しておいてね!」
 そう言って慌しく部屋を出たルイズだったが、なにせ初めての使い魔で初仕事だ。ラッキーはばかだが良く懐いた可愛いやつだし、使い魔の指導も主人の務めだ。
 そんな風に言い訳して、ルイズは下の水汲み場に向かった。塔の中ばかりで過ごしていると、どうしようもなく外の空気が清清しい。記憶の中の校内地図を頼りに探してみれば、丁度ラッキーが、満足げに洗い終わった寝間着を広げて頷いているところだった。
「やればできるんじゃない。心配で見に来たけど意味なかったわね」
「心配ご無用ですぜ。なんせおいら、洗い物は生まれる前から得意でした」
「訳わかんない」
「へい! つまりおいらがカァちゃんの腹ん中にいた頃は、カァちゃんの得意が洗い物でして」
 ルイズはラッキーの手の中を覗き込んで、洗濯の出来を確認する。洗濯の出来など彼女には解らなかったが、特に汚れが見当たらないのを認めて何度か頷いた。
「あ、あれ? 大将、ここは大口開けて笑うところ……」
「うっさいわよばかラッキー。パジャマは悪くないわ。下着は?」
「へいすいやせん! 下着ですか? あれ?」
 突然ラッキーが慌てだしたのを見て、ルイズはラッキーの足元に置いてあった籠を覗き込んだ。
「ないわね」
「ねぇですね」
 ルイズはまた、ラッキーの手の中を覗き込んだ。
「あんた持ってないわよね」
「持ってねぇですね」
 ルイズは青い空を仰いだ。
「ぬ、ぬぬぬ盗まれたのかしら。あんた籠から一回でも離れた?」
「道具を借りに一回離れやした」
 ラッキーは洗濯板と桶を指差した。ゴブリンは足りない物があったら人から借りる、解らない事があったら人に聞く賢い種族だ。ただしゴブリンは、他人に何も貸せないくらい物持ちが悪く、他人に何も教えられないくらい頭が悪い。
 通りがかったメイドにこの場所を聞いて、更に道具まで調達してもらったそうだ。
「そのメイドには後でお礼を言いに行きましょう。
 ラッキー、籠持ってついてきなさい。怪しいやつは私の魔法でふき飛ばしてやるわ!」



 慌しく一人と一匹が走り回る。手がかりは全くなかった。だがルイズは、証拠がないなら証人を探せば良いと考えていた。証拠を見つけて犯人を推測するよりも、短絡的だが効果的な手段だ。
 忙しく動き続けているせいでルイズの息は上がっていたが、土を小さな靴が踏みしめる柔らかい音や、煉瓦畳を踏みつける硬い音が、使い魔と一緒に騒いで走り回るこの遊びのアクセントだった。
「許っせないわ、どこの不届き者かしら。昨日は召喚の儀だったから、一番お気に入りのやつを着てたのに」
「そいつは災難で」
「もう、いちいち相槌うたないの。ほら、しゃきしゃき歩くっ」
 レースの意匠が特に映える黒い下着だった。盗んだ奴がどんな奴だか知らないが、今頃はきっと酷い扱いを受けているに違いなかった。早く助け出さなくては。
「角を曲がったらテラスよ。そこの生徒にも聞いてみましょう、って、あら」
「あいたっ!」
「いたぁ……ちょっとモンモランシー、やめてよね。私はちゃんと止まったのに」
 丁度校舎の角に差し掛かり、曲がるか曲がらないかといったところでルイズは、逆方向から歩いてくる女生徒、モンモランシーに気づいて足を止めた。
 ところが彼女の方は、何かに気をとられているのか上の空で、一切の減速もなしにルイズに思い切りぶつかってしまった。
「ご、ごめんなさい。ルイズ、考え事をしてて」
「構わないわよ。その代わりにってことで良いかしら? 1つ聞きたいことがあるの」
「やい金髪! 大将にぶつかっといてごめんなさいで済ますつもりかい!」
 ごすん、と壮大な音を立ててルイズの拳がラッキーの脳天に突き刺さるのを、唖然と見つめてから、ルイズの再度の呼びかけに我に返ったモンモランシーは曖昧にはにかんだ。
「あなたが人に何か尋ねるのって、ちょっと新鮮」
「もぅ、悪かったわね。それでね、実は……」
 爪先立ちになって、若干背の高いモンモランシーの耳元に唇をよせる。そしてルイズは事の概略を話した。始めは耳の産毛をくすぐる吐息に顔を赤らめていたモンモランシーだったが、唐突に目を見開き、驚きの声を上げた。
「ちょ、ちょっと、どうしたの突然?」
「ええと、ええ、実はね」
 今度はモンモランシーが屈んでルイズの耳元に唇をよせる。始めは頬の近くで囁く他人の唇に胸を普段よりも早く鳴らしていたルイズだったが、やはり目を見開き、驚きの声を上げた。
「あ、あなたのも無いの……?」
「ええ、ルイズ。お、お願いだから秘密にしてよ? 今、必死に心当たりを思い出して一つずつ調べてるところなんだから……。
 もしかしたら何か関係があるのかもしれないし、少しでも解ったことがあったら教えて頂戴」
「ええ、わかったわ」

 気づけば、ティータイムはとっくの昔に過ぎてしまっていた。モンモランシーと別れてから、一応と覗いてみたテラスは閑散としている。心なしか空も暗くなりつつあった。そろそろ空が赤らむ頃だろうか、と思って目を凝らしてみたが、そうでもない。
 ルイズは、雨でも降りそうな天気、と言い残してテラスを後にした。



 シエスタというメイドに洗濯道具を返し、ついでにまだ干していなかった籠の中身を丸ごと預けてから、ルイズとラッキーは一度部屋に戻ることにした。
 斜め後ろを必死についてくる使い魔を偶に気遣いつつ、早足で歩く。部屋の少し前で、出す足の順番を間違えて盛大に転んだラッキーの手を引いて起こしてから、気を取り直して前を向くとそこには赤毛で背の高い女子生徒が居た。
「あらルイズ」
「キュルケじゃない」
「ええそうねキュルケね。じゃあこれで」
「あんたちょっと待ちなさいよ」
 挨拶もそこそこに立ち去ろうとするキュルケを、ルイズは制服のマントを握って阻んだ。普段なら先に顔をしかめて立ち去るのはルイズの方だったが、自分の顔を見て逃げようとしたキュルケの邪魔をしたくなったのだ。
「何を急いでるの?」
「や、やぁねルイズ。急いでないわよ」
「嘘よ」
「嘘でい!」
「嘘じゃないわ! ちょっと下着取り返しに行……あっ」
 慌てて口を塞いだキュルケだったが、思わず手の力が緩んだルイズを好機と見てか、早足で立ち行こうとする。ところが、ルイズに今度は飛びついて腕を抱え込まれた。
「キュルケ、教えて」
「なっ何よ?」
「誰が盗んだの?」
 狼狽していたキュルケだったが、真剣な顔で言われて思わず眉を寄せた。
「ちょっと何なの?」
「実はね、私の下着も盗まれたの。だから連れて行って欲しいのよ」
「はぁ?」
 ルイズはやっと掴んだ手がかりに驚喜していた。足の疲れは限界をきたしていたが、目の前に現れた不敬な犯人までの道に比べれば些細なことだ。心配なのは、手がかりを持っているのが自分と仲の悪いツェルプストー家の娘だということだろうか。
 自分の顔を訝しげに見やるキュルケに、精一杯神妙な顔を作って頼み込む。ところが何を思ったのか、キュルケは突然大口を開けて笑い出した。
「ちょ、ちょっとルイズ、あなた、あなたの下着ぃ? 誰が盗むって言うの」
「うるさいわね。私の下着にだって色気くらいあるわよ!」
 キュルケははっとしたようにルイズの瞳を覗き込んで、それから申し訳なさそうに言った。
「そ、そうね。ごめんなさい。あなたがどれだけちんちくりんでも、世の中には好きって言ってくれる人もいるわよね」
「うっさいわね!」
「そうだ! もっと大将のこと褒めやがれ!」
「ラッキー、あんた本気で黙りなさいよ?」
「へい! わかりやした」
 ふう、とキュルケが息を吐く。ルイズも使い魔の頭を叩くのをやめて、神妙な顔でキュルケと向き合った。
「そうね。あなたの下着を盗んだ人の名前、教えてくれるなら、着いてきても良いけど」
「はぁあ? ばか言ってんじゃないわよ。だからそれを……」
「やーねルイズったら、じゃあ良いわよあなたが後でも。今から行くから勝手について来てね」
 ちょっとした混乱を胸に押し込みつつ、不満げな表情を浮かべてルイズはキュルケの後を追った。どうやら、男子塔に犯人が居るらしい。


 盛大な音を立ててキュルケが一つの部屋のドアを蹴り開ける。中に居た、ギムリと呼ばれる一人の男子生徒に向かって盛大な火球を飛ばす。ごめんなさい、ごめんなさいと繰り返すその男子生徒を見て暗い喜びに浸っていたルイズだったが、嫁入り前の公爵家の三女には相応しくないその笑みは、次第に凡々とした顔に変わっていった。
「だから、あんたが昨日私の部屋から持ってった下着を出しなさいって言ってるの!」
「いやだよキュルケ! 君は昨日僕に向かって、あなたとはこれっきりねって言ったじゃないか。せめて想い出くらい良いじゃないか!」
「想い出にパンツ持って行く変態がどこに居るのよ!」
「ここに居ます!」
「ファイヤーボール!」
 隣の部屋から俺も!とか、向かいの部屋から僕も!とか声が聞こえることに頭を痛めながら、ルイズはこのギムリという同級生の部屋を見回した。
 いたって質素な男子生徒の部屋で、とても下着の蒐集癖があるようには見受けられない。それに彼がキュルケの下着を盗んだのは、誰でも良いから下着が欲しかったのではなく、昨日恋破れたキュルケとの想い出を何か持って行きたかったのだろう。そこで下着を選ぶというのは、ルイズには理解できなかったが。
「あなたの下着を盗んだ人の名前、かぁ」
 つまりそれは、ルイズの恋人の名前という意味だったのだ。仲が悪いことを理由に情報を出し渋ったことを今更ながら後悔しつつ、ルイズはこっそりとラッキーの手を引いて立ち去った。
 それから部屋のドアを閉じても聞こえる、ゴブリンも食べない痴話喧嘩にうんざりした。



「ほんっと、肉体的にも精神的にも疲れる無駄足だったわ。汗かいちゃった」
 部屋に戻ったルイズは、下着の棚を開いてから、なんとなく数が合わないなぁと感じながらも一着分だけ取って大浴場に向かった。ラッキーには部屋の留守番を言いつけてある。言いつけてあるが、きちんと鍵はかけてきた。
 ただ立っているだけの仕事はゴブリンの十八番らしいが、不届き者を彼が撃退できるとは思えなかったので、部屋の戸締りは今までと変わりない。
 少し早い時間だった。誰も居ない脱衣所で、ルイズは着替えを脇に置き、マントをハンガーに預ける。
 それから制服のボタンに手をかけたとき、脱衣所のドアが開く音と共にモンモランシーがやってきた。
「あら、モンモランシーじゃない」
「え、ええ!? る、ルイズ。奇遇ね!」
「奇遇ねってあなた何よ。確かにちょっとずれた入浴時間だけど……」
 そしてルイズは、モンモランシーに向かって事の進展を尋ねる。キュルケの事は全くの無駄足になってしまったが、目の前の彼女の方は何か手がかりを得られただろうか。
 ところがモンモランシーは、恥ずかしげに指を前で組んで暫く遊ばせた後に、ぽつりと言った。
「じ、実はその、うっかりよ? 普段は、普段は絶対にしないミスなんだけど。
 無くなったと思ってたら、本当はタンスに挟まってて」
「はぁ!?」
「本当にごめんなさいルイズ。あ、あなたも一度部屋の中を探してみると良いかも」
 恨みがましい目でモンモランシーを見つめ続けていたルイズだったが、やがて瞼を閉じて大きな溜息を吐くと、ボタンをはずし始めた。
「私のは洗濯してる最中に無くなったのよ。黒い下着は一枚しか持ってないのに……」
「え?」
 脱衣所には二人しか居なかったので、モンモランシーの声は事のほか良く響いた。
「なによ、間抜けな声出して」
「え、だって、ルイズ、黒い下着は一着しか持ってないの?」
「ええそうよ?」
 何を聞くのか、と聞き返すルイズに対して、モンモランシーは声を震わせて言った。
「だってあなた、黒の下着ってそれ、自分で着てるじゃないの」
「は? 冗談も休み休み……ぇえええええええ!!?」
 それからルイズは、素晴らしい速度で制服のボタンを留め直すと、勢い良く脱衣所を飛び出して行った。
「あんのばかラッキィーッ!!」
 モンモランシー一人だけの静かな脱衣所に、何よ、ルイズだって私より酷いポカしてるじゃないの、という声が響いた。



 事の顛末はこうだ。
 誰も彼もが寝ぼけ眼の早朝に、「これを洗っておけ」というルイズの命令が最初に下された。歳若い乙女の寝間着から下着までが、ぽんぽんと景気良くラッキーの足元に積まれていった。
 次にルイズは、つまりラッキーがそれらを洗濯し終わるよりも早く、「下着と制服を持って来い」という命令を下した。ラッキーは制服がどれだか解らなかったので、下着だけをルイズのところに持っていった。
 そのときラッキーの足元には、ルイズが投げてよこした服の山があった。そして山の一番上で、脱ぎたての下着が強く存在を主張していたので、ラッキーは自分の一番近くにあったその下着をルイズのところに持っていった。
 二度寝寸前のルイズが上手く働かない頭でそれを着て、制服を持ってこなかった使い魔の不明に苦笑しながら自分で制服を着用し、そして春の陽気に誘われて二度寝する。
 これで完全犯罪の完成である。



 使い魔が失敗したときには、罰が必要なのだ。

「ああもう、あんたの夕飯抜きだからね!」
「へい! すいやせん」
「よろしい。じゃあ今日はもう寝るから。おやすみ」
「へ? 大将の夕めしは?」
「うっさいわね、もう食堂が閉まってるから、ダイエットなの!」
「へい! ダイエットですか!」
「そうよダイエットよ」
「へい! ダイエットですね!」
「勘違いしないでよね、あんたに付き合ってとか、そういうのじゃないんだから」
「へい! 勘違いしやせん!」
 にこにことした、何も考えていない顔のラッキーが藁にもぐりこむのを見守ってから、ルイズは部屋の明かりを消した。



宴はまろやか・第二話
ゴブリンの焼きトウモロコシ


 目や耳が気まぐれに捉えるものを選ぶ、自分の五感が信じられない世界、そんな例え話をされたら、多くの人はどんな世界を連想するだろうか。
 並び立つ木の枝々が揺れ、葉を散らしているのを見なければ、風が吹いていることに気づけないときがある。耳元で吹いている風が音を立てるかどうかは、世界の気まぐれだ。常日頃から日の強さに気を配っていなければ、空を見上げても今日が暑い日か寒い日かも解らない世界。誰かが自分に向かって今日は暑いねと言ってくれれば、今日が暑い日だと解るのだろうか。
 遠くで誰かが呼んでいても、肩を叩かれるまで気づけないのかもしれない。あるいは突然そちらに目を向けねばならない、というような焦燥感に駆られて目を向けてみれば、丁度自分を呼ぶために誰かが口を開けるところだったりする。
 夢の世界というのは、そういうものだ。

 ルイズは夢の中で、長姉に杖の振り方を教わっていた。
「何回やっても駄目ねぇ」
「も、もう一回! エレオノールねえさま、おねがいします。やらせてください!」
「良いわよ。はい、もう一回」
 十にも満たない年頃のルイズが、誕生日に父親から与えられた子供用の杖を必死に振っている。すぐ傍には、それを監督するエレオノールの姿がある。
 水を張った桶の上に木の板が浮かべられ、その上に一粒の石ころが置かれていた。ルイズが何度も魔法を失敗し、そしてその度に火と煙を出すので、エレオノールが従者に言って用意させたものだ。
「はい、もう一回」
 再びエレオノールが石ころを、板についた焦げ目を目安にでもするように浮かべた。同じ板の上で既に三度失敗しているので、そろそろ取り替える必要があるだろう。
 ルイズが呪文を唱え終わり、そして杖を振ると同時に、エレオノールの視線を受けていた板が真ん中からぽきりと割れた。
 目元に涙を浮かべたルイズが控えていた従者を見る。彼はすぐさま新しい板を桶に浮かべようとしたが、エレオノールが手を振って遮った。
「ルイズ、今日はもうやめにしましょう」
「でも、エレオノールねえさま」
「我慢しなさい。魔力にだって限りがあるのよ」
「で、でも!」
 末の妹は格段に幼いのだから、エレオノール自身の魔力量、体力、精神力で考えてやらせるわけにもいかない。不満そうな顔をするルイズは、まだ自分に余力があることが解っているのだろう。だが、エレオノールにはそのぎりぎりのところが解らないのだから、少し早めに止めさせるべきだ。
「そう焦らないで。続きは明日、良いわね?」
 少しだけ、優しげな声色で語りかける。それから、ぷうと頬を風船にしたルイズの頭を優しく撫でた。
 頬を元の大きさに戻したルイズが言った。
「エレオノールねえさま」
「何? ルイズ」
「わたし、早くつかいまが欲しいです」
 唐突にこの子は何を言いだすのか。エレオノールは口にはせずに、土に膝がつくのも構わずに屈みこむ。そして目線をちびのルイズに合わせた。
「使い魔の召喚は、十六になったらになさい」
「はい。でも、欲しいんです」
「どうして?」
 ルイズはエレオノールから目をそらして、それから少しだけ顔を紅色に染めた。
「わたしが召喚するつかいまは、ちいねえさまのご病気が治るような、もの凄い秘薬を取りに行ってくれるんです」
 その言葉に、エレオノールはこの草場を見下せる位置にある、次女カトレアの部屋の窓を見上げた。今日の陽射しが体に害を与えぬように、昼間だというのにカーテンすら締め切っってあった。
 エレオノールはそっと目を伏せる。
「そう、そんな使い魔が召喚できると、良いわね」
「はい! そうしたらわたし、つかいまの頭をなでてあげます。よいこ、よいこって」
 そしてルイズは真っ赤になって言った。
「いま、エレオノールねえさまがわたしにしてくれたみたいに」


/ ゴブリンの焼きトウモロコシ


 その日の朝、部屋を出たルイズの前に真っ先に現れたのは、大柄な火トカゲを引き連れたキュルケだった。彼女は素敵な挨拶と共にやってきた。
「おはようルイズ、貧相な使い魔ね!」
 出会い頭にこれでは誰だって怒るだろう。とりわけ堪忍袋と胸囲のサイズが比例するルイズが相手なら酷いことになる。最もキュルケには、どこかそれを楽しみにしている節があるのだが。
「うるさい! 貧相って何よ!」
「そうだそうだ! おいらを馬鹿にしたら大将が黙っちゃいねえぞ!
 大将、ですよね?」
「ラッキー」
「へい!」
「あんたが黙ったら考えてあげるわ」
「へい! わかりやした」
 そのまま口を縫い合わせ、しゃちほこばってルイズの隣に直立したラッキーを尻目に、キュルケは言う。
「見なさいルイズ、あなたこんなに尻尾の炎が大きい火トカゲは見たことある?」
「たった今、あんたのお陰で心行くまで拝ませて貰ってるわ」
「そうでしょ、そうでしょう! あなたのその、ラッキーって言ったかしら。彼よりもずっと頼もしいわね。こんなに逞しくて」
 ぶさいくな顔をしてルイズがラッキーを見た。
「あんたあの火トカゲに勝てる?」
 ラッキーは黙ったままだ。
「喋っても良いわよ」
「へい! そいつの足を捕まえるおいらが四匹、それから尻尾を捕まえるおいらが二匹、あと首と牙を捕まえるおいらが二匹と、あとそいつの顔をなぐるおいらが一匹。それなら勝てます」
「つまり勝てないのね」
「へい!」
「良く口の回る使い魔ちゃんねぇ。ルイズ、それって凄い取り柄よ。私思うんだけど、あなたにぴったりね」
 流石に我慢ならなかったのだろう。ルイズはキュルケに人差し指を突きつけると、朝食前の時間であるにも関わらず勢いに任せて高々と言った。
「使い魔の仕事は主人の護衛だけじゃない。秘薬の材料集めなら、ラッキーの方が優秀だわ!」
「勝負する?」
「いいわよ。ラッキー、聞いたわね?」
「へい! このトカゲと勝負ですね。大将があと十三匹だけゴブリンを召喚してくれれば……」
「増えてるじゃないの!」
 またぎゃあぎゃあと騒ぎ始めた主従に向かってキュルケは、期限は今日の夕飯後ね、と言ってその場を後にした。
「ら、ラッキー、あんた絶対にツェルプストーの使い魔よりも凄いやつを見つけてくるのよ! わかった?」
「へい! わかりやした」
 ちなみに、ラッキーにはもちろん、この世界の貴族が作る秘薬やその材料に関する知識などないのだが、ルイズがそれに気づくことはなかった。



 主人の下を離れたラッキーは、秘薬の材料とやらを探すために学院の庭まで出てきていた。思えば随分無茶な命令だったが、特に当てがあるわけでもない。
 トリステイン魔法学院の空は今日も燦々としていた。
 太陽が気持ち良いあたりまで昇っている。正午までは幾分か時間があった。食堂では奉公人たちが、コック長マルトーの号令と共に昼食の準備に取り掛かるころだ。ラッキーは、昨日の夕食をルイズと共に抜いたのを思い出す。意識したせいか、腹の虫が盛大に鳴り始める。
「そうだそうだ。大将に喚ばれてから、碌なもん食ってなかったような」
 ラッキーは思い出したようにそう呟くと、手近な石を手に取った。彼の故郷、活火山の聳え立つ土地シヴでは見ない色の石だった。
 おもむろに空中に放り投げ、口を大きく開いて受け取る。そのまま歯と石で異音を立てつつ嚥下した。
「うまいなこれ! ここの岩は味が良い。ちょっとぬるいのがいただけないけど」
 ゴブリンの味覚は宇宙なので、ラッキーに味の良し悪しなど解らない。そもそも何を齧っているのかと言えば、そのあたりに落ちている石である。上手いも不味いもなかろう。
「食い物だけにいただけない、なんちて」
 ぬるい食べ物は火で温めるのが一番だ、とラッキーは呟いて来た道を戻り始めた。ちなみにゴブリンはかなりの雑食だが、彼の健康を気遣うなら人間と同じものを食べさせるのが望ましい。



 拳大の岩をいくつも抱えたラッキーが、昼食の調理の最中にある厨房にひょっこり顔を出した。
「失礼しやす! 火ぃ借りに来やした」
「あん? 貴族どもの使い魔かい。帰りな、今の厨房はお前たちの主人に出す料理で忙しいぞ」
 ラッキーの相手をしたのはマルトー親方だった。ラッキーは厨房の入り口でしゃちほこばって挨拶をしたのだが、彼ににべも無く断られる。
「そいつをなんとか」
「駄目、駄目だ。悪いが他を当たってくれ」
 この親父がいる限り無理だろう。ラッキーは神妙な顔で引き下がると、マルトー親方の注意が自分から逸れるのを待った。元来厨房の責任者なのだ。すぐに仕事に戻る。
 ラッキーはその小さな体躯を生かして、こそこそと調理器具の影を歩いて中に入り込んだ。そして、ひょこりと顔を出して、火にかかっている鍋の一つに、地面の上に移動してもらう。ラッキーは満足げに少しの間だけ火を見つめてから、直に石をくべ始めた。
「バツをブンと振れ! マルつまめ!」
 赤銅色をちろちろと見せ始めた石に気を良くしたのか、ラッキーが歌いながら薪をくべだす。もちろん歌えば見つかる。
「あってめえこら! 何してやがる!」
「何してやがるとは何事でい! 見てわかんねえのかい」
「スープの鍋どかして何やってんだって聞いてるんだよ!」
 顔を真っ赤にしたマルトー親方と、ゴブリン主観で上手そうに焼けた石を前にしたラッキーが睨み合う。マルトー親方の部下である料理人たちはどうすれば良いのかと一人と一匹を見守っていたが、気の短い一人が、火から離されて長いであろう土の上の鍋を掴んで他所の場所の火にかけようとした。
「待て! この石が邪魔なだけだからな。すぐにどかす!」
 マルトー親方が火かき棒で石を弾き飛ばす。石畳に転がった焼け石は幸い何かに火をつけることもなかったが、ラッキーがそれを見てかんかんに怒った。
「やいやい! てめぇやってくれやがったな畜生!」
 ラッキーだってご飯が食べたい。
「めしの神様と王と大将に謝れ!」
 逆上してラッキーがマルトー親方に襲い掛かる。
 しつこいようだが、マルトー親方は石を床に置いただけだ。
「な、なんだと!? 料理人に向かってめしの神様に謝れってのは何だ!」
「うるせいやい。いい按配に焼けてきたところだったのに……。神の怒りだ!」
 勿論ただのゴブリンパンチだった。
 突然殴られたマルトー親方は半歩だけたたらを踏んだが、すぐに持ち直す。なんてことない、ただのひ弱な、しかも体長は彼の半分ちょっとしかない貧相な亜人の拳だった。特にダメージらしいダメージはない。
 だが、マルトー親方にラッキーの拳が当たるのと同時に、その亜人の背に現れた光る鏡が、酷く彼の不安を煽った。直径一メイルほどで、楕円の形をしている。
 マルトー親方の不安を形にするように、ラッキーが勢い良く叫んだ。
「さぁ来い! "モンスのゴブリン略奪隊"!」
 ゴブリンの中には、稀にだが特殊な能力を持った者が居る。ラッキーもその一人だ。自分の攻撃が相手に突き刺さったとき、仲間を喚び出すことができるのだ。サモン・サーヴァントに似ているが、それとは異なる。
 最大の違いは、召喚者への絶対服従を強いるコントラクト・サーヴァントとセットの能力ではないということだろう。

 現れたのは、やはり緑色の肌をしたゴブリン、それも一度に五匹の大所帯だった。
「よお、略奪隊の連中ども! 戦争だ!」
 モンスのゴブリン略奪隊は、五匹一組の夜盗集団である。全員が腰に大振りな剣を差し、それを振り回して略奪を行う。
 ところが、ラッキーの声と共に現れた五匹は腰に剣など差していなかった。全員が王宮に仕える奉公人のように、きちんとした礼服を着こなし、中には立派な口ひげまで生やしている者も居る。
「おおいおいお前ら、何だその格好。剣はどうした?」
「いや、オデたちなぁー……、そのよ、夜盗やめることにしたんだ。昨日みんなで決めた」
 モンスのゴブリン略奪隊、有名な夜盗である。月の光を背に現れる五匹のゴブリンのことは、彼らが住処を構える山の近くの者なら誰でも知っていた。だが、非道な振る舞いや、立つ腕によって名前が広がっていた訳ではない。なんとこの五匹、致命的に夜盗の才能がないのだ。
 自分で持った片刃の剣で怪我をする。逃げる獲物を追いかけようとして転ぶ。敵と味方を間違う。なにせ殴り合いをすれば、ラッキー一匹と彼ら五匹が良い勝負というとんでもない弱さであった。
「はやりの転職っていうやつだな。オデたち、ウェイターになったんだよ」
 そう言って、モンスのゴブリン略奪隊改め、モンスのゴブリン給仕隊の五匹はずれてもいない蝶ネクタイを直してみせた。今ので五匹とも、整っていたはずのそれが照らし合わせたようにずれてしまったのはご愛嬌だろうか。
 それから彼らはきょろきょろと周囲を見回し、ここが厨房であり、そしてラッキーがやっちまえと指差した男が立派なコック帽を頭に乗せているのを見た。
「コックだ、コックがいる!」
「うまそうな匂いがする!」
「た、大将! オデたちに料理を教えてください!」
「うまいめしが作れるようになりてえんです!」
「お願いしやす!」
 戸惑うラッキーを他所に事態は進行していく。どうやら五匹の真摯な態度にマルトー親方は心打たれたようだった。五匹は早速皿洗いを始めだした。
 ラッキーは悪態を吐いて、ぬるい石を齧りに外へ出た。



「いま、厨房から出てきたヴァリエール様の使い魔さんとすれ違ったんですが、何をしていたんですか?」
 ナイフとフォークの配膳が終わったのか、トレイだけを胸に抱いたメイドのシエスタがひょっこりと顔を出す。彼女は昨日、主人の寝間着を抱えて彷徨っていたラッキーに洗濯道具の調達をしたことで、ルイズから一言礼を貰ったばかりだったので、走り去る姿だけで彼だと判った。
「いや、ちょっと料理の邪魔をしていたんで追い出したんだが……。どうかしたのか?」
 後ろ頭を掻きながらマルトー親方が言う。シエスタは、壁をはさんで向こうの食堂を指差した。
「いつも凄く早く来る男子の貴族様のグループがあるじゃないですか。その方たちが、ヴァリエール様とツェルプストー様の使い魔が、どちらが上等な秘薬の材料を見つけられるか勝負している、という話をしていて」
 それからシエスタは、ラッキーさん、洗濯は上手なんですけど、と心配そうに言ってからトレイを仕舞った。
「それより、後ろの緑色の方々はラッキーさんのお友達ですか?」
「あ、ああ。その使い魔とやらが呼んだら突然現れて、それで料理を教えてくれって言うもんだからつい」
「へぇ、そういうこともあるんですね。……ってちょっと! そんなもの食べたらお腹壊しますよ!」
 突然声を上げるシエスタに驚いて、マルトー親方は慌てて給仕隊を見た。一匹が、ラッキーが持ってきた、床に転がったままの石を口に入れるところだった。
「す、すいやせん。ちょっと小腹が空いちまって」
 ごりごりと咀嚼してから、そのゴブリンは慌てて頭を下げる。マルトー親方は、そのゴブリンが訝しげに彼を見返すまでじっと彼を見つめてから、悔しそうに言った。
「もしかして、いたずらで石をつっこんだんじゃなくて、その、その、お前らってのは石を食べる種族なのか?」
「へい、もっぱらこいつがオデたちのおやつです」
「なんてこった」
 マルトー親方はコック帽を脱いで手近な椅子に座った。知らなかったとはいえ、知らなかったとはいえだ。食べ物を無下に床に転がしたのは自分だった。力なく項垂れる。
 彼の料理人としての熟練度は誰もが認めるものだったが、彼には経験に裏づけされた腕の他に、自分が自分を気に入らないとき、躊躇いなく新米に戻る直向さがあった。
 悔悛するように少しの間だけ目を瞑って、それから決心したように立ち上がる。
「調理器具の使い方は、俺が責任を持って監督する。今日中にどれも使えるようにしてやる。ただ、俺の舌は、人間の好みしかわからねぇ」
 今日の夕飯、あいつのために飛びっきり豪華なやつを用意してやりたい、とマルトー親方は語った。給仕隊の五匹はそれに、景気良く頷いた。



 閑古鳥が鳴いている。
 ラッキーは腰に巻いていた布で集めた石を見た。一つ、二つ、三つ。他にもいくつか拾ったのだが、腹が空いて食べてしまった。
「とりあえず珍しいもんを集めてみたものの、この数じゃなぁ……」
 厨房を追い出されてから、午後を丸ごと使って必死に走り回った。ラッキーは今の大将が好きだ。良く殴られるのは前と同じだったが、彼女の拳骨は前と比べて格段に痛くない。自分への気遣いというか、なんというか愛のような物を感じるのだ。彼女の命令はきっちりとこなしたかったし、そして彼女に褒められたかった。
「大将、あの赤髪にばかにされんのかなぁ」
 そのときは、普段より痛くても良い。気が済むまで殴られよう。
 ラッキーは決心して、主人の待つ部屋に戻った。
 彼の主観で珍しい石が、ハルケギニアではどこにでもある石だということを、彼の名誉のためにも弁解してくれる誰かが必要だが、ここには居なかった。



 秘薬の材料集め、勝負はキュルケのフレイムの勝ちで終わった。部屋にこもったルイズは今、枕に顔を押し付けて泣いている。
 ルイズは、ラッキーを殴ることはしなかった。怒鳴り散らすこともしなかった。ただ、申し訳なさそうに何の変哲も無い石を差し出した自分の使い魔を見て、とても似合うとは言えない儚げな笑みを浮かべただけだった。そして彼女は一瞬だけ、十にも満たない少女が夢から醒めたような顔をした。
 すいやせん、と萎縮するラッキーの頭に、それからルイズはそっと手を乗せた。ぶたれる、と身を竦ませたラッキーだったが、何を考えているのか、彼女は彼の頭を軟らかい手つきで二度、撫でた。

 コンコン、と景気の良いノックの音がした。ルイズは誰であれ応対したくないのだろう。枕に顔を伏せたままだった。もうずっと部屋の中で気まずい思いをしていたラッキーは扉を開けたかったが、主人を尊重した。
 居留守を決め込んだものの、再びノックの音がする。それもルイズは無視したが、ノックの音はどれだけ我慢しても止む気配がない。ルイズは堪えかねたのか、片手だけ出して扉を指差した。ラッキーはドアに駆け寄って開ける。
「へい、どちらさまですかい?」
「メイドのシエスタです。給仕隊の皆さんと一緒に、ラッキーさんにと夕飯を持ってきました」
 ラッキーがベッドを伺うと、ルイズは好きにしなさい、とでも言うように手をひらひらと振った。シエスタを押しのけて、雑な靴音を立てて五匹が上がりこむ。
「へいお待ち、モンスのゴブリン給仕隊です。今日のディナーはこちら!」
「ルフ鳥のポーチドエッグ」
「岩」
「調理済み岩」
「うっさいわね! 外でやんなさいよ!」
「へい! すいやせん」
 ラッキーが謝って、五匹を外に出す。シエスタがそっとドアを閉めて出て行くのを認めてから、ルイズは一層強く枕に顔を押し付けた。

「お前の大将、機嫌悪いのな」
「ああ、ちょっとヘマしちまってなぁ」
 廊下に座り込んだ六匹が、かちゃかちゃと食器の音を立てながら話し込む。気落ちした様子のラッキーを励まそうと、五匹は彼に話をさせた。
「大将に、何か珍しいもんを取って来いって言われたのにおいら、できなくて」
 ラッキーはそう言ったっきり、唇を噛んで黙ってしまった。困惑する五匹にシエスタが事の経緯を推測で語る。それから暫くの間、暗い雰囲気を廊下に充満させていた一人と六匹だったが、ふと何か思いついた風のシエスタが、私は詳しくありませんけど、と前置きして言った。
「そういえばその、ルフ鳥のポーチドエッグって、とても卵で作ったようには見えないんですけど……。その卵とか、珍しいものじゃないんでしょうか?」
 給仕隊の皆さんが持ってきた材料は、どれも見たことが無いものばかりでした、と床に直に並べられた皿を見る。
 六匹は一度顔を見合わせてから、今度は勢い良くルイズの部屋をノックした。



「へいお待ち、毎度どうもモンスのゴブリン給仕隊です。今日のディナーはこちら!」
「ルフ鳥のポーチドエッグ」
「死んだら卵に戻る、全身岩で出来た不思議な鳥、ルフ鳥の卵をふんだんに使った高級品です」
 突然部屋に雪崩れ込んだ不届き者を怒鳴りつけるため、勢い良く枕から顔を離したルイズはぽかんとして固まった。彼女のその表情を見て、六匹は楽しそうに笑いながら続ける。
「岩」
「ただの岩です」
「調理済み岩」
「ケチャップの風味が食欲を誘います」
 そして一匹がもったいぶって皿を出す。
「ユニコーン・オン・ザ・カブ」
「角のある不思議な馬、ユニコーンの角を贅沢に丸齧りできます」
 その言葉を聞き、ぎょろりと強く剥いたルイズの目が、皿の上に載せられた消し炭を凝視して離さなくなる。
「寄生牙の亀スープ」
「土と海水に取り憑く亀型ナイトメア、寄生牙の亀を細かく砕いたスープです。奥様もお子さんも大満足の海水味」
 それから給仕隊の五匹はそれぞれ一品ずつ、シエスタがルイズの執務机に敷いたランチョンマットの上に並べた。
 まさか、信じられない、でも、いや、どうしよう。目をまん丸に開いたルイズは暫くの間、口のなかでぶつぶつと何か唱えていたが、やがて決心したように給仕隊の面々を見て言った。
「あああああああの、わ、わわわたくし、その不死鳥の卵と、ゆゆユニコーンの角、なななな生でいただきたいんだけど、めめメニューには置いてるのかしら」
「へい! 少々お待ちください!」
 ルイズは慌ててペンと紙を取り出して、一通の手紙を書いた。真っ先に埋めた宛先には、王立の研究機関、アカデミーで働く長姉エレオノールの名があった。



 その日の晩、ルイズはラッキーを連れて寮の隣、ツェルプストーの部屋の前に立って大声を出した。

「ねぇツェルプストー、よーく聞きなさい!」
「そうだそうだ、よーく聞けい!」
「あんたのサラマンダーなんかよりも、ずっとずっと!」
「ずっとずっとだ!」
「うちのラッキーはね、凄い使い魔なんだから! 覚えときなさいよ!」
「そうだそうだ、覚えとけい!」
 そしてルイズは、ぐりぐり、と力強くラッキーの頭を撫でた。



宴はまろやか・第三話
初歩の初歩の初歩の初歩、ぼんばか


 使い魔から手渡された制服に腕を通し、襟を整える。
「メイジの属性は使い魔で決まるって聞くけど」
 ぺろりと唇を舐め上げる。ルイズはクリームも口紅も塗らない。
「ラッキーって何系統なのかしら」
「へい?」
 肩口で戯れる髪をなおざりに払って、ラッキーを正面から見据えた。
「系統よ、系統」
「系統ですか?」
「そ、四大系統」
 火、水、土、風の四つからなる四大系統は、学院では進路、専攻にあたるもので、在籍する生徒は必ずどれか一つを選ぶことになっている。そしてそれは生徒の自由意志ではなく、召喚の儀で喚びだした使い魔の属性によって決められる。
 ただ、使い魔の系統は生徒の申告に拠るうえ、歴史ある貴族のほとんどが、家が得意とする系統を持っているので、使い魔とは別の理由で決められることもある。長男や長女なら生まれたときから決まってしまっていると言っても良い。
 ルイズは三女なので、しきたりに倣う必要はなかったが、彼女も自分の家の系統である風に、誇りと憧れを持っていた。
「あいにくあんたの、ゴブリンって種族はあんまり資料がなくて良くわかんないのよ」
 だから本人に聞いてみようと思ったんだけど、とルイズは言ったが、当のラッキーが首をかしげているのを見て腕を組んだ。
「こう、火が噴けるとか空を飛べるとか、水の中で動けるとか……いろいろあるのよ」
「おいらにゃどれも無理ですね」
「そうよね。ゴブリンってみんなそうなの?」
「あ、そうだ。手から火を出せるゴブリンはいます」
「ほんと!?」
「おいらにゃ無理ですけど」
 ルイズは深く首を傾げると、早めに食堂に向かうことにした。


/ 初歩の初歩の初歩の初歩、ぼんばか


 忙しなく朝食をかき込む中年教師、コルベールは、学院では珍しい熱意ある教師だった。慌てて朝食を取るのは一時間目の準備のためだ。彼は本当に今の職が好きだった。
 おや、とコルベールは食事の手を止める。彼は自分が熱意を持て余しがちで、そして大多数の生徒からは嫌われずとも、苦手意識を抱かれていることを知っていた。それでも彼は本当に教職が好きだったから、普段通り食堂の隅で他の生徒たちよりも一足早い朝食を取っていた。だが今日は、席に着き始める生徒たちの間を縫って、彼の元にやってくる一人の生徒が居た。

「おはようございます、ミスタ・コルベール」
 ルイズは先ず頭を下げ、ここまで引いてきた使い魔の手を離してその手でラッキーの頭を押さえつけた。使い魔の下がる頭に合わせて彼女ももう一度礼をする。
「朝食中にすみません」
「いや、構わないよ。それで何かな?」
「実は四大系統についてなんですが」
 コルベールは、少し待ってくれと言うように手を上げて、それから一口で最後のパンを口の中に詰め込み、呑み込んだ。
 こういった貴族らしかぬ動作も生徒から距離を置かれる一因なのだが、彼にその意識は全くない。ルイズも定期的にテーブルの上に手を伸ばすラッキーを叩くのに忙しかったので、それを見て眉を顰めるようなことはなかった。
「あー、それは、つまり、進路相談みたいなものかね?」
 恐る恐るコルベールが尋ねる。
「はい。その、この子の系統が……」
「そうだね。けれど私にも、使い魔の彼が何の種族だかすら」
「ゴブリンって言うんだそうです」
「ゴブリン?」
「へい、ゴブリンです」
 コルベールは人語を話すラッキーを見た。知らない種族だが、言葉が通じるとなれば話は別だった。
「よし、じゃあゴブリンの……ええと」
「ラッキーです。ミスタ・コルベール」
「そう、そのラッキー君にいくつか質問しても良いかな」
「へい!」
 よし解った、とコルベールは頷いた。根っからの研究者だった。
 彼の質問は多岐にわたった。

「召喚される前はどんなところに?」
「山で寝て起きてやした」
「ふむ。近くに海は?」
「ありやした。煙が酷くて」
「……煙?」
「へい。あれをぶっかけると人間が変な声を出しやす」
「有毒なのかい?」
「こう言うのは人間くらいですね。"アッチー! アッチー!"」
「それはただの熱湯だね」
「へい」
「そうだ、火を噴く山があったりは?」
「おいらんとこの山は全部そうですね」
 その土地に聳える山は全て活火山で、時には溶岩がゴブリンたちの家の傍まで寄ってくることもある。
「あの……どうですか?」
「ああ、恐らく火、もしくは土だと思うよ。そうだ、ゴブリンという種族は、縄張り争いみたいなことはしているのかい?」
「へい! 三回めし食って寝たらそれの時間です」
「それはどんな風に?」
「そいつは勿論、ぼんばかぼんばかと」
「ぼんばかぼんばか? それは一体どういう……あ、いや」
 一層詳しいことを聞こうとしたコルベールだったが、何かに気づいたように口を閉じた。それから彼は、いぶかしむルイズに向かって、周りを見たまえと言った。
「あっ、もう時間が」
「ミス・ヴァリエール、急いで朝食を食べてしまいなさい。授業の後ならいくらでも付き合うよ」
「は、はい! ありがとうございます。では!」



「皆さん。春の使い魔召喚は、大成功のようですわね。このシュヴルーズ……」
 教壇では、シュヴルーズと名乗った小太りの女性が生徒たちの使い魔を眺めて満足そうに笑っている。
 ルイズは熱心で模範的な優等生で通っていたので、いつものように行儀良く授業を聞いていたのだが、如何せん隣に座るラッキーに落ち着きがない。彼女は授業が始まる前に、授業中は静かにしていなさい、と言うのを忘れていた。
「ちょっとラッキー、お願いだからきょろきょろしないで。
 落ち着かないじゃないの」
「へい! すいやせん」
「あっ、ばか! 声が大き……」
「ミス・ヴァリエール!」
「はいっ」
「授業中は静かに」
「はい、すみません」
「よろしい。では、前にでてこれをやってもらいましょうか」
 シュヴルーズはルイズを手招きすると、教卓の上に乗せた石を指した。この石に錬金の魔法を使ってみせろ、ということだった。
 錬金の魔法は土系統の魔法だ。ルイズはどんな魔法も失敗させてしまう、実技が酷く苦手な生徒だった。だが、今朝のコルベールの言葉を信じるなら、ラッキーは火か土に属する使い魔だ。自分に土系統の才能があるのなら、もしかしたら成功するかもしれない。
 ルイズは日々の予復習を欠かしたことがなかったので、呪文だけは簡単に唱えることができる。
 ルイズは勢い良く杖を振った。

 石は轟音を立てて爆発し、すぐ傍に居たシュヴルーズとルイズを吹き飛ばす。二人とも壁に突き飛ばされ、魔法の失敗に慣れていたルイズは意識を保ったが、シュヴルーズは気絶した。
 教室中から非難の声が上がる。
「また失敗かよ! ゼロのルイズ」
「もう退学にしてくれ!」
 沢山の厳しい言葉が彼女に向けられていたが、ルイズは、言い返すわけでもなく、落ち込むわけでもなく、その上気にするような素振りすら見せずに、ただ手のひらをぽんと叩いた。
 それから得心がいったという風に呟いた。

「あっ、わかった」
 ぼんばかってこれだ。



 誰が呼んだのか、シュヴルーズを介抱しに来た教師に命じられ、ルイズは散らかった教室の片付けを始めた。教室を壊した罰ということで、魔法の使用は禁じられていたが、元々ルイズはこの惨状を元に戻せる魔法など使えなかった。
「ねぇラッキー、ぼんばかって、これのこと?」
「へい!」
 半分に割れた椅子を細い腕で持ち上げて、ルイズはラッキーに尋ねた。ラッキーはそこかしこに散らばった木片を拾って一箇所に纏めながら答える。
 何度やっても爆発するルイズの魔法は、今まで失敗と言われ続けてきた。だが、使い魔の属性がまさにこれだと言うのなら、失敗ではないのかもしれない。
 魔法が一つも使えないことと、一つだけしか使えないことの差は大きい。ルイズは少しだけ嬉しくなった。
「火をつけて玉を持ったら、向こうに投げる。すると相手がぼんばか吹っ飛ぶ。これがおいらたちの戦い方です」
「ふぅん。過激ねぇ」
 ルイズはぼんやりと呟きながら、机にすっぽりと挟まってしまった教卓の欠片に手をかけた。上手くはまってしまったのか、なかなか抜けない。折れ目がささくれ立っていたので、強く握る訳にもいかない。
「ちょっとラッキー、見て。これどうしようかしら」
「へい! すっぽりはまってやすね」
「そうね、はまってるわね」
「へい、はまってやすね」
 ルイズは人差し指で、ラッキーの額をごつんごつんと繰り返し突いてから、眉を寄せた。
「ひっかかっちゃって取れないわ」
「取れないですね。あ、大将! あれですよ、こいつのここをちょっとぼかんと」
「あっ、なるほど。何気にあんたって結構気がつくのよね」
 軽く杖を振る。腹に響く音と共に木片が消し飛んだ。そして優雅に顎に手を当てる。
「無くなっちゃった。なんていうか、そうだわ。ごみ捨て場まで持っていくより、こっちの方が楽ね。そう思わない?」
「へい! そうですね」
 ルイズは淑女然と手のひらの下に口元を隠してから、下品ににやりと笑った。
「ぼんばかって便利な魔法だわ」
 教室のごみはすぐさま一掃された。



 モンモランシーが、上機嫌で学院を徘徊する胡乱なルイズ・フランソワーズと中庭で出会ったのは昼食前のことだった。ギーシュを探して歩いていたのだが、食後の歓談に使われるこの場所で、昼食時に探し人に会えると思っていたわけではない。ぐるりと目を通すだけ通して、さっさと別の場所に行こうとした矢先だった。
「モンモランシーじゃないの。探し物?」
 人の居ない場所で、視線をあちこちに飛ばしていればそうも見えるだろうか。モンモランシーは、ギーシュと付き合っていることを隠していたので、その勘違いを利用することにした。
「え、ええ。ちょっと落し物なんだけど。あっ、もう昼食だし、食堂に行きましょ」
「やーね、そんなに急がなくても良いわよ。そうだわ! 私も手伝ってあげる」
 思わず顔が歪もうとするのをなんとか隠し通して、モンモランシーは大丈夫だから、と手を振った。しかしルイズは止まる素振りすら見せずに、あろうことか杖を取り出した。
「ちょっと、ルイズ! あなた何やるつもり?」
「見てなさいな。いくわよぉ」
 ルイズが杖を何度も何度も振り下ろす。気まぐれに何種類もの呪文を唱え、そしてあちこちに杖の先を飛ばした。唱えられた魔法はどれも同じ現象を引き起こす。テーブルが爆発し、椅子が爆発し、そして青い草が消し飛んだ。
 このままでいたら耳がばかになる。そう思ったモンモランシーは慌てて両耳を塞ごうとしたが、ルイズが優雅な手つきで杖を懐に仕舞ったのを見て、手を下ろした。一瞬の出来事だった。
「これなら探しやすいわね。どお? 私の魔法も結構役に立つでしょ」
「え、え……ええ、うん。そうね……」
「でしょ? 自分でもなかなかのものだと、って、あれはあなたの香水じゃない?」
 土の色をむき出しにした広場で、紫色の瓶がきらりと陽光を受けてきらめいた。ルイズが拾い上げたそれを見て、モンモランシーは思わず叫びそうになった疑問の声を呑み込む。今朝も部屋に置いてきたはずなのに。
「はい。もう落とさないのよ。じゃ、私はこれで」
 モンモランシーはルイズから香水の瓶を受け取ると、それがギーシュに贈った物であることに気づいて口元を引きつらせ、そして改めて中庭の惨状を見て唖然とした。
 全て吹き飛んでいた。



 級友の探し物を見つけたことに気を良くして、ルイズはラッキーと共に塔の中を歩いていた。今日は、闇雲に続けてきた魔法の研鑽の先に、小さな光が見えた素敵な日だった。この魔法の有用性を皆に知らせたくて仕方がない。
 ルイズは廊下の先に、緑色の髪を払って佇む女性を見つけた。
「ミス・ロングビルじゃないですか。宝物庫の前でどうしたんです?」
「え? は、はい。ミス・ヴァリエールですか。こんにちは」
「こんにちは。宝物庫の整理とかですか? 学院長の秘書も大変ですね」
「そ、そうなんです。でも鍵を忘れたので、取りに戻ろうかと。それでは失礼しますね」
「あっ、そうだ。私が開けましょうか?」
 慌しく去ろうとしたロングビルだったが、ルイズの言葉に思わず動きを止め、眉を寄せる。ルイズは彼女の前で揚々と杖を振った。ぼかん。
 宝物庫の扉にかかっている錠前を狙ったのだろう、その魔法は少し上に逸れて扉の表面を削った。盗人対策の頑丈な固定化ごと崩れたことにロングビルは驚いた。
「ま、まぁ。ありがとうございます。そうだ、私が鍵を忘れたことは内密にお願いできませんか?」
「解りました。ちょっと待ってください、上手く鍵に当たらなくて……」
「ええ」
 ぼかん、ぼかん、と断続的に爆音が響く。その大きい音に人が着てしまうのではないか、と慌てだしたロングビルが、ルイズの肩に手を当てて止めようとした。
 突然肩を掴まれたルイズは驚いて、すっかり見当違いの方向に魔法をかけてしまった。
 ぼかん。天井に穴が開いた。そしてルイズとロングビルは、その穴から落ちてきた人物を見て縮こまった。
「下が騒がしいと思えば全く……何をしとるかバカもん!」
 宝物庫の上は学院長室なのだ。

「ミス・ヴァリエール!」
「は、はいっ!」
 ルイズは縮こまって返事をした。
「君にはやらねばならんことがあるはずじゃ」
「はい?」
「ほら、なんだ。教室の片付けがあったじゃろう」
「は?」
 思わずぽかんと口を開けて尋ね返す。教室の掃除なら、もう随分前に終わったはずだ。
 不思議そうなルイズに向かって、学院長オールド・オスマンは悪戯っぽく言った。
「あれな、私が昼に散らかしといた」
「はああ?」
「こらこら、ボケ老人の戯れだとか生徒いびりだとか思っとるじゃろ」
「そ、そんなこと思ってません! 私が考えたのは前の方……あ! なんでもないです」
 ちなみにもう半分はラッキーが思っていた。
「まったく……。ほれ、よーく思い出しなさい。教室の片付けは、罰として魔法を使ってはいけないことになっとったはずじゃ」
 ルイズは驚きの声を上げた。それから小さくなって、羞恥で真っ赤になった顔を隠して頭を下げた。
「うむ。よしよし、では行って良いぞ」
「はい! 失礼します」

「それでミス・ロングビル。一体なんでまたこんなことに」
「そのっ、実は私とミス・ヴァリエール、つまらないことで口論になってしまい、そのまま廊下で喧嘩を……。す、すぐに責任を持って元に戻しますので!」
「いやいやそれには及ばんよ。私が直しておこう。
 君はそのかわり私の机の上の書類を全部じゃ」
「そんなっ!」



 片付けのためにすす汚れた肌をルイズは浴場で、ラッキーは使い魔用の水場で落としてから、部屋で一日を振り返っていた。

「ぼんばか、使ったら学院長に怒られちゃったわ」
「へい!」
「使いどころが難しいのよね」
「へい!」
「よし、決めたわ。罰としてあんた今日は半分の藁で寝なさい。
 私にぼんばかを使わせた罰」
「へい! わかりやした」
「じゃあ、半分は私が使うから。やだなぁ絶対明日肩とか痛いわ。やだなやだな」
「へい! どうぞ」
「おやすみ」
「おやすみなせい」



宴はまろやか・第四話
愛しのモンモランシー


「そうだ、決闘だ!」
 ギーシュは言った。


/ 愛しのモンモランシー


 一本足の小さなカフェテーブルを挟んで、一組の男女が向かい合い座っていた。
 小ぶりなティーカップが二つ、間にお菓子を積んだ小皿が一つ、これだけでテーブルの上はいっぱいになっている。全体を白く塗られた控えめな意匠の、とても狭いテーブルだった。
 はっと、ギーシュは、テーブルの上からはみ出て落ちそうになった自分のカップを慌てて手で押さえた。ぎりぎりながらスペースを確保していた筈だったが、突然傾いて中身をぶちまけようとした。向かい側の彼女が、自分の側からそれを押しのけ、無理やり作った空きに派手な音と共に肘を立てたのだ。ギーシュは思わず肩を窄める。
「だからねぇ、だから……ああもう」
 ギーシュの向かい側に座る彼女、モンモランシーがこれ見よがしに溜息をついてみせる。その仕草にギーシュがますます萎縮したのを眺めてから、彼女はごん、と自分のひざでギーシュのそれを蹴った。
「あいたっ」
「黙れ」
 ごん、ごんと連続して膝小僧を攻められる。あまり人の居ない広場に多い、一人用のテーブルに二人で座り、たまにお互いのひざが擦れ合う感触を味わう。これがギーシュの密かな楽しみの一つだったが、その狭いスペースは今、明らかにモンモランシーの味方をしていた。
「あんたねぇ、この、この。このっこのっ、このぉ!」
「いたっ、痛い! 凄く痛いよ」
「黙りなさい!」
 もしかしたら足が近すぎることは、すねを蹴られることのなかったギーシュの味方もしていたのかもしれない。だが、痛いものは痛い。ギーシュは少し涙目になった。
「ていうかね、なくしたって、なくしたって何よ。ほんとに、あれは自信作だったのに」
「それは、ごめんよモンモランシー」
 モンモランシーは一際力が篭ったひざをぶつける。彼女が身を乗り出して近づけてきた整った目鼻よりも、ギーシュはぴたりと距離を埋めたままのひざ同士に胸を高鳴らせた。健全な男子生徒だった。
「そ、そうだ! 今から僕は死に物狂いで君から貰った香水を探しに行くよ。
 絶対に見つけてくる。約束する」
 このままモンモランシーの機嫌を損ねたままにしておくと、何が起こるか解らない。この幼馴染が、同学年のヴァリエール家の三女ほどではないにしろ、恐ろしい癇癪持ちであることをギーシュは知っていた。
 ごつん、とギーシュのひざが一際強い音と共にいじめられた。
「その必要はないの。あなたがふらふらしてる間にルイズがね、ちゃんと見つけてくれたんだから」
「ルイズ? ゼロの?」
「ええそうよ。あなたなんかよりよっぽど頼りになるわ。
 じゃあね!」
 強い音を立てて椅子が引かれる。立ちすがらにもう一度ひざを蹴られた。
 ギーシュは思わず口をぽかんと開けて、立ち去るモンモランシーを見送った。自分の彼女があのゼロのルイズと親しいというのは初耳だったし、なによりゼロの彼女よりも頼りにならないと言われたことがショックだった。



 ギーシュは昨日の足取りをなぞり、中庭に訪れていた。授業を受けた教室は、一度覗いてから、上級生が居ないところだけ見て回った。教室は二つだけ残して、食事、休憩、そういった場所を巡る。そして中庭に辿り着いた。
 正確には、中庭だった場所、だろうか。昨日は中庭だったが、今日はただの更地だった。
「……そうか、ここだ。ゼロのルイズらしい、過激な証拠隠滅だな!」
 これは陰謀だ、とギーシュは思った。ここまで派手に爆破されている以上、ルイズにもそれをやらねばならない何かがあったはずだ。しかし、彼女に何があったのか問い詰めるのは難しい。不毛の地を思わせる土肌に、ギーシュは慄いた。
 くりかえしモンモランシーに何度も蹴られたひざが痛んだ。はっきりと姿を見せない害意は、確実に自分を狙っている。
 ギーシュはごくりと唾を飲み込んだ。
「る、ルイズなんか怖がることない。僕のワルキューレならやれる、やれる……。でも、貴族同士で争うのは良くない」
 土をじゃり、と鳴らして腕を組む。
 目的はいくつかある。一つ目は、モンモランシーの信頼を取り戻すこと。これが一番重要だった。それも、出来るだけ早く達成しなければならない類のもの。二つ目は、何らかの計略を持って自分を陥れたルイズからグラモン家の誇りを取り戻すこと。これも重要だ。栄えあるトリステインの軍人である、父や兄らの沽券にも関わる。それから、二つ目は貴族同士の決闘の禁止を破らずに行う必要があった。貴族たるもの、定め事には忠実にあらねばならない。
 ギーシュはすっかり吹き飛んでしまった中庭に一度目を遣って、逸らした。
「プレゼントは逆効果だ。僕は彼女の心の篭ったプレゼントを足蹴にしてしまった……。僕がモンモランシーに贈っても、足蹴にされるだけだ。
 それでお互い様とモンモランシーが言ってくれるのなら、悪くないけど。けれど僕には、捨てられるためだけの贈り物を選ぶなんてできない」
 ふと、第六感とでも呼べば良いのか、召喚の儀以降増えた感覚にくすぐったさを覚えて、下を見た。近づいてきているな、と思い、屈んで両腕を広げる。
 一瞬土が盛り上がったかと思うと、ギーシュの腕の中に使い魔のジャイアントモール、ヴェルダンデが飛び込んだ。
「よしよし、良い仔だねヴェルダンデ。君はいつだって天使のような抱き心地だね。
 ……おや、僕にプレゼントかい? まったく君はなんて素敵な使い魔なんだ!」
 ヴェルダンデは口にくわえた鉱石をギーシュに差し出し、そして主人の頬に頬ずりする。一通り擦って満足したのか、次は顔を舐め始めた。くすぐったそうにギーシュが笑い声を上げる。
 そして何者かに後ろから押されたヴェルダンデが、主人の顔に強かに激突した。
 ヴェルダンデが掘った穴から、ルイズの使い魔が顔を出したのを見て、ギーシュは眉を寄せた。
「うまそうな石のにおいがする!」
 ちなみにゴブリンの嗅覚は宇宙なので、ラッキーに石の匂いの良し悪しなど解らない。
 ギーシュは、ラッキーが鉱石に鼻を寄せるのを見て、頼みごとを一つ思いついた。



 一人と二匹が顔をつきつけて相談を始めた。
「まず、この鉱石は成功報酬でいいかな」
「へい! かまいやせん」
 ラッキーは勢い良く首を振る。ギーシュは石を持ってきてくれたヴェルダンデに伺って、彼女にも不満がない事を確認する。役に立つならとはしゃぐヴェルダンデの頭を強く撫でてから、ギーシュは一層声をひそめる。
「これから君に頼むのは演劇だ。決闘のかたちをなぞる。
 ただし、決闘は貴族の誇りを示すためのもの。演劇は貴婦人の気を惹くためのものだ」
 彼は真剣な表情で言った。
「その違いを解って欲しい。君の主人に預けた誇りもあるけれど、僕の一番はモンモランシーなんだ」
「へい! わかりやした」
 ラッキーはまた勢い良く首を振る。ギーシュは表情を柔らかく崩した。
「よし、劇は派手に行こう。恋に焦がれると言うし、焼けてしまうほど熱い方がいい」
「あ、それならおいらにちと考えが」
「おお! 頼もしいね」
 ラッキーはギーシュの許可を取り、一度だけ彼を殴った。
 直径一メイルほどの光る鏡が空中に現れる。固唾を飲んで見守るギーシュの前で、一台の銃と沢山の袋を引き摺ったゴブリンが顔を覗かせた。
「おい、どうした」
 現れたゴブリンは言った。ラッキーと同じく小柄だ。ギーシュよりも頭二つ分は小さい。しかし、浮かんだ鏡から、地面までの僅かな距離を飛び降りるだけで、彼は爆発にも似た着地音を立てた。呆れるほど大量の袋を引き摺っていた。
「こんな閑地に俺を呼ぶなんて……」
 ゴブリンは戦争が好きだ。暇があれば他種族と争うし、一度戦が始まったなら日常の一切の些事を忘れて戦いにのめり込む。ゴブリンは例外なく争いを歓迎する。
 だから、たまに、戦争の得意なゴブリンが生まれる。
「――戦争でも、するのか?」
 そして彼は、シャープシューターと名乗った。



「ギーシュの旦那が言うには、おいらたちと旦那が喧嘩して、旦那がピンチになって、で今度はおいらたちが負ける? らしい」
「最初は勝って、最後に負ければ良いんだろう」
「あ、なるほど」
 ギーシュはモンモランシーを一人だけ呼んで見せるのではなく、決闘騒ぎを起こして集まった見物人の中に彼女が居ることを期待する、そういうやり方でいくらしい。ラッキーとシャープシューターは、ギーシュが騒ぎの宣伝をしている間、打ち合わせと練習をすることにした。
「勝つのは俺が居れば問題ない。全部吹き飛ばしてやるよ」
 シャープシューターは凄惨な笑みを浮かべて言った。ラッキーも特に異を唱えない。目の前の、木製の連射銃を構えた狙撃兵の恐ろしさは、ラッキーも良く知っていた。
「じゃあ、おいらたちにとっては、難しいのは負けるほうってことかい」
「そうだな」
「練習しようか」
「ああ」
 二匹はそう言って、後ろに倒れる練習を始めた。
「ほら、ばたーん」
「ばたーん」
「ばたーん」
「ばたーん。これは、背中が痛いな」
「だから練習してるんだろ。ばたーん」
「確かに。ばたーん」
 ちなみに言うまでもないが、シャープシューターも生粋のゴブリンである。



 火の塔と風の塔の間、丁度建物の影になるヴェストリの広場で、ギーシュの掛け声と共にその決闘は始まった。
「行け! 僕のワルキューレ!」
 一体のゴーレムが二匹のゴブリンに向かって突撃する。薔薇の意匠の杖から飛んだ一枚の花びらは、二匹のゴブリンにより近い位置でゴーレムに変化し、そして構えた槍を振り下ろした。ギーシュらしかぬコンバットトリックに観衆が熱狂する。
 シャープシューターは、己の武装と、ラッキーの肩を引っ掴んで飛びずさり回避した。掴み損ねた一つの袋が切り裂かれ、中身がばら撒かれる。開始前から、シャープシューターが自分の周りに冗談にならない量の袋を置いていたので、ばら撒かれた中身は観衆の興味の視線を一身に受けた。すぐさま彼、彼女らから訝しげな声が上がる。
 ところがたった今生命の危機に晒されたばかりのゴブリンたちは、目の前でワルキューレがちらつかせる槍など取るに足らないと言うように、にやりと笑った。
「なかなかァ、早いもんだな、おい」
 シャープシューターは掴んだ袋の口を緩めて言った。中には、ワルキューレに切り裂かれた袋と同じように、木くずと石くずが詰まっている。
 彼はそれを全て、己の銃に押し込んだ。
「ゴブリンを舐めちゃァいけない。いけないぜ」
 彼は銃を構えた。
 そして集まった貴族たちは、世の中に数多存在する"数の力"のうちの一つ、取るに足らぬ平民の牙の一つの完成形、魔法使いの優位を脅かす全く新しい脅威――
 たった一匹のゴブリンが、ハルケギニアに持ち込んだガトリング・ガン。それが、ゴーレムを蹂躙する様を目の当たりにすることになる。

 ギーシュの耳は、自分とゴブリンを取り囲む生徒たちの歓声と、目の前に立ちふさがるゴブリンの構える銃の発する音との区別がつけられなくなっていた。シャープシューターの銃は凄まじい音と威力を存分に発揮している。
 先手で切り裂いた袋の中身を信じるなら、あの銃が自分のワルキューレにぶつけているのは木くずと石くずのはずだ。青銅で象ったワルキューレの肌が負ける筈がない。絶対に間違っている。ギーシュはそう思って一気に四体のゴーレムを作り上げた。初手の一体、次手の二体が無残に吹き飛ばされているので、今の四体は、全部で七体までしか練成できないギーシュの全力に当たる。
 ギーシュは必死にラッキーに向かって目配せした。ここで華麗にギーシュが逆転して、ラッキーとシャープシューターに負ける演技をしてもらう必要がある。それはもう必死に目配せした。だから、ラッキーが目配せに気づいた素振りを見せたときは本当に助かったと思った。
 ラッキーは戦闘中にウインクをしてくるギーシュの気の良さに嬉しくなって、自分も彼に向かってウインクをした。
 ギーシュは絶望した。

 生徒たちは、ギーシュがシャープシューターの銃で吹き飛ばされるのを見て歓声を上げた。学生にとっては全く縁のない、素晴らしく迫力のある戦いだった。二匹のゴブリンは、自分たちとギーシュで演じた演劇が観衆に受けたことに気を良くして、最後の締めに移った。
「よし、もう良いんじゃないか。ばたーん」
「そうだな。ばたーん」
 観衆は何が起こったのか解らずに、揃ってぽかんと大口を開けた。
 モンモランシーと連れ立って見に来ていた、ラッキーの主人であるルイズだけが、何が起こったのかに気づいて頭を抱えた。



 満身創痍のギーシュは、医務室で水系統が得意なモンモランシーの手当てを受けていた。

「ちょっとギーシュ、あなたねぇ、なに馬鹿やってるのよ」
「も、モンモランシー……」
「ほらほら喋らない。ルイズが言ってたわよ。『ゴブリンに、最後に負けるフリをしてくれって言えば、多分あんな感じになるわよ』って。あなたも馬鹿ねぇ」
「……くっ、ま、またゼロのルイズかい!? あ、あいつ本当に僕たちの仲を引き裂くつもりなんじゃ」
「馬鹿言わないの」
「まさか嫉妬!? ルイズはこのギーシュ・ド・グラモンに密かに恋心を寄せていて、僕がモンモランシーにばっかり構っていることに気を悪くして……」
「馬鹿言ってると引っぱたくわよ!」
「ご、ごめんよモンモランシー! 大丈夫、僕は君一筋さ!」
「だから馬鹿言ってるんじゃないの! あんたが騒いでるうちは、治るものも治らないんだからね!」
「ごめん、ごめんってば」
「じゃあ早く寝なさい!」



宴はまろやか・第五話
チューパイくすね


 肥沃な大地に足が埋まっていく。
 列を作り歩いていたゴブリンのうちの一匹が、慌てて飛びのいた。足が埋まる土地について、彼らはいくつかの知識を持っていた。彼らの経験の中でそれらは常に、とんでもない猛毒を含んでいたり、耐えられないくらい熱かったりしたからだ。
 それを見て、先頭を歩いていた、列の中で唯一黒い肌をしたゴブリンが言った。
「ああ、ここは沼地だからよ。たぶん歩きづらいけども勘弁してくれ」
「"ヌマチ"?」
 先頭から四番目を歩いていたゴブリンが、すぐさま手の中の紙に「ヌマチ」と書き込む。
「おれにもよくわかんねーけどよ、婆が昔、教えてくれたんだ。土と川があわさると、沼地ってやつになるらしい」
 やはり先頭から四番目のゴブリンが、手の中の紙に「ヌマチ 土と川の子供」と書き込んだ。
 列の残りのゴブリンたちは、へえとか、ほうとか、彼らなりの感嘆の声を上げた。ここに来てから、真新しいことばかりだった。
「お、見えてきたな。あそこがおれたちの村だ。歓迎するぜ、シヴのゴブリン」
 小間使いとして使節団に同行していた若き日のラッキーは、霧の中に薄らと見える猥雑だが、どこか趣きのある集落に目を奪われた。

「それでよ、おれはそのとき思い切ってこう言ってやったのさ。『お前の従兄弟がいなくなっちまう!』ってな」
「へえほう」
 話し合いが始まるのを見送ってから、下っ端のラッキーは、集落までの案内役をしていたゴブリンの話に相槌を打っていた。
「そしたらそいつが何て言ったかって言うとだな。『俺の従兄弟がいなくなっても、俺の子供の従兄弟がいるじゃねーか』だとさ。
 おれはそのとき、そいつはなるほど真理だ! って思ったね」
「ほうへえ」
「……。何かほら、その、あれだよ。聞きたいこととかない? 今のが一番盛り上がるところだぜ」
「じゃあ一つ聞いていい?」
「おう」
「"シンリ"ってどういう意味?」
「わかんね」
 黒い肌のゴブリンは言った。
「他に何かない? おれが答えられるやつ」
「じゃあそれ。お前が食ってるそれの作り方教えてくれよ。さっきから見てたらさ、おいらは腹が鳴って鳴ってもうどうすりゃいいのか」
 ラッキーは目の前で良い匂いを放つ、美味しそうなパイを指差した。黒い肌のゴブリンは、ぱくん、と片手に持っていたパイを口の中に詰め込んで立ち上がる。厨房はすぐ近くにあるようだった。
「よし解った。教えてやるよ。
 こいつは"チューパイ"だ。すげえうまいよ。ここに住んでるやつはみんなこれが好きだ。だけど、欠点が一つある」
「欠点?」
「ああ。みんなこれが好きだし、作ってすぐ食べないとなくなる」
「なくなっちまうのかい?」
「ああ。作ってそのままにしといたら絶対どっかいっちまう」
「なるほどなぁ。そいつは致命的な欠点だな」
 ラッキーはしきりに相槌を打った。これだけ美味しそうなら確かに納得できる。
「ところでおれも一つ聞いていい?」
「何でも聞きなよ」
「"チメイテキ"ってどういう意味?」
「わかんね」


/ チューパイくすね


 むずむずしたので、大口を開けた。
 ラッキーは眼前の空中の一区間を山羊の丸焼きに見立てて、勢い良く噛み付いた。咀嚼、嚥下の仕草をなぞり、肺に溜まった息を吐く。遠くを見れば、一本の細い木に鳥がとまっていた。足元に目を落とせば、形の良い石ころが落ちている。
 物欲しそうに鳥をもう一度見てから、足元の石を拾い上げようと手を伸ばした。
 ところがその石は、ラッキーの手が触れる寸前になって突然、地面の中に引っ込んだ。おや、とラッキーが石のあった場所に出来た穴を覗くと、一匹のジャイアントモールが彼の胃の中に納まる筈だった石を咥えている。
「とられた!」
 ラッキーはしばらくそのジャイアントモール、ギーシュの使い魔であるヴェルダンデと睨み合う。ラッキーとしては、ヴェルダンデが背を向けて戻るか、あるいは石をそっと差し出すことを期待していたのだが、根負けしてついと視線を逸らしたのは彼の方だった。
 周囲を見渡しても、目ぼしい石は他に見当たらない。
 厨房を預かるマルトー親方から、忙しい時間帯でなければ厨房を借りても良いと言われていたことを思い出した。ラッキーは料理が全く出来ないというわけでもなかったので、どうにかして学院の庭から材料を幾つか見繕って、作ってみることにした。

 厨房へ向かう途中で、ルイズと鉢合わせした。
「あ、あああんた、ラッキーじゃないの。何よどうしたの。この先は厨房しかないわよ」
「へい! ちょっとチューパイを作ろうかと」
 妙なところで義理堅いところを見せて、厨房を借りる許可を貰ってから材料を集めることにしたのだろう。ラッキーは手ぶらだ。
「チューパイ? 何それ。ゴブリンの玩具? 珍しい遊び道具とか?」
「食いもんです。これがやたらうまいんです」
 ルイズは細い顎にしなやかな指を添えて、少しばかり考える仕草を見せる。
「それって食べ物なの? コック長、忙しそうだったわよ。また今度にしたら」
「いや、おいらが作るんです。マルトー親方はぜんぜん関係ないです」
「じゃあそれ、出来たら半分頂戴。ちょっと興味あるわ」
 小ぶりな唇を震わせて言った。ラッキーは人間の大将が自分の好物に興味を持ったことを嬉しく思った。それから、大将もお腹が空いているんだろうか、と思った。
「へい! わかりやした」

 昼食の後片付けだろう、厨房では殆どの人員が皿洗いに勤しんでいた。
「失礼しやす! 厨房借りに来やした」
「あん? ラッキーじゃねえか。どうした」
「へい。ちとチューパイを作ろうと思ったんで」
「チューパイ? パイか。ああこらそこの鍋は触るな。よし、夕食の仕込みまではまだ時間があるから、好きに使って……」



 出来上がったパイを日の当たるテーブルに置いて、ラッキーはルイズを呼びに行くことにした。
 そして連れ立って戻ってきた一匹と一人は、チューパイから具がごっそりと抜かれていることに気づいた。

「え、うそ。これがチューパイ……? パイ生地だけじゃない」
 口に手を当てて驚いてみせるルイズの隣で、ラッキーは真っ赤になった顔を持て余していた。慌てて周囲に視線を飛ばすが、見える範囲には人一人居ない。作ったらすぐに食べないとなくなる、これがまさかハルケギニアでも適応されるだなんて思っていなかった。
「具を乗っけたはずなんですが。ちくしょう、なんてこった」
 ルイズは僅かばかり白い目を己の使い魔に向けた。ラッキーは指折り、自分が思いつく範囲での怪しい人物の名前を挙げていく。
「マルトー親方? 隣の部屋の赤毛? ぎ、ギーシュの旦那? そういえば、結局石は貰えなかったし、なんかおいらのこと嫌いみたいだし」
「ラッキー」
「へい!」
「あんた自分の名前も入れときなさい」
「へい! わかりやした。じゃあ怪しいのは親方と、赤毛と、旦那と、おいらと……おいら? なんでおいらが盗むんだろ。まあいいや、おいらと」
 ちなみにあれ以来、下着盗難事件は起こっていない。
 ルイズは腕を組むと、一度パイに視線を落として言った。
「仕方ないわね。チューパイはまた今度にしない? 今日は忘れましょ」
 僅かばかり嬉しさを含んだ声音に、ラッキーは眉を寄せた。
「なんか大将、さっきからやたらと……。あっ、もしかして?」
 すぐさまルイズは拳を振り下ろした。
「あいたっ!」
「馬鹿言ってんじゃないの! ああもう、解ったわよ。私も犯人探すの手伝ってあげる」
 勢い良く使い魔の手を引いて、ルイズは先ほどラッキーが挙げた数人の、それぞれのアリバイを確認しようと一歩踏み出した。そして、気まずい雰囲気を払拭するように、あれこれと話を振り始めた。
「そういえば、チューパイってパイよね。なんでチューなの?」
「へい! こう、パイがチューチュー鳴くんです」
「え、あんたもしかして具はネズミですとか言ったりする?」
「へい、ネズミです。他にも色々入れるんですが、ネズミ以外捕まんなかったので」
「へ、へぇ。私は人間だから、ネズミは煮ても焼いても食べられないわね」
 ラッキーは足を止めて言った。
「大丈夫! チューパイにはネズミを生きたまま入れるんで、ほら。大将も生なら大丈夫ですかい?」
「生? 生きたまんま?」
「へい! こう、パイがチューチューとですね」
 ルイズは使い魔の頭に何度も何度も拳を振り下ろした。
 ラッキーが調理法を教わったゴブリンの言葉をもう一度確認すると、チューパイは作ってすぐに食べないと、具がどっかいっちまうのである。



 その日のラッキーの夕飯には、彼が生まれてから一度も見たことが無い程上等な肉が出た。そっと主人の顔を窺うと、彼女はぷいと顔を逸らして矢継ぎ早に言った。

「パイなんか食べちゃったら、あんたのお腹がいっぱいになると思ったんだもん!
 だからね、私が半分食べたらあんたも、ちゃんと食べれるかと思って……。あんたは私の想像以上にばかだったけど」
「へい! ありがとうございやす」
「それから、これはエレオノール姉さまが勝手に送ってよこしたお肉なんだから、別にあんたのために取り寄せたわけじゃないんだからね!」
「へい! わかりやした」
「あと、そうだわ」
「へい?」
「ありがと」
「どういたしやして!」
「ちい姉さま、ご病気が良くなりそうなんだって」
 ラッキーは何も言わず、上等な肉を口いっぱいに頬張った。



宴はまろやか・第六話
溶接工、または修繕屋、あるいは武器鍛冶――いずれもゴブリンの


 人の手に指が五本あり、それぞれ関節が三つずつあるように、ゴブリンにも同じだけの指と関節がある。特に親指、人差し指、それから中指は小器用に動く。ひょっとすると人間よりも早いのでは。ルイズは己の使い魔の手の動きを見ながら、そんなことを思った。
 ラッキーは右手の、親指と中指をこすり合わせることに四苦八苦している。
「あ、だめよ。中指と薬指を重ねてはだめ。指を一本多く使ったからって、大きい音がでるわけじゃないの」
 ラッキーの、眉間の先に右手を出してみせて、ぱちん、と小気味よい音を鳴らす。連動してテーブルの上、小型のランプから明かりが消えた。ラッキーが羨ましそうに呻く。ルイズは間を置かずにもう一度指を鳴らし、明かりをつけた。
 指の音に反応してついたり消えたりする魔法のランプは、この部屋の中では最も安価な家具の一つだ。ルイズの部屋では、天蓋つきのベッドも、引き出しに鍵のある机も、最高級の魔法が用いられていない家具が選ばれているが、ランプは違う。
 ルイズの部屋は統一感に欠ける。長姉は当の昔に学院を卒業してはいたが、彼女が寮に入る際に揃えた家具はそのまま、勤務先のアカデミーの近くに構えた屋敷で使われている。次姉は病弱故に家から出ることはなかった。そうして、二人居る姉からのお下がりを譲り受けることなく、一年前の学院入学の折、父ヴァリエール公爵から与えられた上限の無い予算で部屋を整えた。
 貴族、平民、それぞれ最高峰の職人が共同で作り上げた品、次に平民の職人が匠の技で作り上げた品、続いて貴族の職人が魔法を駆使して作り上げた品、最後に平民の職人が人数に物を言わせて数を作り上げた品。求める際の費用の高い順に並べると、こうなる。ルイズの部屋には二番目の、平民の職人による最高級品が多い。一番目の魔法が付与された家具には、彼女が使えない物も多いからだ。ちなみにランプは三番目の品に当たる。
「ほら、もう少しよ。一回鳴ればすぐだから。あんたにもすぐに、つけたり消したり出来るようになるの」
「へい! がんばりやす」
 その日の晩、しばらく不規則についたり、消えたりを繰り返していたルイズの部屋は、何かを祝うように連続で点滅した後、就寝時間を大幅に過ぎて消灯した。


/ 溶接工、または修繕屋、あるいは武器鍛冶――いずれもゴブリンの


 毎朝清々しい目覚めを迎え、貴族に見合った豪勢な朝食を取り、学生の本分である学びに精を出し、やはり貴族に見合った豪勢な昼食を取り、そして勤勉な幾人かがその日の復習のためにテキストを開くのを横目に見ながら、各々相手を見繕って会話に洒落込む。
 魔法学院に通う貴族の子女はこうして日々を過ごす。ギーシュもその一人だが、最近は、普段ならば気の緩む午後こそが本番だった。
「ギーシュまたなの?! あんたね最近しつこいのもうどっか行っちゃいなさいよ!」
 モンモランシーの声が中庭に響く。ダンスホールの音楽を遮らないための、手のひらで口元を隠す上品な笑い方。貴き貴族の隠すべき姦計を、隣人の耳元で囁くときの話し方。学生であっても貴族であれば自然と身についているものだ。歓談のための中庭とはいえ、貴族がいくら集まっても騒々しくなることはない。
 そんな静かな場を壊す大声を出したモンモランシーに、非難の目を向けるわけでもなく、集まっていた生徒たちは自分の連れ合いと視線を合わせて席を立った。今日はこの中庭が戦場らしい。
「いい加減あなたには愛想がつきたって、言ってるでしょ?」
「でも、でも聞いてくれモンモランシー。あれは本当に誤解なんだよ」
「うるさい!」
 モンモランシーはギーシュの弁解を切って捨てながら、今日の授業のページを開いて投げ出していたテキストを閉じ、テーブルの下で組んでいた足を解き椅子を僅かに引いた。中庭を去る準備は万端、直ぐにでも立って貴男とはさよならするわ。そんなメッセージを込めたつもりで、モンモランシーは眉を寄せた不機嫌な顔をギーシュに見せ付ける。ギーシュの声に一層悲痛さが混じり出す。
 ちなみに見る者が見れば、一連のモンモランシーの動作で、彼女の前に一人座れるだけのスペースが出来上がっていることに気づくのだが、生憎と他の生徒たちは全て立ち去ってしまっていた。中庭にはギーシュとモンモランシーしかいない。
「今日は君のための詩を書いてきたんだ。一週間、納得のいくフレーズが見つかるまで僕は、食事が喉を通らなかった」
「昨日持ってきた五日かかった歌は何よ! 一昨日引いてきた準備に十日かかった馬は、一ヶ月かけて見つけてきた遠出のコースはどうなったの!?」
 神妙に目を伏せてギーシュが差し出した手紙の束をひったくってから、モンモランシーは言った。ギーシュの口もよく回るが、モンモランシーもよく覚えている。ちなみに乱暴にギーシュの手から巻き上げられた手紙たちは、目にも留まらぬ速さで彼女のマントの裏に仕舞われた。
「ああ、モンモランシー。怒らないでくれ。そうだね、僕もちょっと長すぎるとは思ったんだ。でも伝えたいことがたくさんありすぎて……。
 そうだ! 今この場で君のために朗読しよう。心配はいらないさ。僕の正直な気持ちのまま綴った詩だ。内容は全部覚えてる。出だしはこうさ。
 僕のいとしいモンモコラブッ」
 ギーシュは吹き飛んだ。



「爆発が失敗っていうよりも、私の魔法だっていうのは解ったのよ。使いどころが難しいけど、結構すごい魔法だってことも」
 ルイズは底に薄くワインを敷いたグラスに、蜂蜜と、レモンの絞り汁を混ぜた水を入れてかき混ぜながら言った。部屋の床に座るラッキーの前には、レモンを垂らしただけの蜂蜜が置かれている。昼食後すぐに自室に戻る生徒は少ないが、居ないわけではない。
「へい。そうですね。ぼんばかぼんばかって聞こえると、おいらなんだか楽しくって」
「そうよね。ラッキーの故郷だと、毎日聞こえる音なのかしら」
 ところで、とルイズは言った。
「ラッキーの能力って、何なの?
 何か特別な力があるみたいなこと、言ってたけど」
 使い魔の前では気風の良い素振りばかり見せてきたルイズが、些か不安げに伺ってきたことに気づいたのか、ラッキーは胸を叩いて返事をした。良いところを見せてやりたい。
「へい! ええと、ちょっと待ってくだせい」
「準備がいるの?」
「へい。相手が必要っていうか……。ちょっとギーシュの旦那にお願いしてきます」
「ギーシュ? なんであいつに」
「一回手伝ってもらったことがあるんで」
「ふうん。解ったわ、いってらっしゃい。後から説明してくれるだけで良いから。私は部屋で待ってるわね」
「へい!」
 慌てて立ち上がり、駆けだす。少しの間を置いてからラッキーは、自分の他にゴブリンをもう一匹ほど連れて戻ってきた。
 
「ギーシュ、ほら、頭よこして」
「うう。僕は……」
「良くわからないけど、ルイズの使い魔があんたのこと叩いて逃げてったわ」
「なっ! ま、またルイズか……」
「ほら動かないの。あんまり可哀想だし、膝貸してあげるから」
「モンモランシー……僕は、僕は」
「はいはい。解ったからしばらくこうしてなさい」



 ルイズの前で二匹のゴブリンがしゃちほこ張っている。
 一匹は知れた己の使い魔だ。緑色の肌を晒して、腰布一枚だけを纏っている。剥き出しの上半身、二の腕は特にルイズのそれよりも細く頼りない。だが、これで良く出来た使い魔で、とても気のいいやつであることをルイズは知っている。
 もう一匹は赤い全身を覆う服、ツナギという種類の物らしい。ゴブリンの種族衣装だろうか。それから眼鏡と、頑丈そうな手袋。腰には不思議な道具が幾つも提げられているが、ルイズには鉄鎚しか解らなかった。
 二人が踏ん反り返っているせいでちらちらと見える、赤みがかった鼻頭がどこか笑いを誘っている。
「それで、ラッキー」
「へい!」
 ルイズは思い切って尋ねた。
「どこから出したの」
「へい! ええと、中庭から連れてきやした」
 ラッキーがたんこぶを作って沈黙した。
 ルイズの誰何は隣へと向けられる。
「それで、あんたは?」
「へい、溶接工です。ベルドって呼んでください」
 ルイズは腕組みした。軽く名乗ってから鉄鎚をお手玉してみせたゴブリンを、上から下まで眺めてから、指先でラッキーの腫れた頭をつつく。
「ラッキー起きて」
「へ、へい! あいたっ! 大将、何ですかい?」
「今まで気づかなかったけど、おかしいのよ。
 ゴブリンって未確認の種族でしょ? なんで最近になってこんなに沢山、しかもあんたの友達ばっかり出てくるわけ」
「そういう能力でして」
 眉を寄せて問い詰めようとしたルイズだったが、あっさりとしたラッキーの答えに拍子抜けしてか、浮きかけた腰を椅子に落とした。
「あ、うん。もう一回聞くわ。どうやって出したの?」
「へい。それはもう、昔々あるところに……」
「もう聞かないわよ」
「説明しやす」



 敵を定めて、殴る。ゴブリンを喚ぶ。ゴブリンでさえあれば、ラッキーのような下っ端から一国の王まで、どんなゴブリンでも召喚することができる。
「ゴブリンなら誰でもって、貴族で言えば女王陛下とか、学院長とかも?」
「へい! そうです」
「ちょっと違いやす。人間で言えば女王陛下とか、学院長とかを召喚できやす。
 おれみたいな溶接工も、こいつみたいな下働きも」
 早々と相槌を打ったラッキーに追従することなく、ベルドは訂正を入れた。有用であることは貴族であること、魔法使いであることと必ずしもイコールではないのだ。
 ルイズは己の使い魔の、腫れた頭を軽く叩いた。
「じゃあ、たまに料理長と一緒になって遊んでる五匹組もあんたの能力?」
「へい」
「銃ぶら下げて学院の塀の外をうろついてるあれも?」
「へい」
「じゃあ、これは?」
「へい! そいつは、ええと」
「あ、おれですかい? いくらか時間を貰えれば……。
 うーん、ちょいと部屋の内装でも変えてみせましょうか」
 ルイズは腕を組んで唸った。正直に言えば、この部屋は自分なりに考えて彩ったものだ。多少の愛着はある。ルイズは足も組んで唸った。
「おいらからもお願いしやす。ベルドはおいらたちの中でも特別賢いやつでして」
「よし。任せてみる」
 ルイズは一切をゴブリン達にまかせて、部屋の外に出た。
 
「あっ、モンモランシー、あれ?」
「静かにして。寝てるの」
「……んと。私、彼に謝りに来たんだけど。うちの使い魔が失礼したみたいだから」
「そう」
 本来向かい合う形で置かれている椅子を二つ横に並べて、モンモランシーの膝枕で眠る男子生徒が一人。
「ふうん。へぇ。へぇえー」
「ちょっと、何よルイズ。嫌な笑い方してる」
 ルイズはギーシュが当分起きそうにないのを確認してから言う。
「いいえ、別に。ええと、そうだわ。『ごめんなさい、ギーシュ』」
「……。はいはい。『ありがとう、ルイズ』」
「どういたしまして。素直じゃない奴ぅ」
「お互い様!」
 眠っているはずのギーシュが、居心地悪げにモンモランシーの膝へ顔をうずめた。



「張り切って大将の部屋を改造?」
「そこまではしねえよ。そうさね、おれ特製の便利道具でも造るかい」
 主人の居ない部屋で、ラッキーとベルドが向かい合い座っていた。ベルド自身は溶接工と名乗っているが、がらくたから新しいものを造ることを得意としていた。何かと発明好きの教師、ミスタ・コルベールの部屋ならば別だったかもしれないが、ルイズの部屋にがらくたなど無い。
「無いものはもってこい、ってね。この椅子をばらして使おうか」
「なるほど。それで、無くなった椅子はどうすりゃいいんだ?」
「それはな、ま、ばらすってことはほら、元通りに組み立てられるってことさ」
「そうか! やっぱりお前は頭いいな」
「そんなに褒めるなよ」
 楽しそうに手を叩くラッキーに、ベルドは頭を掻きながら笑った。
「で、何造るの?」
「木っていえば棍棒だろ」
「そういやそうか」
 ベルドは取り出した刃物で、椅子の足を削り始めた。ラッキーがそれを眺める。
「上手いもんだなぁ」
「だろ? おれの得意は鉄だけどよ。こういうのも、よっ、ほっ」
「やっぱ何でも出来るゴブリンは違うね」
「そうでもねえよ。あんまり褒めるなって」
 やがて椅子の足が棍棒の形を成してきた。先端は丸く整えられ、握りを細く削る作業に入った。
「お、できたぞ。……あぁ、ちょっと小さいか?」
「大将はおいらたちよりも大きいからな。すげえ小さいんじゃないか?」
「よしきた。都合良いことに椅子の足は四本あるからな。あと二回失敗できるぞ」
「三回じゃないか?」
「三回かも」
 少しして、同じ大きさの棍棒が四本出来上がった。
「……おれは頑張った」
「ああ、ベルドは頑張った」
「決めた。火薬で証拠隠滅する」
 おもむろにベルドは腰布から、黒色火薬を取り出した。結構な量だ。彼は小器用に片手でマッチを擦って見せる。たよりなく揺らめく炎に、緑色の顔が照らされている。
「そうかい。ところでそれってぼんばかの素?」
「ああ。火薬な」
「ぼんばかの素だろ」
「まぁそうだけど」
「ところでそのぼんばかって、どれくらい?」
「どれくらいって……それなり」
「それなりかぁ」
「それなりさ。火つけるぞ」
 何かに気づいたラッキーが、突然ばねのように机に向かって飛び込んだ。
 ルイズの部屋は爆発した。



 突如聞こえてきた爆発音に、ルイズは慌てて自分の部屋へと駆け戻った。遠くから聞こえた爆発音と、すぐ近くに居るルイズの顔を見て不思議そうに首を傾げる生徒を何人も置き去りにして走る。そして隙間から煙を吐く部屋のドアを、力いっぱい押し開けた。
「ラッキー! 何があったの!?」
 部屋の中には、うつ伏せに倒れたラッキー、仰向けに倒れたベルドがそれぞれ転がっていた。床には煤焦げた跡が見られる。椅子が見当たらないので、木っ端微塵に吹き飛んだのだろうか。
「ねぇ、ラッキー。あんた怪我とかは……」
 煤の跡は、ラッキーの背中にもある。いささか淑女とは言いがたい慌てぶりを見せながら、ルイズは使い魔の体をひっくり返した。腹の下から、ランプが一つ姿を見せる。
 昨日一緒に話の種にした、安っぽい魔法のランプだった。



「次の虚無の曜日ね」
「へい?」
「買い物に行くわよ」
「わかりやした」
「まず椅子ね」
「すいやせんでした」
「それから、魔法の小物店に行きましょう」
 ルイズはベッドに座り、足を揺らしながら言った。
「きっと面白いものがあるわ」