Granvillouise


Granvillouise



「素敵! ねえ見て! 見えるわ。あそこが王都!」
 ルイズは何度も何度も心に描いた景色を心の底から味わい、そして込み上げてくる幸せを噛み締めていた。
 魔法が使えるようになったわけでも、空を翔るドラゴンを召喚したわけでもなかった。フライもレビテーションも、相変わらず爆発してばかりだ。だが、必死にフライを唱え続ける彼女の隣で、喚ばれた異国風の男が広げた一枚の絨毯が全てを変えた。
「本当に本当に凄いわ。この絨毯って、使いすぎて魔法が切れたりしないの?」
 喜びであちこちに視線を飛ばしていた彼女が、はたと振り返ったのを見てクスクスと男は笑う。
「大丈夫さ、心配いらないよ。誰かが魔法をかけたから飛べるわけじゃないんだ。
 グリフィンのたてがみと、ペガサスの尻尾で編んだ特別製だよ」
「ペガサスですって!?」
 バランスを崩したルイズの腰に慌てて手を回す。
「あまり数が居ない上に自己犠牲の激しい種族だからね。文句無しに高級品さ」
 この桃髪の魔道師見習いが本当に舞い上がっているのを感じて、男は自分も嬉しくなった。選ばれた二十人だけが賜れるこの絨毯は、自分の誇りだったのだ。
「さぁルイズ、そろそろ下に降りよう」
 そう言って、まっさらな左の手の甲をくるりと回転させてから、絨毯の舵を取る。
 ルイズは景色を名残惜しむように一度見渡すと、下に視線をやった。こちらを見上げて立ったまま、微動だにしない赤い肌の亜人が居た。ルーンが刻まれたとき、亜人は酷く興奮したが、直ぐに従順になった。今日は良いことばかりだ。
「しっかり掴まっていてくれよ!」
 重力に身を任せるように、絨毯は降りていく。向かい風が強かったのだろうか、男のターバンという白い帽子に腰掛けていたフェアリーが、ゆるい上着の胸元に飛び込んだ。



 ルイズの使い魔召喚の儀は、何度目かの爆煙の向こうに三つもの影を浮かべて成功した。彼女より幾許か背の高い端正な男と、彼女よりとんでもなく背が低い赤肌のゴブリンと、彼女の中指より少し背が高い気難しげな妖精だった。
 男は腰元に立派なカトラスを提げていたが、平民だというので、ルイズは隣のゴブリンとコントラクト・サーヴァントを結んだ。初めのうち、彼女は必死にフェアリーと契約しようとした。しかしそれが、耳をくすぐるくらいの羽音を立てるだけで、目にも留まらぬ速さで逃げ回る種族だと知って諦めたのだった。
 ルイズから手を伸ばしても触らせては貰えないが、時たま平民の頭の上から離れて彼女の肩口に腰掛けるので、概ね満足している。何よりフェアリーは愛らしかった。
 その日からルイズは、良く笑うようになった。



「ねぇ、ゴブリン」
「へい! なんでしょう旦那!」
「あのね、私は女なの。それにまだ16歳よ」
「へい! すいやせん兄貴!」
「兄貴は違うでしょ!?」
「失礼しやした! 旦那!」
「ああもう、ご主人様って呼びなさい!」
「ご主人ですか? わかりやした」
 ゴブリンは頭が悪い。
「ええと、そう、そうよ。あのね、頼みがあるんだけど……」
「へい旦那! 何でも言ってくだせえ!」
「こ、この……っ!」
「はは、ルイズ、私がやるよ。服の洗濯でいいのかな」
「……。はぁ。ええ、お願いするわ」
「剣には自信があるが、なにせ人間だからね。私たちは3匹一括りのようだし、使い魔の皆さんの中じゃ肩身がせまい」
 そう言って男は軽快に笑うと、衣類のたくさん詰められた籠を片手で持ち上げた。
 そのやり取りが終わっても、ゴブリンはその場でしゃちほこばって、自分への命令を待っていた。ルイズは両手で顔を覆った。



 ある日、ルイズはミス・ロングビルと連れ立ってピクニックに出かけた。
 自分と学院長の秘書との間には、全くと言って良いほど接点がない。ロングビルの御する馬車の中でしきりに首をかしげていたルイズだったが、恥ずかしそうに言った秘書の一言で詮索を止める事にした。
「その、つまらない理由なんですが、彼ってもの凄い奥手で。
 自分の主人が一緒じゃないと、なんて言って、いくら誘ってもつれなくて……すみません、ミス・ヴァリエールにはご迷惑を」
 なぁんだ、とルイズはロングビルには聞こえないように呟いた。
 長姉が行き遅れの部類に入るので、多少の理解があった。ルイズから見ても、自分の使い魔は平民だが腕の立つ良い男だったし、平民だがエキゾチックな顔立ちには魅力があった。
 その男は馬車の真上、空の上からこのあたりの地形の把握に努めている。自分の隣に座るゴブリンは言うなと言えば何も言わなくなるし、少しこの年上の秘書の恋愛に助言するのも良いかもしれない。
 ルイズは嬉々として使い魔の好みや、性格を語った。前を向いていたせいで表情は見えなかったが、饒舌なルイズの話をロングビルは詰まらなそうに聞いていた。



 花を摘みに行ったまま帰ってこないロングビルを、ルイズは古ぼけた小屋の中で待ち侘びていた。
 森の中に建つ簡素な小屋は木こりのためのもので、とても赴きがあるとは言えない。あと五秒以内に帰ってこなかったら、ロングビルの分のサンドイッチも食べちゃうわよ、とルイズが心の中で言い訳してから五秒も待たずに手を伸ばしたとき、彼女の耳がロングビルの悲鳴を捉えた。
「ミス・ロングビル!?」
 慌てて小屋を出て、悲鳴のした方向に向かって駆け出す。戦闘を走る平民の背中にルイズが頭をぶつけ、すぐ後ろに続いていたゴブリンが急に止まろうとして激しく転倒した。ゴブリンだけ既に満身創痍だった。
 ルイズは痛む鼻頭を押さて、平民の後ろから前の覗き見た。
「……ジャイアントゴーレム!?」
「悲鳴は悪いけど冗談。わかるね? さっさと魔法の絨毯をよこしな!」
 ルイズはその一言で悟った。この秘書は盗賊だったのか。あんたも魔法使いなら、フライが使えるんでしょう!? ルイズは叫びたかった。取り上げないで、と思った。
「使い魔は……逃がしてくれるのかしら」
「今日は秘書ロングビルも行方不明になる、って言えばわかるわよね」
 つまり全員まとめて不幸に遭ったことにし、全てを闇に葬ろうというのだ。ルイズは唇を噛んだ。
 そのとき、ルイズを守るように男が懐から一輪の花を取り出した。
 ぞっとする程に美しい、黒い水蓮だった。



 あ、とその花に見惚れていたルイズは声を上げた。水蓮がぼろぼろと、男の中で崩れていく。そして緑色の光を三つ出して消えた。それを見た男は満足げに頷くと、肩口にとまっていたフェアリーに全て分け与えた。

 巨大化/Giant Growth
 巨大化/Giant Growth
 狂暴化/Berserk 

 大きく、大きくなる。
 三十メイルものゴーレムを飛び越え、ルイズの腕ほどの大きさになったフェアリーがロングビルに突進した。それは力の限りを尽くした体当たりで、彼女の体力を大幅に奪う。そして、そのフェアリーの影から、絨毯に乗ってゴーレムを飛び越えた男のカトラスが襲う。男の方はかすり傷だった。ロングビルは逆上する。
 吼えるゴーレムにルイズは慄いたが、はるか頭上から繰り出された鈍重な拳は、ルイズの後ろでぼんやりと立っていたゴブリンが一切を受けた。
 とん、と軽く押されて一人分の場所を譲ったルイズは、真横に振り下ろされる土塊と、それが当たる寸前に自ら四散したゴブリンを見た。ぴちゃぴちゃと肌に血が降りかかるのを感じて、ルイズは泣いた。
 馬鹿だが、良いやつだったのに。
 ゴーレムが拳を振り下ろしたとき、ロングビルはちくりという痛みを感じて顔を顰めた。

 男は絨毯の上で、懐から青い宝石を取り出した。それが一瞬輝きを放つ。先ほどの花のように崩壊することはなかったが、青色の光を一つだけ出して自分の胸に当てた。

 不安定性突然変異/Unstable Mutation

 どちらかと言えば細身だった男が、瞬く間に筋肉質になる。そして、ルイズが驚きの声をあげる前に、彼は再び絨毯に乗ってロングビルに剣を振るった。
 ちょうどその一振りで、ロングビルが気絶した。
 ルイズは歓声を上げ、崩れ落ちたゴーレムを迂回して男に抱きつこうとしたが、男の筋肉が萎み、肌に皺が出来始めるのを見て悲鳴を上げた。

「ルイズ、驚かないでくれ。これは仕方の無いことなんだ。この青の魔法は私たちに一時の力を与えてくれる。けれど、ほんの僅かな火事場の馬鹿力の後の、死への衰弱も約束する」
 男の衰弱は、人間的な範囲をとうの昔に通り過ぎ、やがて肉体が淡い光となって散り始めていた。
「いやよ、だめよ! ゴブリンも死んじゃったし、フェアリーも消えちゃったし、あなたまで!? 絶対に許さないわよ!」
 ルイズはぽろぽろと涙を溢しながら言った。
 その言葉に男は目を見開き、少しだけ困ったように、何か言おうと口を開きかけた。そして消えた。
 ルイズは大声で泣き喚めいた。泣き喚いて、涙が止まらなくて、何度も何度も男と、ゴブリンと、フェアリーを呼んだ。声が嗄れるまで、涙が枯れるまで泣いた。それから咽喉の痛みで別の涙が流れ始めたとき、男の立っていた場所に何十枚ものカードが散乱している事に気づいた。
 それは、ちょうど六十枚あった。



 気絶したロングビルを縛って学院に戻り、目元を良くマッサージして寝た次の日、ルイズは中庭に出てそのカードの山から宝石を三つ取り出した。青い宝石と、赤い宝石と、緑の宝石だった。
 それぞれ三色の光が現れ、そしてルイズの目の前に留まる。ルイズは続けて、特別な三枚をカードの山から取り出した。それぞれに、光が吸い込まれる。

 空飛ぶ男/Flying Men
 モグの狂信者/Mogg Fanatic
 スクリブ・スプライト/Scryb Sprites

 ルイズはにこりと微笑んでから、生涯で二度目となるコントラクト・サーヴァントの詠唱を始めた。