Re:Re-birth 01

 足元に何羽もの鳩が群がり、私が撒いたパンのくずを啄ばんでいる。彼らの黒く小さい瞳は感情を映すことをしないが、餌がなくなると気のない素振りで離れ、また撒くと慕うように近寄ってくる。単純だ。しかし愛らしい。
 平日の公園は存外、人気が多い。犬を連れた婦人も多いし、余所行きの服で寄り添う男女も多い。繁華街が近いからという訳でもないが、スーツ姿のサラリーマンもそれなりに見かける。私の他に鳩の餌を撒く者が居ないのは、鳩の数に限りがあるからか。私はパンをちぎる手を止めた。楽しかった。ならばこの楽しさを、一人で独占してしまうのは良くない。私は、隣に座らせていたウイスキーの瓶を持ち上げると、僅かばかり口に含む。人は多いが、ベンチの利用者はそれほどでもない。私はまた、自分の隣に酒瓶を座らせると、空を見上げた。鳩たちはもう、撒いた分の餌を食べつくし離れてしまった。誰かに配慮することもなく、足を組んだ。
「昼間からお姉さん、パンは鳩にやって自分はお酒ですか?」
 ふと、少女が声をかけてきた。顎の下で揃えた黒髪が快活で愛くるしい。私の隣の、酒瓶のための席を譲ってやる。少女は迷いのない動作で、空けられた席に座り、そして私の返事を催促するようにこちらを向いた。
「とても楽しそうでしょう」私は得意げに言った。
「はい?」
「朝からやっているんですが、これが楽しくて仕方がない」
 事実、楽しくて仕方がない。少女は何度か瞬きをした。
「老人か、世捨て人みたいです」不思議そうに言った。その顔に嫌悪感はない。
「そうなんです。老人と世捨て人の楽しみでね」
 その通りだった。ぴたりと言い当てた少女の慧眼に嬉しくなった。

 私には老後の楽しみがない。もっと言えば老後がない。三十歳までには死ぬ、らしい。よく解らない。意識する度に心臓が痒くなるから、普段はあまり意識しない。
「これでも働いてるんですよ。傾きかけた会社の受付嬢ですが。今日は強いて言えば、老人ごっこと、世捨て人ごっこかな」
「あれ。本当に世捨て人なのかと思ってました。ごめんなさい」少女は笑った。
「俗世なんて、捨てようと思っても、なかなか捨てられないものでしょ」
 私は少女につられて笑った。幻獣ハンターくらいしか知らないような、未開の地は少なくない。だが、全てを捨ててその世界に足を踏み入れる、思い切りの良さが私にはない。
 私は酒を煽った。
「お姉さん、使えますよね」唐突に彼女は話を変えた。
「うん? ええ、そうだね。君もそうか」
 少女の纏は美しい。年頃の少女には似つかわしくない、無駄のない纏だ。
「嗜み程度に。こいつは、ハンターの楽しみだろう」
「ライセンス、持ってるんですか?」
「持ってはいないよ。友人に教わったんだ」六年前に死んだが、気の良いやつだった。
「そうなんですか。ところで、手軽で本格的な世捨て人ごっこがあるんですけど」
 私は酒瓶のキャップを閉め、緩慢な動作で少女を見た。
「それは、どんな?」
「ゲームです。ゲームの中に遊びに行くんですよ」
 私は立ち上がった。少女の視線が私を追いかけるのを感じた。
「そろそろ帰るよ。明日は仕事なんだ」
「はい、頑張ってくださいね」
「ありがとう。私はヘラ」
「ご丁寧にどうも。エアル、十七歳です」
 空の瓶を尻ポケットに入れる。エアルに軽く手を振って、私は公園を後にした。


 翌日、私はまた酒瓶を傾けていた。
「ヘラさん、また会いましたね?」
「そうですね。こんにちは」
 私は苦笑した。昨日の今日だった。エアルの接近を感じ取り、鳩たちが僅かな餌を残して飛び去ってゆく。
「世捨て人ごっこですか?」彼女は昨日と同じように笑った。
「ええ。仕事、首になってしまって」
 退職金もほんの僅か、と私は指で小さく示してみせる。
「あ、そうだ。今ならどうでしょう」
「なんです?」
 それからエアルは、悪戯っぽく笑って言った。
「ゲーム、しませんか?」
「やりましょう」





Re:Re-Birth
[GREED ISLAND]





「お母さーん、ただいまー」
 日もすっかり昇り、昼食時まで幾分か残すのみとなっていた。エアルに手を引かれ、私は彼女の家に上がった。三人家族には些か大きすぎる家だが、屋内の隅々まで手入れが行き届いている。
「お帰りなさい。あら、本当に探してきたのねぇ」
「初めまして、ヘラです。お邪魔します」
「ふふ、ようこそ。ケイ=ホーライです。娘がどうもすみません」
 そう言って微笑んだケイ女史に私は、この人はスーツ姿が似合うだろうな、という場違いな感想を抱いた。一挙一動にむらが無い。しかし、ひまわり柄のエプロンも不思議と似合っていた。
 エアルの纏が、手足を縮こまらせた亀に似た印象を与えるのに対し、彼女の纏はたおやかだ。私は出来る事なら、私自身の念が形になってしまう前に彼女と会い、そして教えを請いたかったな。そう思った。
「娘さんに誘われて。遊びにきました」
「実は私の父が、孫の誕生日に、なんて言ってハンター専用のゲームを持ってきまして。あの子たちは学校が夏休みだからって、一日中ゲームばっかり」
 肩をすくめる仕草も様になっている。
「いい年した大人が夏休みでもないのにゲームで遊びに来るなんて、恥ずかしい限り」私は頭を掻いた。
 エアルが、ケイ女史の困り顔を見てよくやったと頷く。私はケイ女史に軽く頭を下げ、エアルを促す。エアルは軽快な足取りで、リビングの中央にある階段を駆けていく。
「あ、妹はもうやってるんです。ゲームの中に」
「ゲームの中?」
「そう。中に入ってやるんです」エアルはそう言って歯を見せた。
 そういえば、世捨て人ごっこに誘われて来たのだった。
「やり方は簡単です。ジョイステーションに手を添えて、錬をするだけ」
 メモリーカードを二人分挿し込んで手を添え錬をしたエアルに倣い、私は錬をした。


 簡単なチュートリアルを受け、階段を下りる。グリードアイランド(G・I)はカードを集めることを目的としたゲームのようだ。簡略によろしく、と言ったら"ブック"と"ゲイン"という魔法だけ教えてくれた。それ以外はカードを入手しろ、ゲームの中で確かめろ、ということか。
 G・Iの始まりの場所は、見渡す限りの草原だった。
「待っててくれたんですね」
 階段を降りきると、壁に背を預けたエアルの姿があった。ラフな格好の彼女はこの場所に溶け込んでいる。一度意識してしまうと、私のワンピースは酷く場違いだ。
「はい。それと、ほら」
 エアルの後ろ、柱の影から、同じ顔がもう一人現れた。
「初めまして、プティです。よろしく」
「ヘラです。よろしく」
「はい、よろしく。ところでいきなりですけど、敬語無しにしませんか?」
 彼女の髪はパーマがかけられていて、栗色の髪の艶は丁寧な手入れを連想させた。服もまた私と同程度には場違いだ。しかし外見と釣り合わず、中身は積極的らしい。私は笑って歓迎した。
「ああ、これでいいかな。粗野な喋りで悪いね」
「いーえ、ありがとう。ほら、姉さんも」
「そうだね。ヘラ、改めてよろしく」
 目元を軽く掻いて、エアルは私に右手を差し出した。
「お前、可愛いなぁ」
 私は手を握り返さず、両腕で抱え込んだ。エアルの仕草にどこかいじらしさを覚えたのだ。
「あ、だめ、だめよ。姉さんは私専用」
 そう言って割り込むプティにエアルを返してやる。じゃれる二人を横目に、私はチュートリアルで貰った指輪を掲げた。
「"ブック" こうかな?」
「あ、そうそう。そんな感じ」プティと手足を絡めながら、エアルが言う。
 僅かな煙とともに厚く大きい本が手の中に現れた。本の体裁を取ってはいるが、高級なカードフォルダーそのもの。スロットには番号が降られていて、01番から99番まで集めるとゲームクリアだそうだ。道は遠い。
「番号のないポケットは?」
「そこはフリースロットよ。500番台とか、1000番台のカードもあるんだから。ところでヘラさんチュートリアルすっ飛ばしたでしょ」
「なんのことかな。"ブック"」
 プティの言葉に笑って、本を仕舞う。二人のじゃれ合いも一段落ついたらしい。
「最初はどこに? 始まりの場所が街じゃないっていうのも、なんだか斬新だ」
「確かにね。このゲームは、最初の街も選べるってことじゃないかな」
 なるほど。
「私は左がいい」
「ヘラさんって即断だね。でもごめんなさい。私が右の街でバイトしてるの。今日は辞表出しにいかなきゃ」
 少し自由度が高すぎやしないか。
「花屋さん? ケーキ屋さん? それともペットショップ?」
「プティは花屋さん。よく解ったね」
「解りやすいよ」私は苦笑して応えた。
「ま、行こうか。プティ、ヘラ、歩いていこうと思うんだけど」
「わかったわ」
「構わない。道すがら色々教えてくれると嬉しいね」
 三人のパーティーで、リーダーは自然とエアルだった。
「よし、じゃあ行くよー。目的地は懸賞の街、アントキバです」
 二人が足に念を集中させるのを見て、私も倣った。歩くと呼ぶには些か早いペースで、私たちはアントキバへ向かった。





「嘘!? NPCじゃなかったのか!」
「モーションかけときゃよかった……」
「俺てっきり、『姉さんが迎えにくるから』ってイベントのフラグだと」
 アントキバを三人で歩くうち、そういった声がいくつも聞こえてきた。思わず噴き出してしまう。涼しげな、猫のような顔で知らん振りを決め込んでいたプティだったが、私とエアルの視線に少しばかり表情を崩した。まさに小悪魔だ。
 この街の事はプティの方が詳しいようで、エアルも彼女に先頭を譲っている。ふわふわと前を揺れるウェーブの髪に、エアルと顔を合わせて口をへの字に結ぶ。どちらも愚直なストレートなのだ。こうして手入れの行き届いた髪を延々と見せられるのは、何がとは言わないが負けているようで悔しかった。
 スパゲティの刑に処す。
「ひゃっ」プティが声を上げた。
「参ったと言え」
「あ、私もやるやる」
「ちょっ、何、やめてくすぐったいよ。姉さんも!」
「私は変化形の能力者で、念に自動スパゲッティフォークの性質を持たせることが出来るのさ……」
「ふざけんな!」プティの猫が逃げた。
 完璧にセットされていた髪が、あられもない姿を晒す。始めに往来の視線に気づいたエアルに促され、私たちは小さくなってその場を立ち去った。
 これは根拠の無い私の推測だが、恐らくこの街でのプティの株は地に落ちた。


 街からは、現実の往来との差異が余り感じられない。街路樹が植えられ、店は活気付いている。そこかしこに沢山の人が居るが、多くはNPCのようだ。二人が言うには、プレイヤーは指輪をつけているからそこに注意すれば判別はつくそうだ。ただし、手袋などで指輪ごと覆われてしまえば解らないらしい。
「リアルだな。壁や木の画像が二マスとってるせいで進めないとか、なさそうだ」
「ないわよそんなの。しかも例えが解りづらいし」
「イベントが無い建物の入り口に透明な壁があったりも?」
「それもないよ」
「……君らは仲が良いね」田舎者が馬鹿を言った気分になって、私は負け惜しみをした。
 二人はにこりと笑う。目的地についたようで、プティが足を止めた。
「ここよ、この中」

「おじさん、チームの組み方ってどうするれば良いんですか?」
「チーム? 一人の冒険はとても危険だ。良い判断だと俺は思うね」
 大きな通りの道具屋に入った。商品がカードの状態で収納されたショーケースを覗き込もうとする私の袖を引き、プティは店主にそう質問してみせた。
「別にどこに申請するわけでもないんだ。ぱっと見てチームらしかったら、それで良いと俺は思うね」
 行動を共にしていれば、チームとして扱われるということだろうか。細部までリアルなゲームだ。
「一つアドバイスをやろう。何度も言うが街の外は危険だ。頭数はそろえた方が良い。だが、沢山いれば良いってもんでもない。大体三人が丁度良いんじゃないかと俺は思うね」
 延々と動き続けていたNPCの口が止まる。引き継ぐように今度はエアルが喋りだす。
「こういうこと。プレイヤーの人に聞いた感じでも、三人じゃないと攻略できないイベントも結構あるみたいでさ。どうせなら最初から三人でやろうと思って」
「なるほどね」
「最初は呪文カードを少し買って、他のプレイヤーとの遭遇? 戦闘も少し視野に入れながらイベントに取り掛かろうと思う」
「指針がはっきりしてるなら助かるよ」
 私は頷いた。悪くないリーダーだ。
「私のお給料は全部で30,000Jとちょっと。姉さんは懸賞でいくら稼いだんだっけ?」
「少し使ったから25,000Jかな。ヘラ、今からマサドラに行くよ。徹夜で突貫ね」
「マサドラ?」
「魔法都市マサドラ。呪文カードはそこでしか買えないのよ」
 なるほど。
「一パック10,000Jで三枚入り。中身はランダム」
「シビアだね」
「そうだね。プティ、ちょっと見せてあげてよ」
 プティはバインダーを出すと、私に開いてみせた。フリーポケットのページだ。
 二パックだけ買ったらしく、投石が二枚、透視が一枚、暗幕が一枚入っている。
「プティ」
「ごめんなさい」
 中身を覗いたエアルが半眼で妹を見た。プティはぺろりと舌を出して謝った。
初心使っちゃったのかぁ。最初の場所にプティが居た時点で気づくべきだったよ」
「姉さん、ごめんなさい。でも過ぎたことは仕方ないわ」
「君が言うなよ」
「まぁ、過ぎたことは仕方ないよね。マサドラ行こう。まず目標は離脱三枚!」
 勇み足で歩き出したエアルを追いかけながら、プティと顔を見合わせた。
「その離脱、五パック(十五枚・50,000J)買って三枚も当たるようなカードなの?」
「逆よ。十パック買って一枚も入ってないのが普通なのに。姉さんったら」
 プティと笑いあう。姉も妹も、どちらも気さくで付きあい易い。





「おじさん、ぶたの丸焼きって知ってる? おじさんみたいなやつ」
「ぶたの丸焼き? 知らないな」
「じゃあぶたって知ってる? やっぱりおじさんみたいなんだけど」
「ぶた? 知らないな」
「じゃあ……」
「ちょっとプティ、NPCで遊んでないで行くよ」
「置いていくよー」
「あっ、はーい。姉さんもヘラさんも待って!」


 私たちの旅は、第一歩から頓挫していた。
 アントキバからマサドラまで、道なりにまっすぐ進むと、山賊が出る。暴力で脅しつけるわけではないが、変則的な方法で、情に訴える形で金や物を巻き上げようとするので、出来れば会いたくない。これが2Dグラフィックの相手なら軽く押し通ることもできるが、NPCとは言えこうも現実的な世界ではやり難い。
 そういう説明の後に、少し迂回したルートを取る、と言ったリーダーの判断を私とプティは支持した。ちなみにそのときは、迂回ルートの方の説明はなかったことに不安を持たなかった。安直に、片方が駄目ならもう片方は安全だと考えた。そんな馬鹿な話があるものか。
 私たちは遭難した。

「定期的に地図を見るとか、そういう努力はなかったっけ」
「暫く見てなかったよ」エアルが苦笑して言った。
「なんだか姉さん、いつになくうっかりね」
「三人目、ヘラさんがすぐに見つかって舞い上がってたのかも」
「はは、そんな風に言われると嬉しいね。でも現実は大変、地図はもう役に立たない」
 20,000Jで買ったという島の地図を広げてみても、何も映らない。訪れたところが順次書き加えられていくという、ゲーム的な要素。ただ、紙の上に描かれただけの地図ではないのだ。ゲームの製作者たちが、こういうトラップを用意してくることは予想してかかるべきだ。
「序盤のトラップじゃないわよこんなの……」
「道から逸れた時点で、序盤とかそういうのは当てにならないんだけど」
「あはは、ごめんね」
 やはり笑いながらエアルが言う。遭難自体は別段大事ではない。二、三日は凌げる程度の食料は持っていたし、果実生い茂る木々を見るに、自然から調達することも容易だ。ただ、地図だけが映らない。
 この条件下なら、簡単に起こり得るものが一つある。
「エアル、プティ。二人とも、現状は把握できてる?」
「はい! ええと、マサドラまでの道がわからない」とはプティ。
「水とご飯には不自由しない場所ではあると思う」これはエアルだ。
「地図上の正確な位置が解らない、そしてこの場所から離れずに自給自足ができる」
 そう言い換えてから、一度言葉を区切る。指を二本立てた私を見つめる二人の視線に、教壇にでも立っているような、不思議な気分になった。
「ここ、面倒な事に、盗賊の寝床にうってつけなんだよ」
 プレイヤー同士でアイテムを奪い合うのも、多人数同時参加のゲームならではだろう。食料の調達が容易なのは、最初の街の近くに罠を置いた、製作者なりの温情なのかもしれない。だが、悪意も手助けしてしまっていた。
「……悪いプレイヤーとの鉢合わせに警戒しろってことだね」
「わかったわ。注意する」
 二人揃って神妙な顔をして頷いてから、プティだけが一歩前に出て手を掲げた。
「あ、それならね? 私は花を中継して偵察ができるの。道の先の様子を探れるわけじゃないから、これからどうするか決めてからじゃないと使いづらいんだけど」

【妖精の腰掛】
 右手で触れた草花を一時的に念に覚醒させ、円を行わせる。草花の円から得られた情報は、プティも共有することができる。
 覚醒した草花は、円の中の、日光が当たっているもの全てから(円を行う草花自体には日光が当たっていなくても可能)一定量ずつオーラを集めてプティに送る。
 覚醒は三日三晩続くが、効果は日が出ている間のみ使用可能。

「塩気のある方に行こう。海沿いに動くのが多分賢い」
 地図が再び表示されるようになれば、どうとでもなる。難解なイベント、手強いモンスター。いずれも心が躍る。
「じゃあプティ、この場所に一輪お願い。円の情報はどのくらい離れてもプティに入ってくるの?」
「一輪だけなら二キロまでは大丈夫。でも、ちょっと間隔とってまた、になるのよね」
「そうだね。三輪くらいでローテーションとか、そのくらいで」
 私は錬をした。エアル、プティも会話を止めて私に続く。誰かがこちらに向かってくる。かすかに草木の揺れる音がする。

「誰だよ」
 ぎゅっと唇を結んでしまった二人に代わって、私は茂みの向こうに問いかける。呼吸を隠し、持久戦も辞さない体勢に入る。だが、すぐさま、そんな私を哂うように声がした。
「おい、お前ら。カードをよこせ」
 私は自分に言い聞かせた。想定の範囲内だ。
 だが手を打つことが間に合わなかったのも、また事実だった。





 周囲に馴染んだ色の服、握られた剣、そして一瞬にして、物理的に澱んだ空気。気配や臭いといった類のものではない。念だろうか。島のスキルか、アイテムかもしれない。眉間から垂れた汗を拭うつもりもなかったが、軽く上げた腕が普段より重かった。まるで動きに一定の制限がかかっているようだ。
「ヘラ、気をつけて。体が重い」後ろからエアルの声がかかる。
 私は軽く顎を引いて、相槌を打つ。
「お前ら、見ない顔だな。カードを置いて立ち去るなら何もしない」
 盗賊が刃をちらつかせて言う。私は少しだけ姿勢をずらし、盗賊を視界に収めつつエアルに目で窺った。彼女も決めかねているのか、難しい顔のままで、首を縦にも横にも振らない。私たちが垂れる汗も拭えずに構えているのは、相手の剣から私たちを怖々とさせる歪なオーラが湧き上がっているからだ。だが、私の勘や、念で覆った肌は別段反応しない。おそらく、"ゲーム的に良くない"ものだ。恐らくレアアイテム、出来る事なら剣を奪いたい。だが、盗賊は両手にグローブをしている。叩き落とす事も難しいだろう。
「私たち、ゲームを始めたばっかりでほとんどカード持ってないんだけど」
 エアルが言う。現状を打破できないことへの焦りか、僅かな時間を稼ぐ以外には何も生まない質問だ。とはいえ、私も相手の出方には注意を払っている。どう来る、どう出る。
「ゲームを始めたばっかり? ほとんどカード持ってない? 俺の知った事か」
 私とエアルがほぼ同時に悪態を吐く。ふと盗賊は何を思ったのか、剣の切っ先をぴたりと私に向けた。そして「移動系のスペルはここじゃ使えないぜ」と言った。プティが、カードを一枚取り出していたのだ。そしてそれをバインダーにはめた。

「そいつNPCよ!」
「NPC? 俺の知った事か」
 律儀にプティの声に形式ばった返答を返す盗賊を前に、私とエアルは大きく飛び退き距離を取った。退く瞬間に攻撃されることを警戒していたのだが、盗賊はにやにやとした笑いを顔から剥がす事なく、その場から動きもしない。私は更に、今度はゆっくりと、やや大きめな動作で下がる。一歩、二歩。盗賊のNPCは動かない。
 次はじりじりと前へ、盗賊へ近づいていく。一歩、二歩。五歩を過ぎたあたりで、盗賊は私に剣を向けた。決まりだ。
「エアル、離れよう。感知範囲がある」
「……なるほど。そういうこと」
 私たちが更に十歩離れると、盗賊は背を向けて茂みの中に戻っていった。


「くぅ、騙されたー!」エアルが伸びをして言った。
「本当に。さっきのはプティがお手柄すぎる」私もそれに追従する。
「あは、偶然よ」
 最愛の姉と、ついでに一応のパーティーメンバーである私が一方的に遣り込められていることに気分を害したので、投石でもぶつけてやろうとしたらしい。そして、目の前の盗賊を目標に選択できないことに気づいた。
「……困ったな」エアルがぼやく。
「一応聞くけど、何かあった?」
「姉さん、どうしたの?」
 不思議そうに尋ねるプティと違って、私にはおおよその見当がついていた。
「プティに呪文カード持たせるのは、やめとこうって言おうと思ったんだけどさ……」
 エアルはぽりぽりと頬を掻いて、乾いた笑いを漏らす。私も似たような表情で彼女に相槌を打った。今回はプティの呪文カードに助けられた。もう強く言えない。
 ぷぅ、と顔を膨らませたプティがエアルを叩くのを、少し離れた場所で見ながら、私は周囲に意識をやった。茂る木々の間に、僅かな波の満ち干が見つけられた。
「エアル、エアル。地図はどう? 向こうに海が見える」
「えっ? あ、今見る! ちょっとプティ許して!」
「ゆるしたげなーい。腕の代わりにマサドラまで手を繋いでくって約束するなら良いわよ」
 妹を御すことに動きをとられつつ、エアルはどうにか地図を取り出した。
「あ、映ってる映ってる。映ってるよ」
「よし、もう大丈夫かな」
 エアルの右肩から私、左肩からプティが地図を覗き込む。
「アントキバからここまでと、同じくらいあるね」
「同じくらいあるわ」
「直進の道にそれ以上の近道はないってことか……」
 マサドラ、アントキバと現在位置とで正三角形が描けるだろうか。一度エアルがマサドラを尋ねていたのが幸いで、地図の上で真っ直ぐ向かえばマサドラに着くだろう。海岸線に面しているので、方角に迷うこともない。
「しかし、本当に序盤だの何だのと言っていられない場所だね」
「そうかも」
 最初の目標、随分高くついたものだ。
「が、がんばろう……」
「ああ」
「はーい」

Re:Re-birth 02

「私の部屋のね、日の当たらない場所においてる観葉植物に、お母さんが毎朝窓辺に移動させなくても大丈夫なように作ったのが、この能力なの。妖精の腰掛って、言うのよ」
 プティの念は、草花を一時的に覚醒させ、円を行わせるものだ。そして円の中の、日光が当たっている物全てから一定量のエネルギーを徴収する。夜の太陽が月を経て地に光を落とすように、円の中の物すべてに、無差別に月の替わりを強要しプティの選んだ草花へとエネルギーを集めるのだ。日光が当たっている、というのは発動条件であって、日光そのものを集めているわけではないのが上手くできている。人間にも使える、人間から念を奪える。
「プティはガーデニングが好きなんだ?」
「そうよ。根暗な趣味って、笑わないでね」
「この子はこうやってすぐに謙遜するけど、自分では良い趣味だと思ってるんだ」
「ちょっと、姉さんのばか!」
「はは、そういうお姉さん。君の趣味は?」私は笑いながら尋ねる。
 歩調を和らげて、あたかも散歩を楽しむように談笑するのは景色のせいだ。松の木が立ち並び、木陰が道を作っている。波は驚くほど静かで、それを吸い、乾く砂浜が美しかった。
 ジャポンの白砂青松を思わせる。見事な浜辺だ。
「姉さんはね、何でも、好きなの」
 プティが瞼を下ろして言った。幸せを知っている、そして幸せを感じさせる表情で。
「毎晩、私と一緒の部屋で寝るのよ。私より起きるのが早くて、いつも私を起こしてくれるの。
 朝ごはんは私たちが作るわ。家事を手伝うんだって、お母さんにねだって。
 そして一緒に登校して、勉強して、おしゃべりして、夜はお母さんの手料理を食べて、二人でお風呂に入って。
 それから……」
「プティ、プティ、やめて。恥ずかしいよ」
 エアルが顔を染めて言う。満ち足りている。可愛い姉妹だなと、思った。
「ゲームの中じゃ、私も一緒に行動させてもらうわけだけども。完璧にお邪魔っぽいね……」
 頬を掻いて言ってみせる。こうした、人をからかう仕草は得意だった。私の趣味の一つだからだ。プティのガーデニングと比べれば、どうも宜しくない趣味だが、好きなのだから仕方がない。
 低く言いながらも、悪しからず思っているところだけは、プティと同じだろうか。
「やだ、お邪魔だなんて思ってないわ」
「そうだよ。せっかく三人でゲームしてるんだから」
「わかっているよ。冗談、冗談。
 さあて! そろそろ先に進もうか?」
 賛成とばかりに二人が頷く。追求の機会は今後いくらでも持てる。ゲームに取り組もう。
「はーい。そうだね、次はこの松がいいかな?」
 プティが右手で木の肌に触れ、念を発動し、そして間抜けな声を出した。
「……。あっ、海、敵。いっぱい」
 轟音と共に波が吹き上がる。モンスターとは初遭遇だ。





「ずーいぶん大きな……タコとイカ」思わず漏らす。
「ちょっと気色悪いわ。私後衛だから下がるね」プティが即座に後退した。
「そういえば聞いてなかったけど、ヘラって戦闘系?」
 エアルが私の横で問う。私が振り向いたのに対し、彼女の視線はモンスターを捉えたままだ。しっかりしている。
「ああ、そうだよ。強化系寄りの変化系。気まぐれで嘘つきな単細胞です」
「メチャクチャだね」エアルが笑う。
 私もつられて笑った。
 エアルが親指で後ろを指す。
「うちの妹はほら、アレです」
「姉さん、ヘラさん、ガンバ!」
 松の木に背を預け、すっかりくつろいで声をあげている。心温まる声援が飛んでくる。
「プティも仕事してね」ヤジを返す。
 同時に、モンスターの腕が何本か襲いくる。しなる鞭のようだ。だが凝で見る限り、硬度は然程ないようで、私は思いきり殴りつけた。数本が纏めて千切れ飛ぶ。
 私がもう一度プティを見遣ると、彼女は頬を膨らませて言った。
「今するわ! ちゃんとね。ほら!」

 人の念は強い存在感を放つ。気配と言い換えても良い。勿論それを補うために絶があり、陰があるのだが。錬と纏からなる、円の強い気配を消し去ることは不可能だ。
 人間である限り例外はないだろう。もしそんな例外がいるとしたら、今生ではお付き合いを遠慮したい。
 だがしかし、気配を感じない円もあるのだと、私は知った。
 背後に人が立ったとき、私はほとんどの場合気づくことが出来る。そういう訓練をした。だが、背後に木が一本立っていても、それに注意を払うことは出来ない。生まれてこの方、そんな必要がなかったからだ。プティの念能力で生まれた、松の木の円は、今の今まで私に気配を感じさせなかった。
 ぞくりとした。
 松の木の円が強い存在感を放ち出す。植物の円とはこんなにも広いのか。
 そして松の木が、円の内側に居るモンスターからオーラを徴収し始める。少しずつ、少しずつ奪っていく。私は徐々に力を失っていく奴らを殴り殺す。頭が吹き飛んだものから、波を立てて浅瀬に沈みこむ。
「満腹よ!」プティの声が飛んできた。
 モンスターたちは一割ほどオーラを失って、体も一回り小さくなっていた。
「助かる。すごいねこの能力は」
「そうでしょう、そうでしょう!」
「まったく……」エアルが呆れて嘆息した。





 私が力に任せて殴り倒しているのに対し、エアルは拳法を思わせる動きで的確に仕留めている。その流麗な動きに僅かな憧憬を感じつつ、私は敵を殴る。
「これ、カード化させても一人じゃバインダーに入りきらないね」
 最後の一匹の脇腹に風穴を開けて、エアルが言った。
 折り重なった屍を順々にカード化していく。倒した数はイカ、タコ、それぞれ二十体以上。併せて四十を越える。
「フリーポケットはいくつだっけ?」
「九枚ずつが…二、四で五ページだから四十五枚。倍は欲しいかも」
「はは、言えてる」
 金銭もカード化してフリーポケットに納めているから、驚くほどすぐに埋まってしまう。
 二人で並び、腰を曲げて拾う。なかなか厳しい。次からは倒す場所を選んで戦おう、という考えが過ぎった。ばかな話だ。
「タコ、イカ共にFランク。勿論指定ポケットでもないし、どうする?」
「売る。捨て値だけども。それ以外にないから」そう言いつつも、鋭い目で拾い損ねがないか確認している。
「あっ」プティが声をあげた。
「どうかした?」
「第二陣がくるわ」海を指しながら言う。
 松の木が教えてくれたらしい。


 現れたモンスターは人型。青い腕に青い足、青白い肌にはウロコとヒレがあり、頬にはエラがあった。
「何あれ、魚人?」思わず呟く。
「半魚人って言うんじゃないかな」
「少なくとも人魚って感じじゃないわ。足があるもの」
 銘々勝手に言う。魚人たちは三叉の矛を構え襲いくる。素早い動きに波が割れた。
「さっきのよりは強そうだ。私の念も見せようか?」
「まだ大丈夫じゃない? でもそうだね。相手が楽なうちに見ておきたいかも」
「了解リーダー。いくよ」
 私は両足を広げ、重心を低く持ち構える。拳を引き、半身になって魚人を睨めつけた。錬でオーラの量を増やし、それを纏で体に引き付ける。そして凝をする。
 魚人は迫りつつある。
「……え。何、何それ」プティが息を呑んだ。
 オーラの量には少し自信があった。これで強化系なら、と何度か嘆かれたこともある。凝で左足に集められたオーラを見て、エアルが距離を取る。
 彼女の心配は杞憂だ。私の能力は真正変化系で、周囲に影響を及ぼす事はない。
 左足は始点だ。それを軸にして、拳を突き出すために右足を一歩踏み出す。
 私を貫かんとする矛とすれ違い、念を発動した。伸びきった魚人の腕の内側に入り込み、拳を出す。
「あれっ」
 これは決まった、と思った瞬間だった。
 左足が砂の中に埋まり、私は豪快に転倒した。一瞬だけ、ぽかんと開いたエアルの口が見えて、視界一面が塩辛い水になる。
「ちょ、ちょっと、ごめん! 待った! 今のなし!」
「失点を取り返したかったら、その待ったは魚人語であいつらに言ってね」
 エアルが、私が討つ漏らした魚人を叩く。
 確かに、モンスターは待ってくれない。三叉が私たちを狙っている以上、エアルもプティも待ってなどいられない。ついつい縮こまる。
 その間にも、エアルはモンスターをカードに変えていく。
 三メートルはあろうかという魚人の頭上まで飛び上がると、軟らかく体を捻り、冗談のような高さから踵を落とす。一撃で致死と思われる敵の肩に着地し、カード化する寸前に蹴って次の敵に飛ぶ。
 今度は十分な高さがあったからだろう。サッカーボールでも蹴るかのように、醜悪な顔につま先をめり込ませる。その敵は一撃では足りなかったようで、やはり両肩に足を乗せ、直上から脳天に拳を叩き込んだ。瓦でも割ったつもりか。
 言葉が出ない。私は開いた口もそのままにして、ただただ立ち尽くす。
「ちょっと、ヘラさん。お仕事しなさいよ」
 いつの間にか松の木の傍を離れ、プティが私の元までやってきていた。ひょっこりと顔を出す仕草に合わせて、栗色の髪が揺れる。
「……あ、うん。ああ。ごめん、もう少し待って」
 仕方がないとでも言いたげに、彼女はちらりと私の顔を見た。そして何も言わず、視線を前へ、エアルの方へと向けた。
 エアルの動きは変わらず絶好調だ。彼女に討たれたカードの一枚が、ひらひらとこちらへ落ちてくる。手を伸ばして掴み、ランクを見るとCの表記があった。
 先の二種より三段階も上だ。
「ねえ、プティ」
「なあに?」
「エアルってさ」今も片端から敵を吹き飛ばしている。気づけば敵は半数を切っていた。
「うん」
 プティは悪戯気に小首を傾げる。敵陣で四肢を振るう姉を見つめる瞳に、不安の色はない。
「格闘家か何か?」
「……ああ、あれはね。拳法よ。心源流って言うんだけど、聞いた事ない?」
「ある、かな」随分有名なところだ。王手と言い換えても良い。
 私はなるほどね、と相槌を打って続けた。
「それにしたって、一朝一夕ってわけでもないよね。」
 プティが唇を合わせ、人差し指で閉じをする。内緒の話でもするように、私の耳元に顔を寄せた。
「格闘経験三十年とちょっとよ。そういう念なの。
 それなしだったら、十歳から習ってる私の方が長いわ」
 見ていて、と声を張り上げ、彼女は駆けて行く。
 そしてエアルと同じように高く飛ぼうとしたのだろう。一歩強く踏み込み、砂浜に足を取られて転倒した。また飛沫が上がる。
 先ほどの私の転倒は念による自爆だが、彼女のはもっと酷い。ついつい助け起こすのも忘れ、手のひらで顔を覆ってしまう。
 後ろからは一目瞭然。サンダルを履いていたせいだった。踵紐が切れたのだろう、左の一足が宙を舞う。
「うわー……。大丈夫?」
「ちょ、ちょっと大変。もう! びしょびしょ」サンダルは宙を舞っている。
 軽い水音を立ててサンダルが海に落ちる。同時に、エアルが最後の一匹に飛び膝蹴りを打ち込んだ。
 そして最後の一匹がカード化すると同時に、サンダルが落ちた点を中心に渦巻きが起こる。
 やがて渦は激しくなっていく。カードを掴んだエアルが警戒して下がり、プティを抱き起こした私と並んだ。
 渦の中心から、女性が現れる。





【実用手引書白紙】
 白紙の書を具現化する。
 題、そして内容を他人に書き込んでもらい、それを元に自分を操作する。
 書き込む内容は他の書の写しでも構わないが、書き込む人自身がその技術を修めていなければならない。
 一度書き込んでもらった書は、一度消しても再び具現化することができる。
 手引書の冊数、種類に制限はないが、一度に一冊しか持てず、持ち替えの度に六時間を要する。

「あれは人魚よ」プティが真っ先に言う。
「賛成」
「異議なし」私も追従する。
 先ほどはモンスターの呼称に意見を違えたが、次に現れた彼女に対するそれは満場一致で人魚に決まった。上半身が人間、下半身が魚で、ご丁寧に胸は貝殻で隠してある。
 ちなみにカード化された先のモンスターの名は"海の住人"で、決着はつかなかった。
 人魚はプティのサンダルを右手でつまみ、ぷらぷらと揺らしている。
「ねえあんたたち、名前は何?」
「プティよ。この人がエアル、私のお姉さん。あっちはヘラさん」
 彼女があまりにも優雅に名乗るものだから、私は制止しそびれてしまう。何かを尋ねて、相手に答えてもらうのは念能力のポピュラーな発動条件だ。
 とはいえ、相手は人魚、このゲームのモンスターなのだから、どんな問いにも口を噤み、亀のように縮こまるのはゲーム的ではないのだろうか。自分では若いつもりだったが、同伴の姉妹と比べて歳を食っているのは事実だ。
 私の葛藤を他所に人魚は続ける。
「聞いてないわ。この海岸をずっと行けば洞窟と、村があるから。供え物はそこを最低一回は詣でてからにしなさい。
 それと、こんなふざけた供え物を投げ込まれるとは思わなかったわ。
 あんた私に足がないと思って馬鹿にしてるでしょう」
 そう捲くし立てる人魚に、私たちは閉口した。プティも心なしか圧されているよう。
「そりゃあ私だってね、色々履いてみたいとは思ってるのよ。でも尾びれがないと信仰が得られないし……、そもそも泳ぐのに不便よね。
 でも、足が欲しいっていうのはそれとは別なの。
 しかもあんたこれブランド物でしょ? なんか許せない。ほんと許せない」
「ごめ、ごめんなさい。悪気はなかったんです」
「私も謝ります。ごめんなさい」妹の横に並んでエアルが頭を下げる。
「私からも。申し訳ありません」
 二人の後ろから、私も頭を下げる。人魚へのお供え物に靴というのは、確かに無神経だろう。ゲームのキャラクターだという意識は確かにあるのだが、二人が頭を下げているのに私が下げないのはどうも大人気ない。
 頭を下げたまま、人魚の次の声に神経を尖らせていると、意外にも明るい声が響いた。
「まあ、いいわ。許してあげる。ちゃんと謝れるのね。
 そうね、一応供え物も貰ったし、決まりだから。ほらあんた、手を出して」
 流石は人魚と言うべきか。明るい声音で話すとその音は滅法美しい。
「は、はいっ」プティが両手を出し、お椀を作った。
 きらきらと、人魚の指先から光が離れる。目を焼く光ではない。蛍のように照らし、光の尾を引いてプティの手のひらに降り立った。
 丁度、手の中に納まる程の人魚がそこで跳ねていた。
手乗り人魚"よ。大事にしてね」
 そう言って人魚は海に帰っていく。驚くほどあっさりと姿を消し、痕跡すら残さぬとでもいうように、波は静かに寄せて来る。
 ややあって手乗り人魚は、プティの手のひらの中でカードになった。

Re:Re-birth 03

 エアルとプティ、双子の娘を持つケイ=ホーライは、正規のライセンスを持つプロのハンターだ。
 比較的裕福な家に生まれた彼女は、はす向かいの家の一人息子を幼馴染に伸び伸びと育った。そしてやんちゃな幼馴染に誘われるように、六歳のころ、武術を習い始めた。
 その日から、片時だって鍛錬は欠かさずにいた。良き師に出会い、幼馴染を互い高めあう好敵手とし、念を覚え、そして三十余年。喜ぶべきことや、悲しむべきことが多くあった。いつの間にやら、今年でもう四十になる。
 思い返せば十年と少し前だった。ハンター試験に合格したのは、三十路を目前に控えた年のことだ。前後の記憶は思い出すことを拒絶するように霞がかっていたが、子供の歳は覚えている。二人とも六歳のときだ。
 ハンターライセンスはケイに、先ず悲しみをもたらした。今でも胸が苦しくなる。だが、決して忌んだことはなかった。娘と、エアルとこうして同じ家に住めているのは、偏にそれの力だ。
 決して褒められた使い方ではなかった。だが、躊躇いは一切なかった。
 それは今も変わらない。
「……それで、やっぱり駄目だったのかしら」
 ワークチェアに手をかけて、男性の肩越しにディスプレイを覗く。
「ええ、存在しません」
「本当にまったく、完全に?」
 男性は頷く。
「整形や偽名の可能性もないのですか?」
「それぞれ見抜ける能力者を擁しています」
 ケイはかぶりを振った。
「ごめんなさい、詰まらない質問だったわ。……じゃあ」
「そうですね。可能性としてはひとつ」
 二人の間にやや長い沈黙が流れる。同時に脳裏を過ぎったのは、事実、口にするのを躊躇う場所だった。どんなものを捨てることも許された場所、最大最後の夢の島。
「……仕事相手か、何か……おっと、口が過ぎました。
 忠言の類は無意味ですね。これに限って言えば、私もあなたも同じ程しか知らない」
「いいえ、ありがとう。
 それにそうね、少し、どんな人物か気になっただけで……。そういう対象じゃないのよ。
 娘たちが今、彼女と一緒にゲームで遊んでいるの」
 これで話は終わり、と言うように、ケイはワークチェアから生身の右手を離し、目を閉じて礼を言う。
「どうもありがとう。また何かあったら、お願いするわ」
「はい。どうぞこれからもご贔屓に」男性が愛想笑いを浮かべた。
 ホーライ家の門にはカメラが設置されており、常に人の出入りを監視している。ケイが持ち込んだ情報は、そこから抽出した写真ともう一つ。
 名前はヘラ、姓はわからない。





Re:Re-Birth
[GREED ISLAND]
 03





 片足が裸足のプティは、残ったもう片方も脱いでしまった。
 裸足でも纏がしっかりしていれば、鋭い岩肌でもない限りどうにかなる。海岸沿いに走り、先の人魚に示唆された村を目指す選択肢もあったが、より確実に百貨店がある場所へ、もっと言えば靴を手に入れるために、私たちは位置が地図に表示されているマサドラを目指した。
 道を選ぶ際、マサドラへ続く道が穏やかな緑の平原だったのもそれを推奨した。足裏はそう痛まないし、欲を言えば私とエアルが、海岸よりも走りやすい。
「また年輪だわ。こんなに大きい……」
 視界の限りが拓けていて、気ままに吹く風が私たちの背を押してくれる。そして足元に気を配りながら草原を駆けていると、存外に伐採の跡が多いことが解る。それも細々としたものではなく、明らかに大木と思われる木のものだ。
「今の年輪、直径プティ二人メートル」エアルがとぼけて言う。
「違うわ。直径姉さん二人メートルでしょ」
「待ちたまえきみたち。そうだね、うーん、私が見た限りだと……。
 これはあれかな、直径エアルとプティメートル」同時に二人が抗議の声を上げる。
 この姉妹はどんぐりの背比べと言えば良いのか、どちらも背の高さはほとんど同じだ。目線は私より頭一つ分だけ低く、目算で百六十センチメートル強といったところ。
「ところで、ね」エアルが歩幅を緩めて言う。
「どうかしたの?」
「うん、こんな風にばさばさ切られてるのを見るとさ。なんていうか」
「なんていうか、露骨?」私が引き継いだ。
「そう! 露骨だと思わない?」
「私も思うわ。もの凄く目立ってるし」
 広々と続く平原の中心に、一本だけ巨木が聳えている。そこかしこに伐採の跡が散見される中で、その一本だけ残されている様には何とも故意を感じる。
「あんなに怪しいの、近づかないね、普通。絶対近づかない」
 私は普通、を強調して言った。考え方が少しずつ解ってきた。
「そうね、何かあるって、解るわよね」
 確かに何かある。人が近づくのを今か今かと待ち構えている、何かがあるのだ。
 しかしそれはゲームの外と違って、私たちの命を脅かすことはない。適度なスリルのために飛び込める。
「そうだね。さあ行こう」
 エアルが私の後ろに回って、ぐいぐいと背中を押してきた。冗談の割には結構な力が込められていたので、私は戯れるように肩を揺らして彼女の腕を払う。勢い余って、彼女が私の背中に抱きつく形になった。
「こら、だめ!」
 プティが頬を膨らませて、エアルを引き剥がすために更に後ろに回る。エアルはバランスを崩し、プティと共に倒れこむ。それを端目に収め、勢い良く一人駆け出した。
「あーっ。待って、早いよ、ちょっと!
 ――ヘラの強化ばか! 変化系って、嘘でしょ!?」
 二人には悪いけれど、最初にあの木にたどり着くのは私だ。


 巨木に近づくと、その幹の前に四人の男が立っているのが見えた。
 そして、巨木のみを目立たせるために木が切ってある、というのが間違いであることに気づいた。横に立っている人と比較して始めて解る木の巨大さは、最早壁と呼んで差し支えない。そして近傍に、野の草花のようにぽつりぽつりと生える木たち。
 木々は男らと比べても十分に大きかったが、そのままに生えているとか、伐採されているとか、そういう人間の手がどんな風に入ろうとも、巨木の存在感を削る存在に昇華することはできないだろう。
 本当の規格外というもの、巨木の大きさに圧倒される。
 知らず知らずのうちに足が止まり、絶をしていた。出来るだけ低い姿勢で、巨木の様を伺った。

 男たちは、恰幅の良い男一人と、残りの三人が向かい合う形で立っていた。私は凝をして、彼らの顔立ちや、オーラの力強さを確認する。身振り手振りから、三人の男たちが絶えず意見を交わしていることが解ったが、読唇術の心得などないし、また目にオーラを集めた状態で耳にも凝をするような器用な技術は持っていなかったので、それ以上のことは不明だった。
 やがて恰幅の良い男が、自身の担いでいた、巨大な、それでも木と比べるとちっぽけなハンマーを差し出す。三人の男たちの中から一人が進み出て、それを受け取った。
「こんなところで屈み込んで、どうかした?」
 側にエアルが降り立つ。私ははっとする。
「木の側に人がいる。気づかれたくない」
 エアルはすぐさま屈みこんだ。一歩後れてやってきたプティも、姉の手振りに従って無言で低くなる。
 ハンマーを受け取った男が、念を練るのが解った。力を込めている。だが、周をする素振りは見られなかった。出来ないのか、知らないのか。
 それとも禁止されているのか。こうして見ていて、ハンマーを差し出した恰幅の男がNPCであるように思えてきた。だとすればあれはイベントだろうか。見ておく価値は十分にある。
「叩いたみたい」プティがぽつんと言う。
 男はハンマーを力いっぱい叩きつけたようだった。しかし巨木は僅かに体躯を揺らすのみで、男は肩を落として仲間の一人にハンマーを渡した。残りの男二人が続いてハンマーを振るったが、巨木は微動だにしなかった。
 やがて彼らは、三人が三人とも肩を落として、一枚のカードを掲げた。移動用のスペルなのか、すぐさま光が彼らを包み、空の向こうに消えていった。





 恰幅の良い男が、ハンマーを担いで佇んでいる。遠距離からとはいえ、こうして観察してみると、彼はその場から微塵も動いていない。担がれたハンマーもぶれることがない。
「やっぱりNPCだよね。行こう?」
 プティが促した。彼女の念の円で確認したのか、それとも当てずっぽうに言っているのか、尋ねようとは思わなかった。
 私の胸も、目前の挑戦に高鳴っている。
「この大木にだけ住むという伝説のキングホワイトオオクワガタ」
 煙管を咥えたNPCが言う。大げさな素振りで大木を紹介する彼の得意気な素振りといったらもう。
 絶対に鼻を明かせてみせると、私は意気込む。
「捕獲の仕方は簡単だ。力にまかせて木をぶったたいて、落とす!」
 叩くポイントはここだと、彼は円形に樹皮のはげた部分を指してみせた。
 後ろに視線を飛ばす。
「がんばって、自称変化系のヘラさん!」プティが声援をくれる。
「参ったな。信じてよ」
 エアルは無言で頷いた。
「ああ、おじさん。ハンマーは要らないんだ。かえって遣り辛い」
 私はつま先で、軽く地面を調べる。陥没の心配はなさそうだった。普段はあまり周囲に気を配らずに念を使うことが災いして、先は砂に足をとられた。今度はない。
 左足を前に出し、凝をする。ありったけのオーラを集める。巨木の前に立って、私は挑戦者だった。何としてでもカードを獲ってみせよう。
 左足は軸だった。
「変化系だけど、半分強化系なのは嘘じゃないんだ。確かに変化系なんだけど、へたな変化でね。こう」
 らしかぬ饒舌だろうか。いや、やはり昂ぶっているのだ。私はそっと、手のひらを的に置いた。皮の剥げた木はなめらかな感触だった。
 左足に集めたオーラを、変化させる。そして流。
 爆音ではない。例えるなら地響きのような、轟音。それが耳をばかにする。
 別な場所にオーラを集めているのに、それを割いて耳を守るような、器用な技術は持っていない。
 音は素早く何度も何度も、繰り返し草原を支配した。





 能力を発動させたとき、私のオーラは硬く重くなる。
 それは岩だとか、鉄だとかの類に変化する能力ではない。ただそういう特徴を持つだけだ。どの程度そうなるのか、はっきりとは解らない。ただ、全力で練ったとき、重さはトン単位を超える。
 とにかく重いのだ。全身に纏えば、姿勢を保つことも難しい。
 凝で固めた左足を持ち上げるために必要な筋肉は、私の足にない。重たい足を持ち上げる筋肉がない。
「勿論、足は持ち上がらないよ。自分で言うのもどうかと思うけど、重たすぎる。
 筋肉が足りないからね……。ほら、結構細いでしょ?」
「細い言うな。私の方が細いし」プティが反論した。確かに彼女には負けている。
「まあ、トンを超えるなら持ち上がる程じゃないよね」
 そうそう、と私はエアルを支持した。
「じゃあさっきのは何なの? 流をしたって言ったの、見えなかったよ」
「速さの秘密は修行です」私は唇に人差し指を立てた。
 エアルが手のひらを打つ。理解が及んだらしい。
「さっきのは、筋肉が関係ないってことかな?」
「そう。そこがミソだね」
 発射点は地に張った左足、着弾点は木の表皮に添えた手のひら。体は微動だにさせない。動かさないから、重くなった足を持ち上げる筋力も要らない。
「ただ速く、とにかく早く左足から手のひらにオーラを移動させるだけの流。
 確かに筋肉とは別物なんだろうね」
 私はにこりと笑った。
 岩よりも、鉄よりも重くて硬いオーラが、全く別のアプローチで、人間の筋力が出せる限界速度を易々と突破して激突する。
 一撃目が直撃する。私は能力を解除する。流をする、手のひらに集約されたオーラを引き戻し、また左足に集約する。私は能力を発動する。流をする、重く硬くなったオーラを手のひらに集約させる。二撃目が直撃する。
 遠目に私を見る人が居れば、膨らみ、そして萎むことを繰り返す、落ち着きが無いオーラだと思ったかもしれない。
「体が、疲れない分、そうね。体力みたいな、何かがそう、抜けていくような……」
 私は汗をぬぐう。巨木を叩いたのはほぼ一瞬の間のことだ。その刹那の間に何度叩き込んだだろう。
「拾うのはまかせた! ごめん。本当にお願い」
 息を長く吐いて、座り込む。周囲には目当ての虫以外にも多種多様なものが落ちていて、拾い上げることに探すだけで一苦労だろう。
「ねえヘラさん、幾つ落ちてるかしら。キングホワイトオオクワガタ
 プティが一匹目をカードにして仕舞いながら言った。
 私は体に残る感触を反すうし、指を折った。
「十回ぶつけたから、うん。……十枚落ちてるといいなぁ」
 結局、九枚のカードが見つかった。私たちはそれぞれ指定ポケットに一枚ずつ、フリーポケットに二枚ずつ持った。