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フロムヘル 01
誘いの手紙


フロムヘル



 ちょっと前までは社会人だった。

 一ヶ月ほど前に両親が死んだ。
 それから毎晩泣いて過ごした。私が十三歳で、仕事を始めると決意した折に、事務所の社長が私に仰ったことを繰り返し思い出す。
 もちろん僕も君も、君が売れることを願って仕事をするわけだけれど、もし君が売れ出したのなら、ご両親の最後は看取れないものと覚悟してくれよ。
 一人っ子だった故か、父と母にべったりだった私を慮っての言葉だったろう。当時の私は、なんて酷い事を言う人なんだろう、と顔を歪めた。
 近くに転がっていた菓子袋に手を伸ばし、空であることを確認してまた横になる。
 両親が事故に遭った、と事務所に連絡があったのは、パリで行われた少しばかり大きな収録の半ばのことだったそうだ。無事に全日程が終わるまではと、マネージャーが情報を止めていたらしい。その二日後に届いた凶報も同様に。
 聞いた瞬間に泣き崩れ、そのまま失神してしまった私の様を考慮すれば、彼の判断はなるほど合理的だった。ただ、そのことについて納得しきるころには、私はこの、普通とは違った職業に、形容しきれぬ嫌悪感を持ってしまっていた。
 引退表明は驚くほど粛々と行われた。それなりに騒がれるだろう、というマネージャーの客観的判断もあり覚悟していたのだが、喪服のまま会見に赴いた私に、記者の方々が気を使って下さったようだった。
 こうして、二十三歳の誕生日を来月に控えた私、遠野立花(りっか)は死んだ。藤堂梨花は来月の六日で、晴れて二十歳になる。
 振袖姿を見せたい相手は櫃の中に居る。



 ファンの方から、悔みのお手紙を何通も頂いた。

 葬儀に追われ、食事が喉を通らない日々を送っていた私にとって、それらは貴重な助けとなった。突然逃げるように引退したことに対する謗りや、失望の声に胸を打たれることもある。だが、真摯な言葉の群れは私を癒し、助けてくれた。
 多忙を理由に目を通すだけに留めていたこれらに、真剣に目を向けたのはいつ以来だったろうか。
 手紙を下さる方々は、いつだって真摯だったはずだ。受け止める私がなおざりな態度を取り出したのはいつ頃だっただろう。十六歳、と銘打って売り出した十三歳の私が、初めて受け取った手紙は覚えている。
 歳のわりに大人っぽく見えますね。
 今でも、思い返して笑うことがある。この一文は狙ったわけではないのだろうが、節々で笑いを誘うユーモラスな手紙だった。今でも机の引き出しに入っている。稀に読み返す。だが、他には?
 覚えていない。
 こうして身が寂しくなってからやっと目を向ける厚顔さに、胸が苦しくなる。
 優しい言葉、嬉しい言葉、楽しい言葉、格好の良い言葉。あるのかもしれない。今まで頂いた手紙は全て、以前母が買ったマンションの一室に保管してある。物置として持っている筈の部屋が、宝の山に見えた。
 ルームキーは宝箱の鍵に見える。



 異世界への招待状が付してある。

 お悔やみ申し上げます。
 気晴らしに、ゲームなどどうでしょう。
 ケイオスランドオンラインという、VRMMORPGをお勧めします。
 その手紙は三行で抜き出すと、こんな感じの内容だった。
 あれから、篭って手紙ばかり読んでいた。気づけば二十歳まで七日を残すばかり。手紙たちには私の七年間が詰まっていて、この三週間で随分泣かされ、また随分笑わされた。
 全て読み終えてしまった。
 たまたま、その手紙が最後の一通だったのだ。ゲームで遊んでみるのも良いかな、と思った。
 幸い七年間、仕事はそれなりにあって、私には資産と呼べるほどのちょっとしたお金があった。ゲーム機は高かったが、子供がお年玉を貯金すれば手が届く程度のものだったから、その日のうちに購入した。それらは、翌々日家に届いた。



 足跡が残り、消され、手がかじかむゲームを初体験する。

 VRMMORPGの、VRは、バーチャルリアリティ、と言うらしい。ドキュメンタリー番組が冷凍睡眠を扱った回にゲストで参加したことがあるが、ゲーム機はその容器に似ている。移植技術と人工臓器がここまで発達しなければ、冷凍睡眠は実用化されていたかもしれない、と専門家の方が嘆いていらしたのが印象的だったのを覚えている。
 リアルな感覚をうたったこのケイオスランドオンラインは、三国から自分のホームを一つ選べる。海の傍、森の奥、山の麓。
 私が選んだ山の麓には皇国という国があり、一年中雪が降っている。
 町には武家屋敷や、あばら屋が混在しており、さながら江戸時代の日本のよう。冬の寒さが非常にリアルであるため、最も人気がない国だが、この国をホームにしたキャラクターの中から、稀に武者の職につける者が出てくる、らしい。
 兜を被り、鎧を着て日本刀を腰に提げる彼らのかんばせの堂々たるや。
 一部に受けているのか、寂れているわけでもないようだ。私にはまだ、PC(プレイヤーキャラクター)とNPC(ノン・同略)との区別がつかない。
 切々と積もる雪は美しい。


 キャラクター名はリカにした。rikaもrikkaも使用済み、とあり(同名のキャラクターが存在します、というメッセージ)、片仮名で名乗る。
 キャラクターネームに漢字を使わなかったのは、単純に思いつかなかったからだ。芸名も事務所に考えて頂いた私は、特徴ある名前を初めから諦めていた。かといって、本名を使うことも、なんだか怖くて出来なかった。
 皇国にはエルフもマーフォークも存在しない。それぞれ森の奥、海の傍特有の種族だが(それらの国にも人間は存在する。人間のみの山の麓は少し、損をしているようにも思えてくる。)、皇国の人間族でなければ、片仮名も悪くなかっただろう。しかし、時は江戸時代。
 私はログイン直後から、ちょっとした疎外感を味わっていた。



 NPC、初心者案内人福澤氏にお話を窺う。

 ゲームを開始して、皇国に降り立った私は、まず福澤氏に声をかけられた。彼は普段からすぐ近くの茶屋に腰をかけており、初めてこの町に訪れた者に諸々の手解きをしていると言う。
 福澤氏は三十台後半から四十代前半、何事もこれからといった風体の男前で、腰から刀が覗いている。
「お嬢さん、皇国へようこそ。
 システム画面の呼び出し方は、ご存知ですか」
「はい。……コール!」
 私は拳を作り、手の甲で空中を二度、ノックした。途端、半透明の作業パネルに似た何かが眼前に浮かび上がる。
 福澤氏が満足げに頷いてみせる。
「結構。右の上に、処理低下モードのボタンがあるがよろしいか?」
「はい」
 そのボタンは赤色で、他と比べて見れば一際大きい。
「ゲームを長時間やる際は、一時間につき十分程度の休憩が大切だ。健康には十分気を使うように。
 ただし、処理低下モード中は、戦闘行為、スキルの使用、クエストの開始が不可能になるので、注意すること」
「はい、解りました」
「食事や娯楽アイテムの使用は可能だ。
 ここまで話を聞いてくれて感謝する。お礼にアイテムをあげよう」
 草だんごを二串と、今日の日付の新聞を頂いた。それぞれ食料アイテム、娯楽アイテムのようだ。
 用は済んだとばかりに元の位置に戻る福澤氏に向かって、深く頭を下げる。



フロムヘル 02
地図と新聞


 頂いた新聞を広げる。

 初めに目に飛び込んでくるのは、力強い書体で書かれた文字だ。国営新聞。読んで字のごとく。
 新聞と言っても、一枚の紙を二つ折りにしただけの簡単なもので、記事は驚くほど少ない。
 トップ記事は三国間の為替。少し笑いを誘われた。私の所持金は千円。初期配布そのままなのだ。輸入や輸出とは縁がない。
 ちなみに裏面には、町の地図らしきものが刷られていた。とても助かる。



 匿名願望氏に新聞をお譲りする。

 私が口元に手をあてて笑っていると(以前、私の笑いは擬音がきゃらきゃらだと言われた。それ以来手で隠すようにしているが、うふふと微笑む女性への道は遠い)、一人の男性が会釈をくれた。頭上に浮かぶネームプレートに表示された名前は、匿名願望と読める。
 私も返すと、足早に近づき話しかけてきた。
「失礼ですが」
 堀の深い造詣で、神経質そうな顔立ちの方だ。顔色も余り良くない。
「なんでしょうか。私でお役に立てることでしたら」
 彼は印象に反し、鷹揚に頷くと、早口で言った。
「初心者の人ですよね? そして手元のそれは国営新聞で、しかも今日の日付の」
「え? はい。仰るとおりです」
「それを譲ってもらえませんか」
「これをですか? 熟練者の方には然程良いものとは思えませんが……」
 たったの四ページである。内容も形式張り機械的で、とても記事とは呼べない。
 ところが、私の言葉に男性ははにかんだ。突然語りだす。
「皇国には、民営新聞が何種かあります。プレイヤーが発行している個人のペーパーだっていくつも。
 確かにそれらは、二百円から、高くても五百円です。たばこ屋や露店で買えます」
 彼はそこで一旦言葉を切り、私が何とか飲み込み、頷くのを待ってくれる。
「国営新聞は実質無料ですが、実は、この国のどこを覗いても売っていません。この福澤というNPCから手に入れるしかないんです。
 初心者が、始めた日の日付の一部だけ、手に入れることができるんです」
 そこまで言って"待ち"の体勢に入った彼に疑問をぶつけようか迷っていると、彼が付け足した。
「確かに手に入り難いっていうだけで、薄い新聞が何かの役に立つ訳じゃないんですけど。
 実は俺、国営新聞マニア、ってやつで……」
 自分のことをマニアと臆面もなく言ってのける方と(握手会以外で)話すのは初めてのことで、面食らってか声が出なかった。今更ながら、多人数型のゲームというものを実感していた。少し楽しく思えてくる。
 彼の提案に、私は暫し静思した。
 所持金は千円丁度。そこに同じ額のお誘いである。正直を言えば心が揺れた。
 私は恨めし気に新聞の裏表紙を見遣る。初めての土地で、地図を手放す勇気が私にあれば……。
 匿名願望氏は思い出したように言った。
「あ、千円に町の地図も付けます」
「頂戴します。ぜひ」



 長い髪を纏める。

 キャラクターの外装は、性別を除き、任意で選択できる部位はあまり多くない。細かな部分はゲーム機によるスキャニングに全て委ねられ、体型と顔の印象を、三択で選ぶことになる。
(痩せ型、標準型、など。外装については、まだまだサービスが充実していないらしい。)
 取扱説明書には、髪型や色の変更は、ゲームの中で専用のアイテムを使用した場合のみ可、とあった。
 私がゲームの中に来てまで髪の扱いに四苦八苦しているのは、そういう訳だ。かんざしやピンの類も買い求めろ、ということか。
 現実世界から持ち込みたいという気持ちがひょっこりと覗いていた。ままならないものである。



 婦人のお手伝いをする。

 最低級のかんざしを求めた後、街行く人に声をかけるご婦人を見かけた。人はみな、つれない素振りで、彼女の前を通り過ぎる。髪に目を向ければ、飾り無しの自分のかんざしと比べ、ご婦人のそれは煌びやかだ。
 憧れも合い混ざってか、暫くの間彼女に見とれていると、ご婦人は私に狙いを定めたようだった。
「お嬢さん、ちょっとよろしいかしら」
「なんでしょうか?」
 ご婦人は困り顔で首を傾げる。
「お頼みしたいことがあるんだけど……」
「はい、私でよければ」
 答えて気づく。視界の左下で、クエストの文字が表れ点滅している。
 きっと私のような、レベル1の町娘でも出来る簡単なクエストなのだろう。人が彼女を無視して通りすぎるのも納得がいった。通り過ぎていった人々はみな、慣れのある服装だ。適正レベルが過ぎているのか。
 初心者の私はご婦人の言葉に耳を傾ける。
 彼女の話はまず翌日が翌日に誕生日を迎えることに始まり、彼がどれだけ愛らしいか、どれだけ大切に思っているか、諸々、諸々。
「"兔の肉"を持ってきていただけないかしら」
 恐らく明日の夕食の席で並ぶのだ。彼女が料理するのだろうか。
 私は二件隣の食物屋に目当ての物が無い事を確認してから、少し遠くに見える城門まで駆け出す。
 初期装備の小刀には少々不安も貰ったが、なんとかなれば良いという気持ちでいた。見つからない場合は、周囲のプレイヤーに尋ねようと思う。一人用のゲームとは違うのだ。


 走っての移動はスタミナと呼ばれる専用の数値を消費し(戦闘時に死に直結するヒットポイントとは別のもの)、それが尽きると強制的に歩きに移行する。胸が締め付けられるほどではないし、声も出せぬほど酸素が欲しくなるわけでもないが、触り程度にそれらの感触も再現されていた。少しいやらしいと思う。
 息を整えながら、門番のNPCに会釈をして私は外に出た。



 外に出る。

 海辺の町で生まれ育った私にとって、海と空、それぞれの青の間に見える水平線は生まれたときから慣れ親しんだものだが、原や丘と空、それぞれの白の間に見える地平線はとにかく新鮮なものだった。
 一面に積もった雪はなめらかに下り坂を作り、谷を作り、そして丘に登り行くように積もっている。
 化粧した顔を指の腹で擦るような躊躇いを覚え、私はなかなか最初の一歩を踏み出せない。
 プレイヤーの姿は遠くにちらほらと見受けられたが、そこかしこを跋扈する"野兎"のネームプレートを掲げたモンスターの多さに暫し立ち竦んだ。
 城壁は延々と伸びている。


 眉が額に寄ったのはそれから直ぐの事だ。
 それなりに決心をつけ、一歩踏み出し、自分の膝にも届かない野兔と決闘を持つ。
 野兔はノン・アクティブと呼ばれる、こちらが攻撃を加えない限り人間に噛み付かないタイプのモンスターなので、私は一匹の野兔と正々堂々対峙した。
 雪に足を取られ、何度か転倒するアクシデントも有ったが、手に汗を握る互角の戦いの後、勝ち名乗りを揚げた私が得たアイテムはこんな名前だった。
 "野兔の肉"。
 ちなみに求めの品は"兔の肉"である。惜しい。


 少し離れたところで座り込んでいるプレイヤーにアドバイスを貰えないものかと、小走りにフィールドを駆けた。
 そして、うさぎ、というネームプレートが浮かんでいるのを発見した。話を伺おうと思っていたプレイヤーの足元で、一匹の野兔が蹲っている。



フロムヘル 03
猪姫改め


 うさぎの傍で座り込んでいた青年は私に気づくと、軽く手を挙げた。急ぎ挨拶をする。
「こんにちは」
「こんにちは、どうしたの?」
 あくのない顔立ちで笑顔を見せる。ついつい恐縮してしまう。
「私、兔の肉というアイテムを探していまして。あなたのお足元の"うさぎ"と戦わせて頂けませんか?」
 出来るだけ畏まって言う。これだけ広い場所で沢山のモンスターが居るのに、わざわざ人に近づいて足元のそれを貰えないか、などと。あまり行儀の良いことではない。
 彼は笑みを深くして、しかしその場から動こうとはしなかった。
「兔の肉? ってことは、"息子の誕生日"クエストかな」
「は、はい。たぶんそれだと……」
「兔なら沢山居るじゃない。それじゃダメなの?」
「あれは全部、野兔というモンスターで……、うさぎじゃないと駄目なんです」
「このこ?」
「はい」
 すぐさま頷いた私を指差し、彼は大口を開けて笑う。そして腹を抱えたまま、その場所から一歩引いた。
「どうぞ」
「ありがとうございます……うそっ!?」
 青年に一歩譲ってもらい、さあ戦うぞ、と意気込み狙いを定めると、野兔のネームプレートが浮かんでいる。
 慌てて青年の方に目をやれば、うさぎのプレートは彼の上に浮いていた。
「あ、気づいた?」
 思わず赤面する。謝らねば、と思うより先に手が顔を覆い隠した。恥ずかしい。
「自己紹介するよ。キャラクターネーム"うさぎ"です。よろしく」
「り、リカです。よろしく……」
 ああ、消えてしまいたい。




「最初に言っておくけど、兔ってモンスターは町の外には居ないよ」
「そうなんですか?」
「うん、全部野兔」
 からからと言ったうさぎ氏に手を引かれながら、先ほど跨いだばかりの城門を過ぎる。
「そのクエストのお母さんが立ってる家の隣の人が、兔を飼っててさ。その人に言えば貰えるんだけど……。ううん」
「どうかしました?」
「うん、俺もよく覚えてるなと思って。
 それで、クエストの目的って子供の誕生日のディナーの材料じゃん。
 勿論その、兔を飼ってる人は兔を殺して肉をくれるってことなんだけど。実はその兔って子供のお気に入りなんだよね」
「間接的に私が殺した事になるので、怒っちゃうんでしょうか」
「そそ、そうなの。クエスト主のお母さん、子供に嫌われたくなくて通りすがりの人に頼んでるわけ。隣の家なのにね」
「な、なるほど……!」
 思わず唸ってしまった。なんて計算高いご婦人なのだろう。
「ま、それはそれで良いんだけど。問題はレベル15過ぎで受けれるはずの子供のクエストが、発生しなくなることね。これがまたさぁ、格段に経験値良いんだ」
 だから皆、ご婦人の声に耳を貸さずに通り過ぎていたのか。
 しかし、一度引き受けてしまったものはこなさずには。どうしようか。
「クエスト破棄が手っ取り早いんだけど。せっかくだしさ、別な兔の肉の手に入れ方を教えてあげよっか?」
「良いんですか!?」
 出会い頭にモンスターと混同する失礼を働いた私に対して、うさぎ氏はなんて親切なのだろう。きっとゲームの外でも素晴らしい人格者に違いない。
「勿論勿論。フィールドで野兔と戯れる暇人ですから。
 だから着いてきてね」
「はい!」
 私はうさぎ氏に手を引かれるまま、足早に町の中心へと向かった。




 フィールドの雪の色も綺麗だったが、目前に聳え立つ城の白も負けず劣らずだった。乱雑な町並みから頭一つ抜け出したその建築物の迫力に、思わずぽかんと口が開いてしまう。
 城の周りにはあまりプレイヤーが居らず、その荘厳さを印象付けることに一役買っていた。
 うさぎ氏が、見上げたまま感動に浸る私の肩をゆする。
「ごめんなさい。ええと、ここで兔の肉が?」
「そそ。公式じゃ"猪姫の城"って名前なんだけど、プレイヤーの間じゃ……」
 彼はそこで饒舌を後悔するように、ぴたりと口を閉じた。私は少し違和感を覚えたが、やがて腕を引かれたので歩き出す。
「ここの厨房に兔の肉があるんだ。貰うにはお姫様の許可が必要だけどね。頼めばくれる」
「なるほど。お城の食材なんですね」
「うん。……っと、さて」
 歩みを止め、彼がくるりと振り返る。私と彼との間に、見えない境界線でもあるかのような止まり方だった。手は繋いだままである。
 うさぎ氏は唐突に、しかもかなりの早口で言った。
「この城はね、プレイヤーの間じゃ"嘘発見姫の城"って呼ばれてるんだ。
 ……行くよっ!」
「きゃっ!」
 ふっと、強く腕を引かれ、浮いた体を支えるように一歩踏み出す。うさぎ氏は半身引いて、私が前のめるのをにやにやと笑いながら見つめていた。
 咄嗟にしては上手くバランスが取れたようで、どうにか転ばなかった。彼の腕にも少し頼らせてもらった。
 しかし、突然何なのだろうか。困惑しつつ声をかける。
「あ、あの……」
「え、え、うん。あれ?」
「……あの?」
「あ! うん。ごめん!」
「え、ええ。いえ。大丈夫です」
「いや、ごめん! ごめんね!」
 突然頭を下げだしたうさぎ氏になんとか頭を上げてもらい、説明を待った。
 彼はしばらく頭を上げようとしなかったが、やがて説明せねばと思ったのか、やや重たげに口を開いた。
「ええと、ここのお姫様、さっきも言ったけど公式的には猪姫って言って……でも嘘発見姫って呼ばれてるのね。
 別に、お姫様の前で嘘ついたら、彼女がぴこぴこ光るわけじゃないんだけど」
「嘘発見姫(うそはっけんき)ですか?」
「そそ。ただ、彼女のクエストが一つあって、レベルがいくつでも発生するし、進行中はこの城に入る度に進度を尋ねに来るし、完了後もいちいちお礼を言いにくるんだけど……。
発生条件が一つだけあってさ。男だってことが絶対条件なんだよね。唯一」
 おや、と私は首を傾げた。その嘘発見姫なるお姫様、うさぎ氏がこの場に居るのにとんと現れない。
「でも、来ませんね。うさぎさんが居るのに」
 正面から疑問をぶつける。
「それが、ねー。"中身"が男ってのが条件なんだよね。何でだかさ」
「あっ、それって!」
 つまり、そういうことなのか。
「"うさぎちゃん"って呼んでくれても良いよ。こっちはリカって呼ぶけど」
「……月に代わって?」
「言わないからね」




「私、そろそろゲームを始めて五十分なの。差し支えなければ休憩したいんだけど……」
「わ、真面目だー。あ、あんなところにベンチが」
「草だんご、二本頂いたから。どうぞ」
「ありがと」
 お互いの呼び捨て、タメ口を約束し、私達は適当な縁台を見つけて腰掛けた。兔の肉はさっぱりまだだったが、それよりも彼女と話をしてみようと思った。
 彼女の声は、意識してみると随分中性的で、女性と判った後も違和感がなかった。
「なんていうか、ゲーム上じゃないデータってことじゃん? クエストの発生条件が分かったときは結構非難があったみたいなんだけど」
「うん、うん」
「『公式ではクエストの発生条件は公表しておりません。』だって。推測は自由だけどってこと。ずるいっていうよりはもう、うまいなーって思っちゃった。
 結局ほら、遊んでる俺らが勝手に言ってるだけだからさ。その上自分以外の確証は取れないもんだから、もうお手上げ。
 なんだかこう、変な理由で人気のないお城になっちゃったんだね」
 彼女は以前、女のキャラでレベル10まで育てたことがあるらしい。全くの初心者だったときに一度、私と全く同じように兔の肉のことを尋ねたプレイヤーにここに連れられたそうだ。
 その後に今の説明を受け、爆笑したらしい。
「それで、どうして男キャラにしたの?」
 キャラクターは、一つのゲーム個体につき一体しか作れない。削除後、新しいキャラを作るためには三日の冷却期間が必要だ。レベル10とは言え、それなりに大変である。
「うん? あー、そうだね。結構単純。
 一回町ですれ違った武者がやたら格好良くてさ。あ、これやりたい! 超やりたい! って思っちゃったんだ。そしたらもう落ち着かなくって。いつの間にか女キャラは削除してたよ」
「武者は女キャラだと駄目なの?」
「ダメダメ。現実、システム的にも無理みたいなんだけど、告白するよ。
 俺は髭がないとダメだ」
「フェチ!?」
「フェチ」
「ほんとうのフェチ?」
「そそ、フェチフェチ。……でもこら、連呼させんな!」
 私達は大声で笑いあった。



フロムヘル 04
技術と職業


 かんざしを使って少しばかり髪形を気取り、化粧も終えた私はうさぎさんに連れられて精力的に街の外を歩いていた。武器は初期装備の短刀一本。服も相変わらずの初期装備、模様のない小袖だったが、二人組はなかなかのペースで戦闘をこなしていた。
 いまのところ、所持スキルは"刃物取扱いLv.3"のみ。これは例えば包丁などでも、しばらく振るうだけで発生するスキルらしく、短い時間でどんどんレベルが上がっていく。
 目に見えて攻撃力が上昇するわけではないけれども、切れ味は徐々に良くなっているようだ。
「右やって!」
「はい!」
 声にあわせて小走りに雪の上を移動し、短刀を振るう。カセ鳥というモンスターはわら作りの太った案山子に似ていて、切り付けやすい。どんな敵からもリアルな血が噴出することはないが、小さな野兔と比べれば随分気分が違った。
 うさぎさんは私の刀よりもやや長めのそれを上手く使っていて、私が三体倒す時間で四体倒してしまう。やがて彼女が最後の一体も切り倒した。モンスターは砕け消えていく。
 右下にウィンドウが現れ、五十四円と、"わらの束"を入手したことを教えてくれた。
「終了! お疲れさまー!」
「はい。……ふう。良い汗を、かいたつもりだけど、なんだか……」
「あはは、汗は再現されないからね、良い汗をかいた気持ち。気持ちだけ」
 刃に汚れがつくこともないので、時代劇ドラマのように手入れをすることもない。たった今、使ったばかりの短刀を躊躇いもなく鞘に仕舞い、私は額をぬぐう仕草をしてから赤面する。意味のない動作だった。
「ま、気疲れはするから。とはいえ、普通は三時間四時間はぶっ通しで狩りするらしいけど……。リカは一時間に十分の休憩なんでしょう?」
「ええ、覚えていてくれたの?」
「さっき聞いたばっかりだしね。」
「ありがとう。じゃあ、休憩しましょう。本当なら、お茶でもたてるところなんだけれど……」
「こんな雪の中で!?」
「ふふ、そうよ」
 私は屈んで雪に手を当てた。実のところ、雪が敷き詰められている割には足元が寒くなかった。空も晴れていて、日が射している。
「躊躇うほど寒くないわ。雪が日光を反射して綺麗だし、野だてには丁度いいくらい」
「野だて?」
「外でお茶を立てるの。道具が売っていれば……」
 うさぎさんが、勢いよく右手を突き上げた。
「探しに行こう!」
 勿論賛成だ。
 今し方の稼ぎは五千円強。専門店でも見つかれば、安いものなら求められるかもしれない。



 大通りを歩き、うさぎさんと二人で道々の店の奥を覗く。人間が沢山居る事からくる賑やかさは感じたが、店番たちはあまり精巧なNPCではないよう。定期的に巻いたネジが切れるような、眼前の3D動画がコマ落ちしているような、妙な感覚を味わいつつ目当てのものを探していた。
「茶道具店? 茶葉屋? どこにあるのかしら」
「ちょっとリカ、見つかんないよー。リアルじゃどこで買うの?」
「デパートね」
「なるほど」
 店を探すことにNPCは全く役に立たず、隣の彼女はその下手な対応に文句を言っていたが、一人用RPGとは開発費が違うだけあってそれなりの会話が可能だ。
「あのう、茶道具を求めたいんですが」
「茶道具ですか? ちょっと解らないなァ。それよりあんず飴を買わないかい、美味しいよ」
 有用な情報を得る事は難しいようだ。
 まだまだ続く道には数えるほどしかプレイヤーが居ない。そのため、一人の青年が近づいてきたことに、私たちはすぐ気が付けた。
 素早くうさぎさんと目配せあった後、彼女が口を開く。知らぬ人の応対は男性キャラクターの仕事、ということで意見が一致した。
「何か用でも?」
 うさぎさんの問いに、青年は人好きする笑みを浮かべて言った。
「えーと、何か探してるみたいだったから。よければ教えるよ」
 栗色(茶色)の地味な上下を着こみ、矢筒を背負っている。弓道スキルの持ち主は滅多に居ないと聞いたばかりだったから、彼の格好に驚いた。
「お茶の道具を探してるんですが。なんかありそうじゃないですか。皇国ってこんな感じだし。見たことありません?」
 うさぎさんが、江戸時代の宿場に似たこの場を指して言う。青年も同意した。
「そうですねー。自分で買ったわけじゃないのでうろ覚えだけど、心当たりありますよ」
「本当ですか!?」
「ぜひ教えて下さい」
 失礼にならない程度に前に出て言う。割り込んだ形になっただろうか。
「それに俺、"価格交渉"のスキルもってるしさ、他にも欲しいものがあったら言ってくださいよ」
「そいつは心強いなー。商人系のジョブですか?」
 うさぎさんがちらちらと、彼の背中の矢筒を見ながら言う。
「いいや、ジョブはこれだよ」
 不敵に笑って答えた彼も、その背中のものを指差した。
 やはり"弓兵"なのだろうか。



 そして木蔵と名乗った青年に連れられ、私たち二人は一本だけ道を逸れた。やや狭い通りと、顔色の良くないNPCたち。
 些か雰囲気の悪い通りだ。暖簾の出ている店と出ていない店が半々で、看板代わりに和紙を貼り付けただけの店もある。
「ここに茶道具店が?」
 私は不安を覚え尋ねた。
「いーや、この通りじゃないですよ。まだ先。
 けどその前に、一箇所寄ろうか」
 木蔵氏は早足で進んでいく。
「あ、先ずあそこかな、あれ」
「ええ? ちょっと木蔵さん……」
 隣でうさぎさんが不平をもらしている。私も困惑していた。
 素金とある。
「いいからいいから、大丈夫だから」
 いつの間にか木蔵氏は後ろに回っていて、私は強引に背中を押され店に入ってしまった。
 入り口から店主の構える台までは何歩もない。外見の大きさに比べ店内は狭く、店主の後ろは暗幕で仕切られていた。いかにもな風が漂う。
 木蔵氏がぴしゃりと店の戸を閉めてしまったので、私は観念して彼に説明を促した。
「ここで何をするんです? そもそも何のお店なんでしょう」
「銭屋、質屋、素金、とかなんとか。ここでお金を前借りして、茶道具だっけ? それを買えばいいよ」
 銀行みたいなものだろうか。
「あの、その……いいえ。
 そこまで急いているわけではないんです。なくてゲームが進まないわけでもないし、高価なものならなお更、買えるだけお金が貯まるようになってからでも」
「いやいやいいから。俺は結構商人系のスキル持っててね、借用証の(良)が書けるよ。借りれる金額も上がるし利息も下がるし、遠慮することないって」
 消費者金融に近いのかもしれない。
「それってまんまサラ金じゃん。リカ、出るよ!」
 憤ったうさぎさんに腕を引かれた。けれど、サラ金ならやはり、頼らずに出るべきだ。そういうことをして、茶道具が欲しいわけではないのだ。
「木蔵さん、折角ですがごめんなさい。
 やっぱり自分達で探そうと思うので、悪いんですけど、止めて、あの、すみません、その、そこを通して……。……あの?」
 断りの言葉に気を使い、早々に去ろうとしたのだが。木蔵氏は動かない。笑みを浮かべたまま、いなすためにか口を開こうとするが。
 私が彼を説得するよりも、私が彼に根負けするよりも早く、うさぎさんがきれた。
「いい加減にして!
 うさぎは、木蔵に、決闘を申しこぉーむ!!」
 城内PVPの合図である。



フロムヘル 05
弓道のスキル、ジョブ


 PVP(プレイヤー間の戦闘)は城内、モンスターのいない場所では、一方が挑戦、もう一方が了承することで始まる。
 それは屋外限定であり、健全とは言いがたい店であっても、店内で決闘騒ぎを起こすことは出来ない。とはいえ、ものはやりようである。戸口で通せんぼをするように立っていた木蔵氏の脇から、うさぎさんは蹴りつけるように足を一本だけ押し出した。強引に一足分だけ外に出て、無理やり"屋内ではない"状態を作ってしまった。
 挑戦された側は、了承と共に拒否の選択肢も与えられるが、ペナルティが生じる場合がある。
 レベルが十低い相手からの挑戦を断ると、矜持(いわゆる名誉点)が低下するのだ。逆に、十低い相手に挑戦して断られた場合も下がる(この場合、相手が了承したなら下がることはない)。
 レベルに恥じぬプレイをしろ、とでも言うのか。自分よりレベルが低い相手からの挑戦を断ることは難しく、自分より低い相手に同意も取らずに挑戦することも難しい。
 そして今の場合は、しっかりと前者が当て嵌まっている。うさぎさんのレベルは八、これに十を足した十八となると、丁度初心者が中級者の仲間入りするあたり、らしい。
 チュートリアルやクエスト等のお陰で、二十も越えぬレベルで足踏みするプレイヤーなどはほとんど居ないという。
 木蔵氏も十八は越えていたようで、私たちと会ってから初めて、苦々しい表情を浮かべた。彼はやがて決闘を了承した。
「商人スキル、っていうか金銭関係のスキルが随分充実してるみたいだし、戦闘スキルはあんまり持ってないんでしょ。
 出し惜しみなしで……かかってきなよ、"弓兵"さん」
 場所はほとんど移すことなく、銭屋の前の通りでうさぎさんと木蔵氏は対峙する。
 うさぎさんの斜め後ろに立った私は、彼女がやや肩を強張らせていることに気づいた。どれだけシステムで保護されたとしても、一対一で争うなら、十のレベル差は致命的だろう。それでも、彼女がこうして強引な戦闘を始めようとしている理由が、なんとなく解ってしまった。
 本当に単純に、他の理由は一切なしに、"弓道"スキルをこの目で見たいのだ。それは私の胸にも、意識せぬうちに沸きあがっていた。



 ケイオスランドオンラインでは、情報がなかなか流出しない。
 普通はゲームの情報といえば、攻略本だったり、プレイヤーが編纂するWikiだったりする。スキルの有用性や対人戦のノウハウ、あるいはモンスターがドロップするアイテム等々、それらから得られる情報も確かに多い。だが、スキルの出現条件、そしてジョブの出現条件に関しては、一部を除いて殆ど載っていない。
 専用のクエストをクリアすることによって手に入るジョブもある。"浪人"または"商人"から派生する"薬売り"もその一つだ。だが、クエストのような解りやすい区切りがあるものを除き、発生の条件は殊更見つけにくい、そして気づきにくいものなのだ。
 あるレアジョブを手に入れたプレイヤーが、「あのNPCと会話した後にスキルが出現した」と証言したとする。問題はどの質問に何と答えたかだが、VRMMOでは会話ログなど残らない。質問への解答も、当然ながら選択肢が無いので、プレイヤーに全て左右される。
 スクリーンショットもない。カメラはあるが、それ自体が高級品だ。
 それらを解明しようという動きはゲームのサービス開始時からあるようだが、数年たった今でも極僅かしか解っていなかった。そして、条件が解明された数よりも新しく出現した数の方が多い。そういう状況にあるのだ。
「だから、『条件が解っているのに公表しようとしない』というのが一般的な、"弓道部ギルド"への評価、かな?
 もちろん公表の義務はないから悪い事じゃない。非難のほとんどは嫉妬交じりだよ」
 早々に刀を抜いてうさぎさんが構える。抜刀術スキルは解っている条件の一つにレベルがあり、レベル八の彼女はそれを満たしていない。
 対照的に木蔵氏はゆっくりと、アイテムウィンドウから弓を取り出した。
「うさぎさん、がんばってね」
「もちろん。でもちょっと厳しいかも」
 木蔵氏は開始前から弓に矢を番えるつもりはないようで、弓を下ろしたままこちらに視線を送ってきた。ただし、距離だけはしっかりと要求していて、目算だが十メートル近くとっていた。
 システム上、すでに決闘は始まっている。とはいえ、近くの誰かが改めて掛け声を放つのがセオリーだそうな。この場では私だろうか。
「よーい……」
 右手を高く掲げる。
「はじめ!」
 振り下ろす。



 うさぎさんがすぐさま、刀を振り上げ走り出す。両脚がしなやかに地を蹴り、あっと言う間に距離を半分以上詰めた。木蔵氏も開始直後から後退していたが、相手を視界に収めながら下がるのは難しい。距離は詰まる。
 逆刃に振り上げ、切っ先はぴたりと敵を狙い、猛進する。先端は木蔵氏を執拗に定め続け、織り込んだ腕はばねのよう。
 一瞬、本当に一瞬だった。
 確かに有ったはずの距離が、弓ゆえにと木蔵氏が取った距離が、なくなっていたのだ。
 十メートル弱の加速に載せて、彼女は刀を突き出し、叫んだ。
「――牙突!」
「がとつぅ!?」
 一直線に木蔵氏の腹に向かって刺し込まれた刀は、脇を大きく削って通り過ぎていく。木蔵氏も負けじと、すれ違いざまに矢を放ったようだが、高速ですれ違ったうさぎさんからは大きく逸れている。
 彼女の突進は中距離にも十分に手が届く技だろう。木蔵氏が顔を顰める。弓を撃つチャンスが無いのだ。彼としてはあと二十。三十メートルの距離が欲しいはずだ。十メートルでは刀の餌食になる。
 対してうさぎさんも、決して良いとは言えない表情だった。初撃をかする程度にかわされてしまったせいか。あるいは、私からは見えない木蔵氏のライフの減り具合が思わしくなかったのか。
 うさぎさんは、"剣術Lv.3"を持っている。これはレベルに応じて剣の取り回しが上手くなるということではなく、刀剣類を装備したときにステータスや、長じて攻撃力が上昇するスキルだ。
 剣の心得のあるプレイヤーなどそうは居ないし、うさぎさんも例に漏れない。だから戦闘になれば、詰め寄ってがむしゃらに刀を振り回すことになる。それ故の牙突。
 三発目の牙突が木蔵氏の肩を深く切りつけたとき、彼は足をもつれさせながら、先端の変わった矢を取り出した。
 マッチ棒に似ている。
「何! 何かスキル使うの!?」
 うさぎさんが声を弾ませて、刀を構える。同じ戦法で押し通すつもりらしい。
 木蔵氏はそれ答えず、地面に伏せた不恰好な体勢から、その特殊な矢を撃ち出した。
「燃えた!」
 パチッという軽快な音が鳴り、矢の先端に火がともる。炎は尾を引き、火力を増していく。
 先ほどまでの矢よりも、見るからに有効範囲が広い。
 うさぎさんはがむしゃらに刀を振り回して後退した。炎が空を飛び迫ってくる恐怖は、横で見ている私には解らない。
「すっごい! かっこいいなぁ!」
 彼女はそれを辛うじて避けきってみせた。後方に飛んでいった火矢は、家屋に燃え移ることなく消失する。
 声は今までに無いほど弾んでいて、私が二人のやり取りに肌を熱くしているように、彼女も昂ぶっているようだった。
「強そうだけど、全然当たんないね!」
「なっ、クソ! ちょっと調子が悪いだけだし!」
「調子悪くても一回ぐらい当ててみなよ!」
「だからッ――……」
 ふと、木蔵氏は直立した。いかにも隙だらけに見える。
 同じく好機と見たのだろう。うさぎさんが、火矢の残り火を掻き分けて突進する。
 木蔵氏は落ち着いた動作で両足を開き、弓に矢を番えた。緩慢だが、緻密で繊細な動作だ。
 うさぎさんが直前まで迫る。切っ先に神経を集中させている。もう少しで牙突が放たれるはず。
 木蔵氏は弓を構え、矢を引いた。
 うさぎさんの剣先が木蔵氏を貫こうとする。
 木蔵氏が矢を放った。
「あ……」
 矢が、吸い込まれるようにうさぎさんの胸に進み突き立った。激しく地を踏み鳴らして突進した彼女の、足音にすら掻き消されるような小さい音。だが、不思議と私の耳にまでよく響いた。
 そして衝撃がくる。
 完全に木蔵氏を捕らえていたはずのうさぎさんの刃は、大きく弾き飛ばされ、同様に彼女自身も数歩分だけ吹き飛んでいた。
 木蔵氏は佇んでいる。私はふと、その姿を見て閃くものがあった。
 たぶんこれが、"残心"だ。
「すごい、綺麗……」
 硬直時間があるのか、うさぎさんは吹き飛んだ場所から動けていない。その間に木蔵氏は、無言で次の矢を取り出す。
 その後は一方的だった。



フロムヘル 06
ロールプレイ


「『悪質なキャッチ』の……ロールプレイ?」
「そ、ロールプレイ」
「なるほどね、ロールプレイかぁ」
 どういうわけか二人は意気投合したらしく、私たちは木蔵氏に連れられて茶屋で足を休めていた。
 そこで、先ほどの強引な誘いの顛末について説明を受けている。
「ロールプレイというと、何なのでしょう?」
「役割を演じるというか……。ちょっとした特徴付けというか。
 一般的にジョブはどうやって出てくるか知ってる?」
 木蔵氏に質問してみたところ、逆に返されてしまった。
 まだまだ知識が足りないので、こういった質問には戸惑う。
「スキルの習熟具合によって左右されるとか。特徴が反映されるとも……聞きました」
「そそ。"取引"スキルだけを延々と鍛えれば"商人"ジョブが手に入るし、"薬取り扱い"スキルだけを延々と鍛えれば"薬師"ジョブが手に入る。
 でも、両方鍛えれば"薬売り"のジョブが手に入る。
 こんな風に、要素がいくつも絡み合うんだ。条件は殆どわかってないに近い」
 私が頷くのを確認して、木蔵氏は続ける。
「それでさ、要素が、所持スキルだけじゃなく、ゲーム内での行動や性格設定もジョブに影響を与えるんじゃないか、っていう噂があってさ」
「それは俺も聞いた事ある」
 うさぎさんが同意した。なるほど、確かにそれならば納得がいく。
「だから『悪役』を演じているんですか?」
「そそ」
 私とうさぎさんは、大げさに肩の力を抜いて感心した。理に適っていて、解りやすい理由だった。
「なるほどなぁ。もしかしてそれが"弓道"スキルの条件?」
「ん? いや、これは関係ないよ」
 軽い調子で尋ねたうさぎさんに、木蔵氏はあっさりと答えた。
「ふぅーん……え? あ、マジで?」
「マジマジ」
「そんな簡単に言っていいの? 弓道部ギルドって情報管制しいてるんじゃないの」
「ん? いや、俺はギルド員じゃないからなぁ」
「あ……そうなのか。じゃあ条件は地力で?」
 確かにそれも、ない訳ではなかった。弓道部ギルドが大きすぎたせいで、霞んでいたのかもしれない。
「つっても、俺も弓道部が秘匿する理由もわかるんだけど。うーんとさ。
 さっきの"射"、みたでしょ? そこそこサマになってたと思うんだけど……」
「ええ、格好良かったわ」
 私が相槌を打つ。うさぎさんはにやにやと腕を組んだままだ。
「あれってスキルが補正してくれるわけじゃなくて、単純に俺の技量というか……なんというか……。
 中学と高校で六年間、弓道部だったんだよ。それで、スキルがなくても弓は射れるんだ」
 弓道部というのは、ギルドのことではなくリアルの部活のことらしい。
「へぇ。あれは痛かったよ」
「はは、人に向けるもんじゃないからなぁ。
 で、弓アイテムが手に入ったときさ、装備してもスキルは出ないし、でも普通に射るぶんにはいいだろって思って。
 矢を番えてその辺のモンスターを攻撃したら、突然こう、スキルが……」
 うさぎさんが閉口した。私もそうだ。随分と嫌らしい条件のように思える。
「それは……その条件は公表しても、弓道部ギルドが余計な妬みを買うだけだね」
「私もそう思うわ」
「まぁ、そんなとこ。お姉さん――ああ、リカさんが美人だから教えるけど、秘密ね」
 木蔵氏が最後にそう茶化すので、私たちは笑った。



 茶屋の主人に、商人系スキルの幾つかを持った木蔵氏が話しかけると、NPCが店で使っている道具を数点売ってくれるという話が瞬く間に纏まった。
 値段も驚くほど低く、ここに至るまでの経緯と比べると、当初の目的である茶道具は本当に簡単に手に入ってしまった。私は何度も木蔵氏にお礼を言った。
 その後私たちは当初の狩場に戻って一通り流し、また休憩の時間を持っていた。
 赤い敷物を敷いて、私はゆっくりとお茶を立てる。
「ねぇ、さっきのさ」
「どうかしたの?」
 お湯などは自然と湧き上がってくるので、ほとんど屋内と変わらない。アイテムスロットに仕舞うのだから、持ち運ぶためにと大きさに気を使う必要もない。
「ロールプレイって聞いてどう思った?」
「どんなって、どういうこと?」
「うーん、アリかってこと」
 うさぎさんは不思議なことを聞く。
「勿論。だって、うさぎさんも男性のロールプレイをしているじゃない」
「……へへ、そうなんだよねー」
 彼女の笑い顔を見るのは楽しい。
「そうそう。そうね、私もやってみようかな」
「お、いいね。どんな風に?」
「それは思いつかないのだけれど……」
 手は止めず、悩んでみせる。対面に座っていたうさぎさんが身を乗り出した。
「そうだね、自分じゃない、身近な人の真似とか、そういうの。面白いよ。
 あれこれ設定を決めてやるのもいいけれど。ちょっと難しいかもね?」
「そう?」
 私は気のない素振りで言った。
「大丈夫よ。演技ならプロだから」
「ん?」
「いいえ、何でもないの」
 首を傾げる彼女に微笑んで、そっと碗を差し出す。
 身近な人、という言葉を聞いて私は、先日逝ってしまったばかりの父と母を思い出していた。二人の演技をするのだ。
 ゲームというファクターを通して、このリカというキャラクターの内側に父と母を存在させること。やや退廃的で、不思議な魅力を感じた。
 本当にプロなのだ。女優で、演技を仕事にしてきた。このケイオスランドオンラインで、私を主役にドラマを演じてみようかと、そう思った。
 もう死んでしまった二人を、父と母を、私の胸の中に生きる二人を、リカというキャラクターと共に。
 誰が撮るわけでもないし、粗筋もないが。ドラマのタイトルを思いついた。天国から軽く現世に顔を出した、そんな意味にしよう。
「フロムヘヴン……がいいな」
「お、なに?」
 つい口にしてしまったのか。
「えと、ええと、ごめんなさい。気にしないで」
「もしかしてコンビ名? フロムヘヴンって、かっこいいじゃん。それにしようよ」
「コンビ名?」
「うん。ゲーム、一緒にやろう」
 うさぎさんが真っ直ぐにこちらを見つめてくる。私は気恥ずかしくなって、視線を下げた。なんとなく、そのまま首を縦に振ってしまった。
「よし、じゃあこれは祝杯ね! いただきます」
 僅かに音を立て、彼女は私の立てた茶を飲み干す。
「プレイの方針はこれから決めよう! さっきの木蔵くんみたいにヒール(悪役)をやるのも俺は全然構わないし。
 てか凄かったよね、"弓道"スキル。真正面から戦って思ったけど、あれは反則というか……なんというか……」
「だけれど、リアルで習っている人しか出来ないっていう条件は、厳しいね」
「そうなんだよねー。持ってる人数が少ないのも納得。
 ていうかその条件なら、"柔道"とかもあんのかな。スキル」
 ことり、とうさぎさんが茶碗を置きながら言った。私は苦笑する。
「あるのかも。どっちにしろ、縁はないけれど」
「そうなんだよねぇ。ちょっと悔しいな。……はい! 結構なお手前でした」
 唇を尖らせ、彼女はおどけて言った。二人でくすくすと笑う。
 私はそれに合いの手を入れようとして、ふと、視界の右下で、『スキル』の赤い文字が点滅していることに気づく。
「あら? ちょっと待ってね、何か……」
 スキルウィンドウを開く。
 私はそこに表れた、"茶道Lv.1"の文字に驚き、思わず碗を取り落とした。
 レアスキルだった。