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溺れる金貨 前

 使い魔が殺された日を思い出して、泣く事はもうない。
 マチルダは一心不乱に筆を執る。
 メイジにとって使い魔とは一生のものだ。勿論死ねば新たに召喚することも出来るが、最初に持つ使い魔はやはり特別であり、それらとの思い出のために再召喚を行えぬ者もいる。彼女もそうだ。
 父と母の処刑に付して殺された。忘れ難い記憶だ。頭の片隅に重石のように構え、べたべたと赤で塗りたくられている部屋がある。最後の時、あいつは跡形もなかった。どんな形をしていて、どんなふうに動くのか、死体からは解らないほどに。けれど、脳はそれを自分勝手に補完する。生前に一緒した、関連する最も鮮明な、胸が弾む記憶の笑い顔を切り抜いて、その何がなんだかわからないはずの物体にはめ込み、悲痛な死相を作り上げる。
 マチルダは使い魔が怖い。あれから何年も経ち、二十歳もとうに過ぎた。それでもやはり、もう一度召喚する勇気はない。

 仕立屋が近頃の服の売れ行きを知るように、武器屋が近頃の剣の売れ行きを知るように、マチルダは治安の崩れを知っている。盗賊だからだ。
 妹が心配で夜も眠れない。
 使い魔が居れば、彼女の傍につけてやることが出来る。危機が迫ったら直ぐに飛んでいける。だが、マチルダは持っていない。自分の使い魔を遣ることが出来なかったから、違う方法を選んだ。
 受取人以外に開封できないという、魔法の封筒を手に入れたのは幸運だった。
 幼少のころに一度唱えたきりだったから、思い返すために暫し時間を要した。幸い職場の関係で、尋ねられる人は多くいた。
 サモン・サーヴァントとコントラクト・サーヴァントの呪文は些か長く、肩が凝る。無心に書き綴る。それが悲しい別れをもたらさぬことを、寂しい妹の慰みになることを強く願った。
 長々しい呪文に注意書きも加えると、便箋は結構な枚数になった。厳重に封をした。
 どこか不恰好で小太りな封筒が、森のエルフを一匹訪ねて飛んでいく。
 軟らかい夜の風を切り飛んでいく。




 夜の空が硬く凍りついている。そこかしこから敵意が溢れている。月の光を受けて、木々の枝は道に影を落としていた。時折拓け、薄い葉が影でまだら模様を作り出す。
 装飾あふれる赤い土の上を、男が歩いている。名はクロロ=ルシルフル。
 擦り切れた外套の背には、十字架が足から吊るされている。
 彼が森に入ってから、既に三日が過ぎていた。森の中、闇夜に紛れて眠りこける獲物を丸呑みする凶鳥が居る。それらの羽ばたく音に震え、訪れた朝に安堵した獲物を裂く猛獣が居る。クロロにとってそれらとの遭遇は死を意味する。一日中警戒も解けず、眠れぬ日が続いた。
 道なりの道を逸れ、ただただ直進する旅は消耗が激しい。辿り着くためではなく、進むための旅だ。半月ほど前に戦闘の要である念能力を封じられた。直前に、必中の能力者によって命を占われていたから、それに従っている。紙切れは東へ進めと言う。
 こうして東へ進んでいる。
 ぎゃあぎゃあと、鳥の鳴く声が聞こえた。クロロは走り出す。
 隙を見せてはいけなかった。歩みを止めるなど、息を潜めるなどもっての外だ。習性として寝ている生物を狙うため、活発に動いてみせるのが良いと麓で聞いた。しかし、それでも襲い来る群れはあるし、相手をするのは骨だ。事実連夜の闘争で体力が危ぶまれた。
 それが理由だったのかは解らない。もしかしたら、東へと教唆する占いへの信頼がどこかにあったのかもしれない。
「これは……。そうか、これか」
 クロロは懸命に走る間も愚直に東を向いていたから、真正面に突如現れた鏡に、不審よりも確信を抱いた。ここまでそうして来たように、東に向けて駆ける。真昼の光のような鏡に爪先が触れたとき、硬質の感触がないことに唇を吊り上げる。やはりこの先だ。一匙の躊躇いもなく、身を投げ入れる。
 彼を飲み込んだ鏡はすぐさま掻き消え、やがてその場に現れた凶鳥たちが未練がましく直上を旋回していたが、暫しして他の獲物を探しに離れた。




 薄く硬い、もっと言えば貧しい毛布の冷たさに身をよじる。クロロは目を覚ます。
 狭い部屋のベッドに寝かされていた。窓が一つと、ベッドの他には小さなテーブル、そして椅子が二脚ある。寝室のようには思えないが、牢というわけでもない。小さな客間と言って差し支えないだろう。
 耳が足音を拾った。誰かが近づいてきている。警戒はしたが、身構えはしなかった。現状には厚意を感じられたし、頑なに敵対しようという気も起きない。
「……あ、目が覚めました?」
 扉を開けたのは、金の髪が目覚しい少女だった。成人のクロロと比べ幾分か小柄で、胸には洗濯物と思しきタオルケットを幾つか抱いている。
「ああ、目が覚めたよ。ありがとう」
 他所向けの顔で礼をした。
 少女はクロロの言葉に一度視線を落とし、再度上げ、それでもクロロの両眼までは行かずに口元を見つつ言った。
「私はティファニアです。ここはサウスゴータ地方のウエストウッド村よ。それから、ええと、私の耳が長いのは、母がエルフだから、です」
 言い終わると、再び視線を落としてしまった。眼が左右にきょろきょろと慌しい。
 クロロは己の記憶を浚ったが、サウスゴータ地方という地名は聞いた事がなかった。村の名を知らないからと疑ることはないが、地方と呼ばれる広さに心当たりがないのは拙い。
 本当に異常な場所に導かれたのか、とクロロは考えた。エルフという部族にも心当たりはなかったが、そもそも未開の地であるなら十分在り得る。
「それで……それで、その。
 あなたは私に使い魔として召喚されました。貴方が寝ている間にコントラクト・サーヴァントは済ませてしまっていて……。コントラクト・サーヴァントっていうのは魔法で、貴方を使役する権利を私に与えるものです。
 強引でごめんなさい。わたしの使い魔になってください。お願いします」
 警戒は既に遅いらしい。近頃その手の能力に縁があるな、とも思う。胸に刺された、律する小指の鎖(ジャッジメントチェーン)を除念するときを待つのが良い。
 クロロは顎を引いて、小さく頷いた。
 ティファニアはそれを受けて、安堵の息をついたようだった。露骨な敵愾心が湧かないのは、その契約の力だろうか。
 再び視線を落としてから、ティファニアがあからさまに表情を崩して、風呂の用意をしてくると言った。そして軽くはにかんで部屋を出る。
 最後の最後になるまで、ティファニアが腕に抱えた洗濯物の内側に、恐らくはカンニングペーパーの類があったことに気づかなかったこと。そして対話の中で、相手の出方を窺い頷くだけだったことにクロロは頭を抱えた。一言分も口を開かせて貰えない、手際の良さが相手にはあった。

 マチルダ姉さんへ
 手紙の通りにやってみて、なんとか成功しました。
 契約をしてくれたのはクロロ=ルシルフルという人で、盗賊なのだそうです。
 まだあまり話をしていないので、どんな人だか解りません。ですが、きっと良い人だと思います。
 また連絡します。




 ウエストウッド村は建築物が十、全て民家で、住民は全員がティファニアよりも年少の子供たちだ。十分あれば村を一回りできる。小さな切り株に腰かけて、一人の少女が彼女よりも小さい子らに絵本を読み聞かせているのを聞いていた。サウスゴータ地方で使われている文字は目に新しく、クロロはその絵本を読めない。会話は通じるのだから、然程時間を待たずに習得できるだろう。拙い手書きの絵本だが、この村の本は大半がそのようなものだった。
 コートは脱いで、初めの日に部屋に吊るしている。木漏れ日が差し込む村は過ごしやすかった。箪笥の匂いが染み付いた、大人物のシャツを借りて着ている。下はぼけたスラックスのまま。そちらはなかった。ティファニアが、腰まわりの合う物を見つけてきて、半ズボンとして着てみてはと言ったが、クロロは遠慮した。
 禍々しい額の刺青は白布で隠している。
「――。ロッシュは言いました。おれは大変なことをしてしまったぞ。宝がぬすまれたと知ったら、王さまはなんと思うだろう。
 ロッシュはこうかいしました。こうかいしたので、王さまのところへ、ぬすんだ宝をかえしに行きました」
 朗々と少女が読み上げる物語は、佳境に入っていた。控える子供らが唾を飲み込む音が聞こえる。クロロが身を乗り出しているのは、本を持つ少女の手に力が入りだし、文字が見えなくなったためで、物語の推移とは関係ない。
「王さまは、宝をかえしに来たロッシュのことを、しょうじきものと言って、ゆるしました。ロッシュは王さまのやさしさにぽろぽろ涙をながして、ぬすみをしなくなりました。
 ……はいっ、おしまいだよ」
 クロロの他に、三人の子供が聞いていた。
「すごい、すごいね! ロッシュ、良かったね!」
 一人の少女は話の中の、王か主人公か、あるいはその両方に甚く感銘を受けたようで、しきりに手を叩いている。
「うそ、ほんとは怒られたんじゃないかな。きっと見えないところで怒ったんだよ。お城にはいっぱい部屋があるんでしょ? わかんないじゃん」
 少年はそう言っていたが、笑顔で言う彼は絵本に不満がなかったと解る。読み手の少女を困らせたいのだろう。
 クロロはもう一人の、何も言わずに座っている少女を見た。彼女もクロロを見る。
「ねえ」
「どうした」
「ロッシュのごはんはどなったの?
 お城から宝物を盗んじゃうくらい、ぺこぺこだったのに」
 この絵本は、母が子に読み聞かせる物でも、国が民に言い聞かせる物でもなく、物語に憧れる子供が思い描くままに綴った物だった。良い話になり終わるが、著者も説明できないことが多くある。クロロは顎に指をかけた。
「確かに。盗人が正直者になっても、腹は膨れないが。
 ……そうだな。腹が膨れるよりも、正直者と呼ばれたかったんじゃないか?」
「それって、どうして? お腹がすいてたら、そんなの忘れちゃうはずなのに……」
 少女は言い終わり、顔を伏せた。抱いていた人形で顔を覆い、クロロの視線を遮った。彼女の意を汲み空を仰ぐ。相変わらず快晴だった。
 ウエストウッド村は、村自体が大きな孤児院である。そう言って良いと表現すべきだろうか。元々は普通の村だった。大人も居た。
 昔は居たが、居なくなった。離れる者も居た、死んだ者もあった。いつの間にか、子供だけになっていた。
 アルビオン王国サウスゴータ地方の、サウスウッド村は平和だ。しかし、サウスゴータには不穏の影が蔓延り、アルビオン王国では革命が始まった。人は死んだ。大人も子供も、ある者は死に、ある者は逃れ、幸運な一握りが争いを忘れたウエストウッド村に辿り着く。そこは平等ではなかった。子供は受け入れられたが、大人は例外なく追い返された。
 生産能力のない子供、のみで構成された村だった。生産という行為は常に高々と煙を立てる。命を爛々と焚いて行われる。対して、消費は粛々と行われる。何かを生み出す事を捨てたために、ウエストウッド村は高い隠匿性を得た。
 それでも人は訪れる。どこの土地も酷いからだ。こんなに長閑な村は他にない。子供たちは、皆が健やかで優しさを知っている。
 だがやはり、村への道は厳しいのだ。その中には確かに、パンを盗む事が生きる事と直結する道も存在する。
 ふとクロロが視線を地に落とすと、少女は静かに激高していた。
「お腹が減ったら、何も考えられなくなるのに――」
 黙って顎を引き、少女の瞳を覗き込む。揺れている、怒りも悲しみもあったが、強い疑問が黒い球を占めていた。
 クロロは言った。
「考えられなくなるほど、腹が減ってなかったんだろう」
 何も考えられなくなることを、知らなかったんだと、言った。




 マチルダは取る物も取り敢えずウエストウッド村へと向かっていた。内乱による動きが収拾する前であったのは幸運だった。空の国に乗り上がる傭兵たちの足が途絶える頃には、定期船も自粛を始めるからだ。しかし、どれだけ急いでも胸のざわめきは治まらない。
 ティファニアが召喚した使い魔は人間で、しかも不遇な事に盗賊であるらしい。
 治安の悪化による不幸を警戒して勧めたはずだった。こんな形で裏目に出るとは予想だにしなかった。マチルダ自身の行いで村に不穏を招くことは出来なかったから、馬は使わずに駆ける。
 やがて視界に入りだしたウエストウッド村の家々が、変わらず窓から明かりを漏らしていることに安堵した。
 真っ先にティファニアの家を目指す。中から声が漏れている。

 暖かい日差しも夜が来る度に掻き消える。代わりに火を点す時間帯になっていた。質素だが味わい深い夕食を終え、ティファニアがクロロに小言を漏らす。
「あの……。そのう、子供たちに、おかしな事を教えないでください」
 彼女の萎縮した態度にクロロは、もっと毅然と言ってくれて構わないのに、と思った。サモン・サーヴァントやコントラクト・サーヴァントの事後承諾を迫りにきた時と比べ、随分と果かない。
「それは、盗みや食事の話か」
「うん、そう。それって良くないことよ」
「極々当然の事じゃないか? 食べなければ生きていけないときもある。
 それを否定するのは……なんだろうな。いや、否定するのは構わないか」
 椅子に深く座り、体は前に傾ける。両腕を膝に掛けた。
「ティファニア」
「なあに?」
「物の価値は、どうやって測るのが良いだろうか」
 長い耳を僅かに揺らして、問いかけられた彼女は首を傾げる。制限時間はないが、静かに座るクロロを待たせたくはない。
「測れるものは、お金で測れると思う。でも、測れないものがあるわ。思い出とか、気持ちとか、目に見えないものと一つになってるもの」
 持ち主によって価値は変わる。クロロが、ティファニアを継いで言う。
「直接食べる、活動の動機になる、所持することで思いに浸る、そういう様々な物があるが、目的は一つだ。『持ち主を生かす』こと。
 物の価値は、『どれだけ持ち主の生を担っているか』に定義してみるとどうなる」
 良く解らない、とティファニアは首を左右に振った。クロロは続けた。
「そうだな……。貧しい木こりが居る。とても宝とは呼べない斧を一本だけ持っている。
 一方で沢山の宝を持つ貴族が居る。持ち物はどれも有数の宝だ。こいつは百の宝を持っているとしよう。
 ところで、その有数の百の宝ののうちの一つだが……」
 その宝の価値は、木こりの斧一本の百分の一しかないのだと、クロロは言った。
「おかしな考え方ね」
 ティファニアはころころと笑った。クロロも、まったくその通りだと頷いたが、坦々と話を進める。
「その百分の一の価値しかない宝を盗み出した盗賊が、その日の食事も満足に取れない浮浪児三十人に与えたらどうだ?
 宝を金に変えると、三十人分の食料になる」
「あ、解ったわ。価値が変わっちゃう。
 木こりの家にある斧が一で、その宝物は貴族の家にあったときが百分の一なんでしょう? 今は三十人の食事だから、ええと、そうだ。三千倍かなあ。
 とにかくすっごく価値のある物になるわ」
「貴族の家では百分の一しか価値のないものを盗んで、三十の価値になる場所へ持っていく。そんな盗賊も居る」
「なんだか、良い人みたい。クロロさんもそうなの?」
「……いや、オレはそういうことはしないよ」
 やがて、話をはぐらかされたことに気づいたティファニアが小さく声を上げ、唇を尖らせた。クロロは笑い、話を切り上げた。ティファニアはそろそろ、子供たちの相手をしなければならない。
「そろそろ居間に戻りましょう。今日はお菓子もあるんです」
 部屋の火が消され、外に漏れていた明かりが散っていった。
 村の隅々まで月明かりが差し込みだす。
 明かりが消えた窓の下で、子供のように、土くれのフーケが嗚咽を殺している。


溺れる金貨 中

 仕事が多いと言っても、一日を費やして捌けぬ程ではない。余裕は十分にある。
 それでもティファニアが朝早く起きるのは、遅れて起きだしてくる子供たちが、朝食を待つことがないようにするためだ。朝は早く起きて、準備に時間を費やし、晩は子供たちを寝かせてから、後片付けに時間を費やす。
 ところがその日、ティファニアの朝は後片付けから始まった。
 居間のテーブルで、彼女が姉と慕うマチルダ・オブ・サウスゴータが酔い潰れていた。彼女はこうして唐突に遊びに来ることが間々ある。連絡なしに夜中に到着したときなどはティファニアも対応出来ないため、シーツの用意も出来ていない部屋で横になったり、あるいは今日のように居間で椅子に体を預けていたりする。
 見てみれば、祝い用の酒瓶が開けてあった。何か良いことがあったのだろう。ティファニアは自身も嬉しくなった。身近な人が笑っていることを知るだけで、胸は温かくなる。

 特別揺り起こされることもないが、慮って別な場所で朝食を取ってもらえる訳でもない。同じ机の上で食器が立てる音に、マチルダは目を覚ました。
 視界の内で長い耳が揺れ、金の髪が流れるのを見て口元を緩める。ぼけた眼を擦り、その勢いでひたひたと頬を叩く袖の感触に眉を寄せる。よだれを含んで水気たっぷりのそれをどうにかしようとした。その中で、彼女は鮮やかに焦点が合いはじめた目で前を向き、動きを止めた。
 丁度自分と同じか、二、三だけ年上と思われる男が、こちらを見ていた。好奇心から覗き見る訳でもなく、もっと無関心に観察する訳でもなく、正しくマチルダを見ていたのではなく、ただこちらを見ているという風に、男が見ていた。マチルダは赤面した。
「クロロだ。よろしく」
 慌てて席を立つ。
「ちょ、ちょっと顔を洗ってくるよ!」
「おはようマチルダ姉さん、いってらっしゃい」
 口元も酷い。確かにそこも酷いが、目元の跡を誰かに見られるのは恥ずかしい。




 コップ一杯の水と、軽いものを口にして深く座り込む。重苦しく、野暮な外套はここでは必要がない。顔を隠す必要もない。杖も手元から離してしまった。普段の重圧から開放された肩を椅子に委ねて、天井を見つめる。頭に血が集まって、すうと感覚がなくなっていく。いつものように、何も思わず、何も考えぬよう。
 正面から向き合ってしまえば、どうだろう。マチルダは盗賊だと、フーケが言うのだ。およそ罪悪感というものとは無縁でいた。貴族は皆嫌いだが、殺して歩くほど憎んでいる訳でもない。安穏と自身の領地の中央に館を構え、宝を溜め込む貴族から頂戴することは、マチルダにとって憂さ晴らしのようなものだった。昼に就く職は手慰みのようなもので、どちらも然程変わらない。
 労働の報酬に得た小金も、後ろ暗い宝の対価に得た大金も、マチルダの財に他ならない。その財でウエストウッド村を養い、一月を賄えぬようであれば仕事に精を出す。精を出す仕事は、昼の秘書業であったり、夜の盗賊業であったりだ。大金が必要であれば盗賊業に力を入れ、小金が必要であれば秘書業に力を入れる。
 マチルダ自身は盗賊業に抵抗も嫌悪感も、罪悪感もない。ただしマチルダの傍に、一般の感覚に輪をかけてそれを忌諱する優しい娘が居る。マチルダは遣る瀬無い。正面から、自分が盗賊をしていると言えば、ティファニアは卒倒するだろう。そして泣いてしまうに違いない。
 受け入れて欲しい気持ちはない。悪行ではないと説き伏せる必要も感じない。
 ただ、どんな行為であっても、マチルダがしてきたこと、していることだ。マチルダ自身のことでもある。親しければ親しいほど、隠して付き合うのは難しい。
 つまりマチルダは、ティファニアともっと話がしたいのだ。

 誰かに打ち明ける感情ではない。こうして内省するのも随分気恥ずかしい。
 マチルダが彼女自身の内に仕舞っておけば良い感情だった。だから目前の、ティファニアに盗賊であると打ち明け、それをしてしまった男にも話す必要はない。ただ問うだけだ。
「なあ、クロロ」
「どうした?」
「昨日の話の続きをしたい」
「そうか、そうだな、ふむ……」
 クロロは顎に手をかけ、僅かばかり反芻して言った。
 マチルダ・オブ・サウスゴータは確立される。
「金貨を抱えた男の話をしよう」




 マチルダは初め、村からやや距離を取り、すねの高さまで膨らんだ木の根などを椅子に、バーボンでも傾けながら話すことを提案した。
「なあテファ、ここに入れた私のバーボンはどうしたっけ」
「ごめんなさい、この前フアナがふざけて割っちゃったの。きつく言って置いたから、叱らないであげて」
「いつだったか持ってきたぶどう酒は」
「コリニーとメアリーの誕生日に半分ずつ使っちゃったわ。料理に良さそうだったから」
「あそこにブランデーがあったはずなんだけれど……」
「やあね、それはマチルダ姉さんが昨日飲んだでしょ」
「そうだったかい……?」

 マチルダはクロロを誘い、一度ウエストウッド村を離れた。そして森を出てすぐの、とても景気が良いとは言えぬ町に入り、行き着けの酒場へ歩く。
 煤けた木造の壁は、光という光を吸い込んで鎮座する。昼過ぎだというのに倦怠な空気が漂い、職の無い男たちが何組か、四人掛けのテーブルにそれぞれついていた。
 カウンター席の最奥を選び座る。店の中では唯一の植木がすぐ後ろに置かれ、近くの二人席との衝立となっている。これの周囲だけ、酒気臭い酒場の空気が和らいでいた。
 グラスに口付ける。
「財産の価値は人を生かすことにある、とあんたは昨日言ったね」
 盗み聞きをしていたこと、それにクロロが気づいていたこと、諸々を省いてマチルダは口火を切った。色つきの唇が水気を含み、ぷるりと揺れた。
「財産が何かの拍子に財産では無くなってしまったら、そいつは何になる?」
 果たして財産では無くなった何かを奪うことは、盗みと呼べるのか。
 財産は人を生かすことに価値があるという。ならば無価値とは。
「馬鹿な男が一人居るとして、そいつは山ほどの金貨を持っていた。麻袋とか、木箱とか。まあなんでもいいさね。抱えるほどの金貨を持っていた」
 片肘をつき、大仰な手振りを加える。唇が釣りあがるのは気性のせいだ。十六、十八そのころ、婚期のマチルダの仕草は粗暴と見えるものだったが、二十歳を過ぎて艶を帯びた。
「馬鹿な男は船に乗った。そいつは馬鹿で、おまけに不幸でもあった。乗った船は底に穴が開いて、沈んだ。
 他の乗員はどうしたって、そりゃ浮き板に掴まったね。男も掴まった。ただしそいつは、板を右手でしっかり掴んで、それでも左手には金貨を抱えていた。男と浮き板をまとめて海底に沈めちまう重さの金貨をね」
 やがてその男は溺れ死に、海底に落ちた金貨の横で骨となるだろう。マチルダはグラスを持って、氷の冷たさに目元を緩めた。
 クロロがマチルダを見つめる。彼女は話を進める。
「沈んだ金貨を拾うことは盗みになるかい」
「なる」
「何故」
 クロロがグラスを傾ける。マチルダは持ったグラスを何度か揺らし、氷の音を聞いた。
「それは盗掘だろう。男が死んでいたら、既にその金貨は男の子供を生かすためにある。
 場所がどこであっても、だ」
 財産は遺産となり、それは無価値ではない。無表情に言い切る。
 マチルダは、意見を否定された女の顔をしなかった。クロロの言葉をうけて闊達に笑い、グラスに口付ける。彼女はにやりとした。
「そいつはいつから?」
「どういう意味だ」
 やはりクロロは無表情に言った。心を読める者が居たら、彼がやりとりを仄かに楽しんでいることが分かっただろうか。
「その男が……ん?」
 マチルダが言葉を切る。フードを寄せ、グラスで口元を隠して酒場の扉に傾注したため、クロロも問うことなくそれに倣った。
 外の光が店内に差し込み、一瞬だけ壁や床が本来の色を取り戻す。

 新たに酒場を訪れたのは、小太りの腹を抱えた男と、痩せぎすで猫背の男の二人組で、彼らは一度店内をぐるりと見回し、飲み騒いでいた不良な男たちから距離を取るように二人席を選んだ。マチルダとクロロの背に、観葉植物を挟んだ場所だ。
 男たちは粗野な身なりをしていたが、椅子を引く手つきや、給仕を呼び止めて注文を言いつけるさまを見て、マチルダは直ぐに彼らが貴族である、あるいは貴族であったことに気づいた。彼らの声に耳を欹てる。
「……よし、昨日の酒場よりマシだ」
「給仕の顔か?」
「馬鹿野郎。椅子の座り心地のことさ」
「変わらねえよ。それに酒の味はまだみてない」
「そうだなあ。……しかし、楽だがよく分からん仕事だった」
 なあクロロ、あんたは唇で会話ができるか? マチルダは口元を隠していたグラスを置き、クロロに顔を向ける。彼は頷いた。
「"始祖のオルゴール"の確保。そして、できるなら"風のルビー"も。だったか」
「そうだ、だが――」
 始祖のオルゴールとは? クロロが問う。
 この国の王家に伝わる秘宝さ。六千年前からあると言われてる。
 クロロは顎を引いた。
「――だが、流石にルビーの方は無理だったな」
「皇太子が指にはめてらあな。あれじゃ無理だ」
「その辺の事情も解ってたんだろう。伝令役の女も、万が一隙があれば、みたいな言い方だったしな。主目的はやっぱりこいつさ」
「しかし、始祖のオルゴール? 昨日開いてみたが、壊れてたじゃねえか。さっぱり動かなかった」
「それに見合った警備の粗末さだったろう。もしかして、あの部屋の物を全部持っていかないと割に合わないんじゃないかと、胆を冷やしたくらいだ」
「この時勢とはいえ簡単すぎた。もしかしたら、財宝はもう守る気がないのかもしれん」
「そういえば、武器庫の方の警備は尋常じゃあなかった」
「……まあ、そういうことなんだろうな」
「ああ、そうだろうな」

 その言葉を最後に二人の男は口を噤み、グラス一杯のぶどう酒でのどを潤し席を立った。酒場に外の風が一度流れ込む。しかし場に蔓延する酒気に負け、掻き消えた。
「手癖の悪い男」
 マチルダが嘯いた。古ぼけたカウンターの下で、両の手の中に隠した始祖のオルゴールを、クロロは光のない瞳で眺めている。




 汗を掻いたグラスを脇に退け、二人は新しい酒を注文した。
 既に夕暮時、夕飯時だろうか。マチルダはそのことも含めてティファニアに言って来たため、急いで村に戻る必要はないのだが。酒場全体が騒々しく、猥雑に賑わい、素面を保った面々が一握りとなっていた。
「それで?」
「何だい」
「話の続きだ」
「ああ……」
 マチルダは、グラスに浮かんだライムを軽く舐めた。
「海に沈まない男の金貨は男の物だ。海に沈んだ、死んだ男の金貨は男の子孫の物だ。
 こうだろ?」
「ああ、それが自然だろう」
「これの中間はどうなんだい」
「間か。ふむ……」
 愉快な意見を聞いた、とクロロはカウンターについていた肘を離し、椅子に背を預けた。マチルダが笑いながら、彼の返答を待っている。店の中央では酔っ払いの一団が飛びぬけて盛り上がっており、他の集団がやや不快げな顔をしていた。
「"いずれ溺れ死ぬ"ことが決まった、海底に向かって沈んでいく、しかしまだ息のある男。そいつの金貨は誰のものか?」
「そう! それだ。そいつはどうなる」
 なあ、クロロ。とマチルダはさも愉快そうにグラスに口付けた。素振りは見せないが、彼女も幾分か酔っている。
「金貨はいつから子孫の物になる? 死が決まっている男の死を待つ必要はあるのかい?
 金貨の重さで男を海底に連れ込む財宝に、まともな価値はあるのかい。
 "人を生かす価値"がさね」
 けたけたとマチルダは笑った。
「生きている、しかしいずれ死ぬ」
 その金貨は既に、男の子孫の物と呼んで差し支えあるまい。
 二人が同時にグラスに口付け、それぞれを干す。酒場の中央では喧嘩が始まっている。
 ところで、とマチルダは言った。

「もうすぐ滅びる国、底に穴が開いた国、溺れる王、やがて海底に沈む皇太子。
 そいつらが抱えた財宝は誰の物だい?」
 彼らは今まさに、海底に向かって沈んでいる。クロロは無表情に口を開く。
「同じだ。それもやはり子孫の――」
 財宝は子孫の物だ。





 アルビオンという国が傾いていく中、仕掛け人のレコン・キスタ、その盟主クロムウェルは、常日頃から飄々とあり声を荒げない人物だ。
 店の小僧に使いを頼むような声音で、さも親しい友人のように部下へ頼み事をする。そして、たとえ失敗しても笑って許す。レコン・キスタの面々は、それが本人の気質によるものだと考えていたが、そうではない。
 クロムウェルの"お願い"は、日々彼の机に重ねられる報告に目を通し、彼自身が良かれと判断して計画するものだ。良い結果が出れば勇んで黒幕シェフィールドに報告に行くし、悪い結果が出れば竦んで報告に行く。クロムウェルは本来、盟主など務まる器ではない。功名心だけが強く、実を伴わないのだ。それ故黒幕たちに選ばれ盟主となったのだが。
 ところが、失敗の報を持ってシェフィールドを窺ったとき、彼女に助けを求めると、クロムウェルには決まって同じ言葉が与えられた。
 大局に影響はない。案ずるな――
 盟主の器ではない。だからこそ、思いつくどんな策も、失敗しても成功しても何も変わらない。矮小で益も害もない策だった。

 これまで軽い気持ちで許されてきたからこそ、盟主の前で始祖のオルゴール確保失敗の報告をしていた二人の貴族は、クロムウェルが憤慨したことに驚いた。元々は己らの失敗の責であるからか、虚無を使うと噂されていたからか、大司教とはいえ平民出身の彼に怒鳴られるなど、と思うことはなかったが。むしろ二人の貴族は、クロムウェルの取り乱し方にこそ驚いていた。
 瞼は極限まで上がり、白目に浮き出る血管が見えるようだ。一度作った握り拳も、段々と震え解けていく。憤りによるものか、懼れによるものかはわからない。唇は色を失い、目の下の隈が随分と映えていた。
 唖然とする二人を置き去りに、クロムウェルはか細い声で、少し席を外すと言って立ち上がる。人と会うのだろうか。その場に居合わせた同盟員たちは、彼が外套の下、服の襟を気にする様を見て困惑の表情を浮かべた。
 アルビオンを蹂躙し、ハルケギニア全土に牙を剥かんとするレコン・キスタの絶頂、盟主クロムウェルが誰に憚るというのか。

 程なくしてクロムウェルは、二人の貴族を連れて小部屋に入った。そこには嫌忌を撒き散らす、不遜な女性が座している。
「その始祖のオルゴールを紛失した経緯を、詳しく彼女に伝えてくれたまえ。
 彼女は数多のマジックアイテムを使いこなすのだよ。どこに落としたかも、すぐに分かるだろう」
 それだけ言って、その女性、シェフィールドに全てを任せ部屋を出る。廊下は小窓ばかり並び薄暗かったが、安堵の溜息を吐いた。しかし幾許もせぬうちに、再び足取りに頼りなさが現れだし、終いには壁に背を預けねばならなくなった。
「始祖のオルゴールは、失敗……失敗なのだ。さぞお怒りに違いない。
 ……そうだ! もう一つ所望していた風のルビーを、あれを手に入れることができればきっと、そうだ……」
 トリステインのとある子爵の下へ、最優先で風のルビーを手に入れろ、という指令が届くのは、その日のうちのことだった。




「――。魔法には、火と、水と、風と、土。四つの種類があります。
 怪盗土くれのフーケは、土の魔法がとても得意なメイジでした」
 快晴の下、ウエストウッド村の中央に、大勢の子供が集まっていた。彼ら彼女らに囲まれて座るマチルダは、自前の紙芝居などを持ち出し、威勢の良い声を飛ばしている。
「フーケが魔法で作ったゴーレムは、とてもとても大きなものでした。
 ドラゴンの何倍も大きくて、オークをまとめて何人も持ち上げるほど力持ちです。
 フーケはある日、目がくらむようなお宝の話を聞いて――」
 一歩分離れて聞いていたクロロは、子供の相手が随分様になっているマチルダに驚いていた。酒の席での、他でもない彼女の言によれば、物語中の土くれのフーケはマチルダであるらしい。いわば自伝と呼ぶべきそれを子供らに聞かせて、彼ら彼女らがあげる歓声に口元を緩めている。
「あざとい女」
 クロロが嘯いた。マチルダの耳まで届いてしまったようで、鋭い視線が飛ばされる。
「――フーケはすばやく、格好よく、美しく、お宝を盗み出して、お城の壁にこう落書きして行きました。
 ほら、フアナ。文字は勉強してるんだろうね。これが読めるかい」
 マチルダは、白紙一面に流麗な文字が記された紙を掲げた。
「『風のルビー、確かに領収いたしました。土くれのフーケ』
 でしょ! どう?」
「そうそう、よく読めたね。きちんと勉強してるじゃないか」
 自伝ではなかったらしい。まさにこれからの話のようだ。怖い姉貴分が遊んでくれているためか、皆楽しそうにしていた。
 褒められた子供は、目を輝かせ、得意そうに笑っている。
「なあ、マチルダ」
 クロロはこちらに向かう足音を拾った。
「何だい?」
「あまり盗賊の話ばかりしていると、テファが聞きつけてくるぞ」
「はは、そんな下手は……げっ」
 すぐさま絞られ、頭を下げるマチルダを見て、子供らが笑う。

 ティファニアは、昼食の用意が整ったことを知らせに来たようだった。配膳はいつものように、調理の簡単な手伝いをしている何人かが行っていた。
 クロロとマチルダは向かい合うように座っている。騒がしく食事する子供の隣、緩慢な動作でシチューを口に運んだ。
「記憶を消す呪文、だったか。テファの魔法は」
「ああ、そうさね」
「火、水、風、土、どれも当て嵌まらないだろう。
 特質……特殊な系統なのか」
「そう。そして実物を見て思い出したよ。始祖のオルゴール、こいつは確か、四系統のどれでもない、虚無の魔法が封されたと言われている宝の一つだ。
 虚無が使えるメイジはもう六千年の間、現れていないと言うけど……。テファがこの箱から呪文の旋律を拾い聞くまで、まったく音のしないオルゴールだと伝えられてきたんだから、まぁ、そうなんだろうね」
 この土地では、念ではなく、魔法と呼ばれる技能が力を持っている。念を感じ取る一切を奪われたクロロには、念の有無が分からない。だが、争いで力を振るうのは魔法であり、それは秘匿されていなかった。求める除念の鍵は恐らく魔法の先にあるものだ。
「呪文の旋律、鳴らないオルゴール、か。聞くには素質が必要だったのか」
「そして風のルビーが必要だったのさ。オルゴール、腕輪、そして才能。きっとどれも不可欠だった。
 記憶を消す以外にも、もっと沢山の呪文があるはずなんだ」
 不可欠な三つの内二つは、今、このウエストウッド村にある。
「そんな、虚無だなんて、そんな大それたものじゃないわ」
 マチルダの隣で、ティファニアがコップを傾けた。控えめに視線を落として恥じらぐ。
「本当に虚無かどうかは分からないさ。
 ただ、テファがそれらしい魔法を使えるのは確かだろ」
 それからマチルダは、思い切るように続けた。
「レコン・キスタの暴挙で、自前の城とその周辺まで動きを制限されたウェールズ皇太子だけど。どうやら普段は城に居ないらしい」
「ならば、どこへ?」
「後方で武器資源の調達をしているとか……。まあ、噂だがね。
 そしてもう一つ。レコン・キスタがもう直ぐ大挙して攻め入るらしい。こっちの噂はほとんど確実さ。傭兵やらの動きは隠せるもんじゃない」
 恐らくこれが最後の機会だ、とマチルダは言った。
「一週間前、急いて臨んでも皇太子は居なかったはず。そして、一週間後にのんびり訪ねても廃墟しかないだろう」
「ルビーは今、王城にしか、ないのか」
「だからこそ今さ」
 クロロは腕を組み、感情を映さぬ瞳でマチルダを睨めつける。彼女は優位の笑みを崩さない。
 やがて二人は、食事を終えて立ち上がった。
「姉さん、クロロさん。どこかへ出かけるの?」
 皿を片付けていたティファニアがそれを見咎める。
 早々に、扉に手をかけていたマチルダが振り返った。闇夜に紛れて獲物を狙う凶鳥が、雛の前でそうするように笑いかけた。そして足早に外へ出る彼女に、クロロが続いた。




 ウエストウッド村からアルビオン城までの道程は、実のところ然程ない。それこそ人目を憚らず、マチルダがゴーレムなどを練成して歩かせれば、半日で辿り着けるほどだ。
 その道を、二人は徒歩で進んでいた。
 馬での移動は、必ず起点と終点を大人数に知らせることとなる。馬ごと盗用するのであればまた別だが、起点が必ず目立ってしまうし、今回は起点こそが隠すべきだった。
 軽く駆け足で荒れた道を進みながら、マチルダが口を開く。
「不思議な……。不思議な、感じだ」
「どうした?」
「お前さ。テファの使い魔だっていうのに。こうして私と王城に乗りこもうとしている。
 ……使い魔の召喚は、私が勧めたのさ」
 それだけ言ってマチルダは口を噤み、暫し大地を蹴る音だけが響く。クロロは視線で彼女に先を促した。
「あの子を守るためだ。先ず戦闘力、次に視覚の共有や、危機への触覚を期待した。最初の一つはともかく、人間じゃあまりよろしくないらしいけどね」
「視覚の共有か。何度かだが、身に覚えがあるよ、それは。
 今も見えている」
「何がだい」
 クロロは歩みを止め、遠くを窺うように目を細めた。彼を催促するように、目元を歪めて振り返ったマチルダだったが、次の言葉に表情を消した。
「家と森が見える。今しがた後にした村だ。
 その森が……燃えているな。誰かにやられたらしい」
「本当か!」
「まあ、嘘じゃない」
「なんでそう冷静に……クソッ。おいクロロ、戻るぞ」
 マチルダは急ぎ身を翻す。焦燥を背負う彼女の背に、ひやりとした声がかけられた。
 人気のない道だ。枝草を踏み散らす音も、獣が唸る音も、鳥が嘆く音もなかった。人間の心音が二つある。強い激高と怜悧な諦観の相反するさま。
「オレは戻らない」
「なぜ!」
 クロロはの声音は普段と変わりない。
「今を逃せば風のルビーは消える。オレはそいつが欲しいんだ、マチルダ」
 日頃から表情を動かさないクロロの顔は、何かを欲しいと口にしたときだけ、童子のように彩られる。どうあっても動かないと解ったのだろう。マチルダは目元を歪めて、一度唾を吐き捨てた。
「……私は、私は戻る! お前は勝手にしていろ!」
 瞬く間に地面が盛り上がり、頑強な土の巨人がマチルダを持ち上げた。このゴーレムごと村へ突入することは無いだろうが、距離を稼ぐのだろう。大股で跳ねる巨人の歩幅は、マチルダのそれとは比べ物にならない。
 クロロはそれを少しの間だけ観察していたが、やがて視線を外し、王城までの道につき直した。同伴者が居なくなったため、足運びに気を使う必要もない。彼はハンター試験を修めていた。確かに念はない。念は使えないが、プロハンターは例外なく常軌を逸する存在であった。数歩の内に、巨人の足音は遠く消えていく。
 クロロの歩幅もまた、マチルダのそれとは比べ物にならない。




 クロロは盗賊だ。
 金貨が沈むまで待とうとは思わない。
 海底にある金貨の所有権を、得ようとも思わない。金貨は手の中にあるのか、ないのか。それだけのことだ。
 そして手癖の悪い男クロロは、そこかしこで沈みだす"溺れる金貨"を、奪わずにはいられない。
 真実の盗賊だからだ。