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ていおん! A面

 私の右手、右の指。
 ヤニ臭い。爪の形がいびつ。左手より一回り大きい。
 ケーキフォークで手元のモンブランを崩した。我ながら、弦だこのせいでいささか窮屈な印象を受ける。
「オリジナルかカバーか、聞いてなかったなァ。
 メールで……いや、今日はいいか。作曲か編曲か、どっちにしろ大変だ」
 大変だけれど、面白そうだ。メジャーでも滅多に見ない。あまり参考先も探せない。
 だが、パートナーの心配は必要ない。かなり上等。
 腕も十分。何よりスタイル、髪型、身長、私と瓜二つなのがおいしい。
「秋山澪、だっけ。ステージで並んだら見栄えよさそう」
 綺麗な黒髪の娘。私と同じで長髪が腰まであるのは、私と同じくらいそれが映える長身だから。
 わくわくする。
「あと、何よりレフティなのがいいなァ……。ポジションに気を使ったことはなかったけど」
 ステージの立ち位置だなんて、ライブハウスなら適当で当たり前。けれどこれからは、シンメトリーを意識してみようか。
 狭い店では押し込まれるように決め、シールドをめいっぱいに張って強引に取っていた立ち位置、新しいバンドでは澪と二人で決めるのだ。
 自然とフォークを置いて、五線譜にペンを走らせていた。逸っている。
 二小節書き上げ、メロディにぎっしり詰まった音符の一つ一つにコードを振ってから、ギターを殺す気かと苦笑して添削作業に入ろうとして、また苦笑した。
 できるのだ、これが。キーボードの紬には泣いてもらおう。彼女には迷惑をかける。
 新入生なりに先輩のあれこれを想像しながら部室を訪ね、まず全員卒業しているという言葉に驚いた。しかし、新入生同士で組めるのなら楽しい話でもある。
「けれど、あれは、驚いた。本当。むしろおいしい」
 本当においしい。単純に被っただけなら諦めるところだった。澪がレフティなのも上等だ。
 軽音の部室に一年生が三人集まって、一人がドラマー。二人がベーシスト。
 どう考えてもドラマーの奪い合いになる場面で、しかも私ではないもう一人とそのドラマーが幼馴染という場面で、ベースを提げて立つ私と澪の姿は瓜二つだったのだ。
「これはツインベースしかないっ! いいじゃん、やってみようよ」とは田井中律。
 そして合唱部の見学をと音楽室にやってきてしまった琴吹紬を丸め込み、入学時点では部員なしだった軽音部も現在四名。
 顔も知らぬ先輩の卒業で廃部の憂き目を見たはずだが、なんとか部として申請できる人数でもある。
 メンバーはBa1、Ba2、Dr、Ky。ボーカルもギターも居ないが、ギターの音はキーボードに、ボーカルはベースが兼任すれば良い。ツインベースでツインボーカルというのもありだ。
 何にせよ、十分いける。
 私は一息ついて、煙草に火をつけた。
「あー……おいおい汐ちゃん」
 突然、マスターの声で自分の名を呼ばれた。行き着けの喫茶店だけあって顔見知りだ。
「何か?」
「いや、うちの店は狭いし、禁煙の席なんてありゃしないが……」
「え? いつも吸ってるじゃない。それとも趣旨換え?」
 今座っているのも、長年かけて築いた常連の席だし、置いてある灰皿の傷には愛着すらある。
「汐ちゃん身長あるから今まで何もいわなかったけどな、その席道路に面してるだろ?
 で、汐ちゃんはこないだから高校生なわけだが……」
 そう言ってマスターは一拍置くと、小声で続けた。
「私服だった中学と違って、制服で帰りに寄って一服はまずいよ。外から見える席で」
 確かにその通りだった。
 私は慌てて火をもみ消した。
「いやァ……失礼しました。
 この店で一番外から見えない席ってどこ?」
「いい機会だし禁煙はじめりゃいいんじゃないか。
 見えないってだけならこの席がそこの……何ていうんだ、緑で隠れるんだが」
 カウンター奥を指してから、店の中央にある大柄な観葉植物を指した。植物には詳しくないが、マスターも名を知らないらしい。
「じゃあ今度からそこに座ろうかなァ」
「やめろ。わりと人気席なんだ。日に何時間も占領されちゃ困る」
 確かに、日に何時間も禁煙中のマスターに煙をぶつけるのは忍びない。
「まァ、吸う理由もなくなったし……。ホントに禁煙考えてみよっかな」
 中学のころ、学校でメンバーが見つからず、楽器店のフリースペースに貼られた募集チラシから適当なバンドを選んだ。
 全員社会人で愛煙家。ギターとドラムスは節度ある人だったが、ボーカルが面白がって中学生の私に煙を吹きかける人だったのだ。
 最初は面白いように反応していたのだが、次第にばからしくなり、気づけば同じ柄を吸っていた。残りの二人に、ボーカルが散々責められていたのを思い出す。
 製作ドラムス、撮影ギターの、ぼこぼこに晴れ上がった顔でピースサインを取るボーカルのアップ写真は、今でも机に飾ってある。
 私の中学卒業にギターの転勤が重なって、先日解散した。
「あの子たちは当然、吸わないだろうし」
 新しいメンバーの顔ぶれを浮かべる。そして気になるのが澪のこと。
 私と立ち姿がとても似ていて、同じベース、そしてレフティ。
 そのまま思考はライブシーンに飛ぶ。どんな演奏ができるだろうか。どんな曲を弾くだろうか。そしてどんなパフォーマンスができるだろうか。
 ステージで散々に跳ね回るようなことは、なさそうだ。律はついてくるだろうが、澪と、特に紬を殺してしまう。まだ触れ合って間もないが、そのくらいは分かる。
 根が純な人にパンクなパフォーマンスをさせてしまったときの居た堪れなさ。
 私は知らないけれど、先のボーカルの高校時代の知人が凄い事になったらしい。
「大人しくて、でも目立つパフォーマンスとか……ねェ」
 いっそのこと見た目勝負で行ってしまおうか。左右で開くように立つツインベースはインパクトがあるだろう。
「私と澪が全く同じ格好するとか。
 利き腕が違うから、遠くのオーディエンスが見間違うこともないだろうし……って、そんなに広い箱で演奏する機会もないかァ」
 ティーカップの底が見えて、律が武道館と騒いでいたのを思い出した。
「まァ何にせよ、禁煙しますか。もう卒業まで吸わない感じで。
 ……マスタァー、私禁煙するからね、咥えたら止めてちょうだい」
「お、決心ついたか。よしまかせろ」
「で提案なんだけどこの席、禁煙席にしない? 最初から灰皿ないやつ」
「そこ汐ちゃんだけの席じゃないから」
 しばらく禁断症状に悩まされるだろうな、と恐々としつつ私は、煙が抜け切った後の、素のままの自分の作曲、演奏技術をどこまで鍛え上げられるか、とか。そういうことを考えていた。
「マスターこれいる? あと4本」
 ライターの下に置いていたショートホープを見せる。
「いらん。儚い希望って縁起悪いだろう」
 彼の銘柄はショートピースだったように記憶している。大差ない、むしろ酷い。
「じゃァ席に置いてって構わない?」
「……汐ちゃんのって言えば持ってく男は居るな」
「よしきた」
 窓に立てかけておく。愛煙家の集まる喫茶店だから、誰か貰ってくれるはずだ。
 そして貰い物のライターをポケットに入れる。これを点す機会は随分減るだろう。部屋のどこに仕舞おうか。
 すっかり気持ちがあの軽音部に向いていた。私の煙草で、彼女たちに迷惑をかけるわけにもいかない。

「菊池汐、喫煙で停学一週間、部活動禁止一ヶ月」
 遅かった。
 翌日ホームルーム後に呼び出され、私は自分の迂闊さに空を仰いだ。





「ほんっとうに、すみませんでした」
 一週間過ぎ、七冊目の反省文を昨日提出し終えた私は、律と澪贔屓の喫茶店で三人に頭を下げていた。
 四人とも私服で、私はAスカートと白のカーディガン。普段より地味な装い。
 右手に重ねた手錠型のアクセサリーが擦れて鈍い金属音を立てる。来る前に求めたものだ。
 パンクなコーディネートは好みから外れているので、それだけ浮いている。これに合わせようという気持ちもなかったが。浮いているくらいで丁度良いのだ。
 視界の隅で蛍光灯を反射している。
「……私は、汐が反省してるなら何も言わない」
 澪がため息をついて言った。頭を下げているため、彼女の表情は見えない。
 澪の詳しい内心を察するには時間が足りない。全てこれからだった。
 新しいバンドの始めにケチをつけてしまったのは悔やみきれない。
「と、とにかく、頭をあげて。私は怒ってないわ」
 隣席から紬の声。穏やかで落ち着く。心の毒が僅かに解された気がして、私は自戒した。
「ねぇ、汐」これは律。
「はい」
「ストーンズはどのくらい聞くの?」
「毎朝必ず」
 また暫し間が開く。右手のアクセサリーについて、私は真摯なつもりだ。
「……よし! 許す!」
 暫しして、険しい律の声が上がった。
「……ありがとう、みんな。迷惑かけました」
 私はもう一度深く頭を下げた後、顔を上げて、律の顔が笑っていることに驚いた。
 一人だけ、ポットままの紅茶をカップに注ぐ。見れば三人の前のそれは湯気が薄くなっていた。
 元よりそのつもりだったが、これは益々私が会計を持たねばならない。
「律さん、ストーンズって?」
「ローリング・ストーンズのこと」
「あ、聞いたことあるわ」
「さすがに有名だね」
 紅茶の赤い滝を切り、ポットを脇に置く。手錠が擦れて音を立てた。
「キース・リチャーズの話?」ふと澪が気づいたように聞く。
「それそれ」
「ストーンズのギター。リスペクト」
「汐さんは、ローリング・ストーンズのギタリストのキース・リチャーズをリスペクトなのね?
 それがどうしたの?」
 紬が笑いながらまとめた。
 私は右手をテーブルに上げ、手錠が良く見えるようにする。
「キース・リチャーズっていう凄いギタリストがいてさァ。ただこの人、麻薬中毒だったんだ。
 ……ストーンズは結構そんな感じだけど」
「そうそう、そのキース・リチャーズは10年くらいどっぷりだったんだけど。
 警察に捕まった後、もう絶対にやらないって、これから警察のお世話にはならないってことで、腕に手錠のブレスレットをしたのさ」
「律、詳しいな……ストーンズが好きなのは知ってたけど」
「そういうことだったのね。私、汐さんのファッションなのかと思ったわ」
 紬の勘違いに気恥ずかしくなり、右手をテーブルから下ろそうとして、そのまま頬を掻いた。
「学校では、カバンにつけるつもり。ベース持つときは勿論腕に嵌めるよ」
「……わかった。汐のことを信じる」
 澪がケーキにフォークを入れた。
「あたしは汐のリスペクト具合を信じる」
「なら私も、汐さんのリスペクトを信じます」
「リスペクトはもういいよ……」
 全員がケーキを崩すのを見届けてから、私もフォークを持った。
「そういえば、部活の用紙は私の停学中に出してくれた?」
 停学中、ずっと気になっていたことだ。
「あー……それがさ、澪に言われて出しに行ったんだけど」
「なんで部長が部員に言われてから出しにいくのさァ」
「ごめんごめん。でさ、汐が一ヶ月部活動禁止じゃん?
 生徒指導の先生が出てきてさ、一ヵ月後じゃないと受理しないって言われちった」
「仕方ないよな。一ヵ月後から頑張ろう」
「ええ、頑張りましょう」
 律が笑いながら言い、澪も紬もそれには納得しているようだ。しかし一点だけ気になる。
「それって拙いんじゃない? 四月中に受理されないと部費でないんじゃ……」
「なんだと!?」
「そ、そうなのか?」
「いやァ、詳しくは分からないけど……。部費取れないと拙いよ」
 律が身を乗り出して聞いてくる。残りの二人は、驚いてはいるようだが、それならそれは仕方ないという姿勢でいる。
「ほら、文化祭とか、学校のステージでやるでしょ?
 ドラムとか、マイクとかの音量。あれさァ、業者に頼まないとできない」
 学校のステージのような、音響にさほど特化していない場所で演奏する場合は特にだが、単純に楽器をステージに集めてもまともな演奏にはならない。
 ドラムを生音で、ベースはアンプのボリュームを駆使してやろうとしても、どうにかなるものではないのだ。
「特にドラムはさァ、スネアからハイハットから、一つ一つにマイクをつけて、一度リハでプロの人の前で全員で演奏して。
 それでバンド全体の調和を崩さないように音響のセッティングしてもわらないと……」
「そ、それって放送部の人がやってくれるんじゃないのか?」
「高校生で出来る人はいないんじゃないかなァ。居たとしても、機材はないだろうから借りないと」
「それじゃ部費がないと! まずいじゃん!?」
「うん。拙い」
 席に沈黙が満ちた。
「あと、今のとこ大丈夫みたいだけど、軽音部が五月までないってことになると、音楽室の使用権とりにくる部もあるかもしれない。
 あの広さは四人の部活には勿体無いから、一旦取られたら取り返すのは厳しい」
 隣の紬が座りなおした。何か言おうとしたのか、しかし口を噤んでいる。
 次いで澪が乗り出した。
「それは、先生たちに頼んでおけば……」
「汐、生徒指導の先生に嫌われてるよあれは」
 律が切り捨てた。本当に、私の不良が響いている。
「みんな、ほんとにごめん」
「汐、私はもう許したよ。とにかく、部費と部室をどうするか考えよう」
 結局その日は、解決策が出ないまま解散した。


ていおん! B面

 軽音楽部
 一緒にバンドやりませんか?
 ギタリスト、ボーカル募集





「はじめまして! 平沢、唯です!」
「菊池汐。汐って呼んでよ。唯って呼ぶから」
「うん、わかった!」
 四月も後一週間となり、部員の焦燥が目に見え始めたころ、入学式から半月遅れて平沢唯がやってきた。
 部室に控えていた三人の歓迎が彼女を迎え、二日連続で音楽室のティータイムが開かれた。そして今日になって、校外に場所を移していた。
 汐が見つけてきた喫茶店である。彼女はやはり自分が会計を持つつもりで、伝票を引き寄せた。内心で慄く。予想はしていたが、いささか背伸びしすぎでもある。
「でも、本当に澪ちゃんそっくりだね!」
「だよねェ。ちなみに私は唯の二倍驚いた自信がある」
「本人だもんねぇ」
 些細な違いは随所にあるのだが、初見では驚くほかないだろうと、確かに誰よりも驚いていた当人らの片割れ、汐が笑って促す。
 会話を交えつつも、興味が眼前のケーキセットに向いていた唯を面白そうに見ている。
 唯はぱくりと一口咥えて、本当に幸せそうな顔をした。
「マスカラが下品で、態度が悪くて、右利きなのが菊池汐です。よろしく」
 化粧が上品で、品行がよろしく、左利きと言われた澪が赤面した。彼女の脳裏で、幼少のころ左利きを律にからかわれた苦い記憶が蘇る。
「ところで今日はァ、律が何やら悪い話があるとか?」
「う、うん。実はね、軽音部、汐抜きで四人になったから用紙埋めて持ってったんだけどさ……」
 水を向けられた律のたどたどしい口調、それが軽音部のこととなればなおさらだった。唯を除く三人が緊張した。
「この部員の欄、菊池が平沢を脅して書かせたんじゃないのか、って言われた……」
「またあいつかっ! あ、いやァ、ごめん。私のせいだった……」
「うわぁ。それは酷いな」
「そんな……。ひどいですわ」
「わ、私、汐ちゃんに脅されてないよ!?」
「うん、あたしもそんなことないって言ったんだけど、聞いてもらえなくてさ」
 律は椅子に背を預け、その場でつき返されたという、汐の代わりに唯の名が書き込まれた紙をひらひらさせた。
「たばこはもう止めたんだけどなァ」
「え? たばこ!?」
「ああっ、大丈夫大丈夫、ほら、怖い人じゃないから、ね?」
「これ! 汐さんの贔屓のモンブランなの。いかがかしら」
「ふにゃぁ……おいしいよぅ」
「……誤魔化せた!?」
 汐は申し訳なさそうに、手をつけていない自分のモンブランを、紬の前に移動させた。
「えェと……音楽の、山中先生っているだろ。茶髪でロングの。あの人軽音部のOGらしくて」
「そうなのか!?」
 澪の食いつきに驚きつつ、汐は続ける。平沢唯という少女が加入したと聞いて、初対面で距離をつめるためにと探してきたネタだった。
「私が中学まで入ってたバンドのボーカルが、先生と高校で組んでたらしい。
 そのボーカルにつられて吸ってたんだ」
「へぇ……山中先生、顧問やってくんないかな」
「そういえば、去年まで軽音楽部の顧問をしてらした先生も居るはずでしょう?
 説得を手伝ってもらえないかしら」
「私もそれは考えたんだけど、ちょうど転属したらしい」
 四人は揃ってため息をついた。唯は目の前に集められたケーキを崩す作業に忙しい。
「……でも、それはアリかもしれないな。生徒指導の先生に、私たちの演奏を聞いてもらえば」
「それだっ!」
「ええ! 良い考えだわ」
「真面目に活動するって証明すればいけるかなァ」
 にわかに活気付く。
「となると、準備期間は最大で一週間。まだ合わせてないから、あんまりレベル高いとこつく訳にもいかない。
 揃えるならァ、唯になる。……そうだ、ちょっと案がある」
 汐は手首の手錠を一度鳴らして、腹案を披露した。
「唯、ボーカルやらない?」
「ほえ? ボーカル?」
「ギター練習するって話だったけど、折角だしギターボーカルでいこう」
 楽器隊が皆知っていて、音源がある曲。
 CDを持っていた汐が唯を家に連れ、ボーカルの合意を貰い一晩かけて採譜した。
 律と紬が教師陣に頼み込み、演奏は四月の最終登校に二日余裕を持った日に決まった。




 生ドラム、キーボードアンプに、ベースアンプが二つ。
 そして中央にマイクスタンド。
 そしてベースを提げて居る汐を見て、生徒指導が拳を振り上げる。
「菊池! お前は部活動禁止だろうが」
「あァ……いえ、軽音部はまだ部として認められていないので、これは部活動じゃないですよ。
 というのが建前ですが」
 その言葉に一気に激昂する教師に頼み込むように、汐は言葉を重ねた。
「……提出用紙に名前をかけない私が、平沢さんを脅して名前を借りたんだという噂を聞きまして。
 でしたらァ、今日の演奏を私抜きの四人でしても、結局私が混じってからどうなるのか分からないじゃないですか」
 粛々と準備を始める律、澪、紬。全面に笑みを浮かべてマイクスタンドの前に立つ唯。四人が汐の語りに任せている。無言の同意。
 唯は何かを背負っている。
「そうじゃァないんですよ。軽音部で、このバンドは、これからずっと5人でやっていくつもりです。
 音楽性の違いで1人追い出すとか、そういうこと、絶対にしませんよ」
 汐も四人に遅れた調整を取り戻そうと、音を鳴らしながら言う。
「だから、先生にはこのバンドが、5人揃ったときの音楽を聴いてほしいんですねェ」
 準備ができた、と手を上げる楽器隊の三人、僅かに遅れて汐も頷く。
 唯が背負っていたものを下ろした。黒塗りの柄に、裾が広がった箒草。正しく掃除道具である。
 彼女は後付の、虹色のストラップで箒を首から提げた。そして裾の部分に右手を当てて、勢い良く縦に掻き下ろした。
「じゃららぁーん!」
 これでいよいよ真っ赤になったのが生徒指導の教師である。彼は一応腰を下ろしていたパイプ椅子から立ち上がり、そして大喝した。
「こんな子供だましが通じるわけないだろう! それともこれを演奏と言い張るつもりか!?」
「今のは! 今のは……えと、いわゆる音だしってやつなんです……。
 と、とにかく、最後まで聞いてください」
 澪が声を上げて遮った。内心で、このような大事な場面にも遊びを持ち込んだ汐と唯を罵りながら。しかし心のどこかで、ロックを体言する状況を楽しんでもいた。
 それを横目に汐は唯に視線を遣る。
「トチらないよね?」
「もっちろんさぁ!」
 唯がはきはきと答えた。そして一度、自分の後ろに立つ四人を振り返る。
 それぞれ楽器を構えて、力強く頷き返した。
「先生、平沢さんはァ、穴埋めでも、名前を借りるだけの存在でもないんですよ。
 このバンドになくちゃならない存在だし、たぶん、軽音部の顔になる」
 こんなレアタレント、と汐は口の中で呟く。そしてまた頷いた。
「いきます! 曲名は……な、なんだっけ」
「っはは、いいよォ。始めちゃいなよ」
 唯が誤魔化すように笑い、汐もまた笑みを見せた。二人とも、心底今の状況を楽しんで浮かべたものであった。
 一瞬、音楽室に静寂が落ちる。微動だにしない五人。
 それを破ったのは、中央に立つ唯の派手なパフォーマンスだった。
 天井を指した唯の指が振り下ろされる。
「べべるどどどでゅでゅでぃだだだにゃにゃにゃなななにゃ!」
 体全体をめいっぱい使った、箒を掻き鳴らすエアギター。
 床に座り込むように下へ下へと掻き鳴らし、一拍置いて唯はマイクにかじりつく。
「アイム! スキャットにゃーん!」
 そして一斉に演奏が始まった。





「スキャット? ねこ?」
「いや、猫じゃァないよ。歌い方の名前。
 ドゥルルとか、ダダダとか、ボーカルが口で言っちゃうやつ」
「にゃにゃにゃとか?」
「それはないよォ」
 汐は笑いながら、ラックを漁り目当ての盤を探す。見つかったのはスキャットマン・ジョンの名盤、スキャットマン。
「ウイスキーのCMしらない? ダルマのやつ」
「ランラララーララララララーってやつ?」
 いささか雑な例にもついてくる唯に、汐は笑顔を見せた。
「そうそう。あれの歌詞わからないよねェ」
「そうだねぇ」
「あれがスキャット。歌詞なんか最初からなくて、聞こえる通りに歌ってる」
「な、なるほど! なるほど……?」
「まァ、なんとなくでいいよ。ダルマのCMじゃないけど、とりあえず一曲かける」
 再生。

 三分半の演奏が終わり、オーディオがCDを吐き出した。
「唯が気に入らないようならァ、スキャットは止めて真っ向勝負でいこうかと思ったんだけどね。その顔を見ると澪たちに謝らなくて済むかな」
「うん、うん! これいいよ! かっこいい!」
 目をきらきらと輝かせ、手を握ってくる唯に汐は気後れして、誤魔化すようにベースを取った。
「じゃァ、特訓しようか。私が適当にメロディを繰り返すから、唯はそれに合わせて適当に歌って重ねる」
 汐は軽く音出しして、確かめるようにワンフレーズ弾いた。
「シュビドゥダンでも何でもいい。
 ……あァ、そうか。あれだよ唯。私さっき嘘ついたな。ごめん。
 にゃにゃにゃもスキャットだよ」
「にゃにゃにゃもいいの!」
「いいよいいよ。その代わり音外さないでね」
「がんばる!」
 その日、唯は汐が彼女から受けていた印象を裏切って、絶対音感を遺憾なく発揮した。





 唯が高々と一番のサビを歌い上げ、間奏に入る前の一瞬、汐は視線を走らせた。
 ほとんどの教師が唖然と、しかし新しい音楽に出会ったバンドマンのような喜色を仄めかせて凝視するなか、リズムを取って聞いてくれているのが二人。
 それぞれジャズ研究会と、吹奏楽部の顧問だ。
 スキャットは元来ジャズの歌唱法だから、前者に受けるのは想定済みだったけど、と汐はそこで考えを打ち切った。
 間奏に入る。

 澪と汐は視線を合わせて、ピック弾き、指弾きそれぞれの音の特色を重ねて一本のベースラインを作る。
 ピックによる激しい噪音と、それを次の噪音まで鮮やかに繋ぐ楽音が、二本のベースから吐き出され一色のメロディを奏でる。
 もっと沢山のことができる、ツインベースの真骨頂はこんなものではない、と豪語しつつも、今日の日のための妥協の中から汲み上げた二人の演奏。
 そしてこれまで小節間をコードで満たしてきた紬が、コード進行に忠実に、しかしアルペジオで、コードの構成音で自在にメロディを生み出して、ベースラインと楽しげに何度も交差させる。
 しかし間奏に入ってもなお、主役は唯だった。
「にゃにゃらにゃんにゃにゃにゃなななにゃ! にゃにゃなにゃー!」
 ボーカルが口を噤み、観客の耳を楽器隊のテクニックで楽しませるべき間奏の中で、唯はボーカルを辞め、一匹の楽器になりきっていた。
 自由自在に、気まぐれに、そして派手に箒を掻き鳴らす。
 小節ごとに区切られるはずの音楽を吹き飛ばすように唯の音は走り回り、小節の四分の三で、四分の二で唯は予定されていた音を使いきっていく。
 そして浮いた時間を儲けたとばかりに楽しむ。
 どれだけ注ぎ込んでも唯の音は尽きない。湯水のように、いくらでも浮かんでくる。それがスキャットマンというもの。
 そう言って煽った汐を信じ、唯は真実にしてしまうのだ。
 二番に入る。
 唯がボーカルを取り戻す。





 演奏は瞬く間に終わった。
 観客の数が少ないため小さな、しかし最大の拍手が送られる。
 五人は汗を拭いつつ、笑顔で礼をした。
「先生、これは……認めてあげても良いんじゃないですか」
 生徒指導の隣に座っていた教師が、隠して耳打ちした。
 耳打ちされた教師は、組んでいた腕を解き、一旦口元に手をあて、その後そのまま目元まで上にずらして、頬ごと覆った。
「……軽音部を認めるかどうかは、これから先生たちで会議して決める。
 お前たちはもう帰りなさい」
「わ、わかりました」
 汐たちが異口同音で答える。今できる精一杯の演奏だった。感触も悪くない。生徒指導の教師を納得させることができたかは、わからなかったが、きっと大丈夫。
 これからこの五人で、このバンドをやっていく。

 翌日律のもとに、担任を経由して許可する旨のメモが訪ねてきた。
 五人で一枚の紙を囲んで喜び合う中、用紙の裏に走り書きされた「次の演奏はいつだ」を見つけた紬が、そっと微笑む。
 入学して三週間、四月の終わりごろのことだった。