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01
 部屋の中央、床に捨てるように置かれたアロマキャンドルの火が、この部屋の中の唯一の明かりで、一晩中ラピスは、集中しないと感じ取れないようなローズの香りに包まれながら虚空を眺めている。目を凝らせば空気中の塵の動きが観察できるようで、不思議だ。
 星を見て星座を思う訳ではないが、その塵の模様がなんだか人の顔に見える。

 朝を告げる小鳥の鳴き声が聞こえる場所に、一度住んでみたいとは思う。

 最近来るのが早くなってしまった朝を告げる、カーテンの隙間から差し込んだ光に目を覆う。なんとなく喉に渇きを覚えて、ラピスはベッド脇のペットボトルから紅茶を一口飲んだ。朝が来るのが早くなったわけではなく、膝を抱えてじっと夜中を過ごすことに慣れたのだったが、彼女はその点については、少し夜を過ごすのが楽になったなという程度にしか捕らえていなかった。きゅっとペットボトルのキャップを締めると、カーテンを寄せて隙間から差し込む光を遮断する。無感動な表情の中に少しだけ柔らかい感情を忍ばせて、布団の中に潜り込んだ。直ぐに睡魔が襲う。
 艦を降りてから五年、ラピスが暗闇の中で眠れなくなってから三年が経っている。
「おはよう、アキト」
『ああ。おはよう。』
「おやすみなさい」
『ああ。おやすみ。ラピス、良い夢を。』
 朝日を浴びて直ぐにつく眠りというのは、どこか二度寝のような心地好さがある。ラピスはアキトに向かってにっこりと微笑んで、冷えた布団を手繰り寄せた。

***

夜は静かで過ごしやすいので、私は昼間にイヤホンをつけて眠る。



***

02
 ラピスは夕方に目を覚ます。オレンジ色の光が部屋全体を明るくしている中で布団から這い出る。ふらふらとした足取りで洗面所に行く。窓の外、日の明るさと相談しながら照明を灯したり灯さなかったりして顔を洗う。今日は少し長く寝すぎたようだ。そして口の中を何度か濯いで、声を出す。あいうえお。
 居間のチェアーにかけてあった薄手のカーディガンを羽織り、玄関先にネルガル職員が置いていったブロックの栄養剤を二本持ってくる。今日のブロックはストロベリー。ラピスの好きな味だ。けれども残念なことに、アキトはストロベリー味はあまり好きではない。ラピスは紙パックの紅茶を取り忘れて、玄関まで戻った。
 ぺたぺたと足音が響く。
 そろそろパジャマが皺になってきたので、洗濯して新しいパジャマを着よう。ラピスのお気に入りは大きく猫の絵がプリントしてあるものだが、今日の夕食/朝食がストロベリーなので、苺柄のものにでもしてみようか。それは少し前にエリナがくれたものだ。
 ラピスはたった今羽織ったばかりのカーディガンを脱いだ。

***

03
 通常スペックの家庭用コンピューターのスイッチを入れる。新着メールが3通あります。そういえば最近はパソコンの電源を入れてなかった。変化の乏しい平坦な画面の上で、ピコピコと葉書の絵が描かれたGIFが光る。ラピスはカーソルを合わせた。クリック。
 二通のダイレクトメールを削除する。残りの一通はネルガルから。ネルガルからメールを貰うのは随分と久しぶりのことで、ラピスは少々不思議に思いながらそのメールを開いた。

 Subject:【Emergency】About the Black Box.

***

エマージェンシーとは何事だ。


***




The epitaph/chapter,01

[please think and tell me will-being of my future]




***

04
 ラピスがメールを開く半日前のことだ。
「会長、申し訳ありません」
 普段よりも心なしか弱弱しいノックの後、何枚かの書類を提げてやってきたプロスペクターがそう言った。真っ青だ。
「どうしたんだい? 君らしくもない。ここ最近で、わざわざ君が頭を下げに来るような失態が起きるような事件はないはずだけど」
 なにか、上手く行き過ぎたようなプロジェクトが一つか二つあったような覚えもないよ。長い髪を後ろで一本に纏めたアカツキは、それはそれでなんだか嫌になるけれど、と洩らしてプロスペクターの方をちらりと見やった。つまらないジョークだが普段の超然としている彼が帰ってくる小道具になりはしないか、と。
 しかし次に聞こえてきた言葉に、アカツキも同じく真っ青になった。
「昨晩深夜、例の”箱”が突然保管場所からなくなりました。今朝から部下を使って探させていますが、恐らくはもう……」
 その後やってきたエリナは、同じ報告を聞いて卒倒した。
 アカツキは急ぎで、ラピスにメールを出した。その箱は、何が何でもネルガルの元で管理しなければならないものだ。

***

05
 突然アカツキ・ナガレから送られてきた仕事の依頼を読み終わって顔を上げたとき、部屋中にチャイムの音が響いた。どうやら迎えのようだ。ラピスはその場で着替えたばかりの苺柄のパジャマを脱ぎ捨てると、近くに畳んで置いてあったチェック柄のワンピースに腕を通した。モダンレッドの大人な服だ。イネスが買ってくれた。
 ばさばさする前髪をくちばし型のヘアクリップで留めて、ラピスはぺたぺたと玄関へ向かう。ああ、ソックスを忘れている。そろそろ迎えも痺れを切らすだろう。
「行ってきます、アキト」
『ああ。行ってらっしゃい。』
 外に停めてある青磁色のベントレーに乗り込む。こういう車は、あんまり好きじゃない。外の景色が流れるのが早い。

***


少女ラピスは家の外へ出る。
 空がとても澄んだ色をしていた。
少女ラピスは丘を駆け上がる。
 風たちが何人も彼女とすれ違った。
少女ラピスは丘の頂上で魅力的な男性と出会う。
 彼はビスケットを三枚持っていた。
少女ラピスは男性に向かって手をふる。
 笑顔で答えた彼の首をラピスは掴み締め付けナイフで鼻を削ぎ頬を削ぎ目を抉り喉を裂いて髪をまとめて乱雑に引き抜き腹にナイフを突き立てる。
少女ラピスは丘を下る。
 彼女はビスケットを三枚ポケットに入れた。


***

06
 ネルガル本社に詰めて今日で五日になる。目に隈ができた。もう少しで消えた箱の手がかりが、何か掴めそうな気がする。あくまで気がするだけだが。ただ、なくなったその箱がぷっつりと消えてから、微かな痕跡が少しずつ浮き上がってくるとすればそろそろだろうと思っているだけだ。ラピスとユーチャリス時代から組んでいるAIにかかれば、この世にある情報は全て集められると誰かが豪語するかもしれないが、情報が浮き出てくるまでにはほんの少し時間がかかる。ラピスはそれを無理に発掘するのは得意ではない。今まで長く同じ場所に隠れている者たちや、移動の痕跡が追える者たち相手にしか探ってこなかったせいかもしれない。
 やきもきしながらも、のんびりと待っている。

***

 ネルガル職員に持ってこさせたローズのキャンドルに火を灯す。
 どうも意味がない。
 口を窄めて、フッと火を消した。火が消えたとき特有の、少しだけキツめの匂いが香る。

***

07
 ラピスはふと、ぼんやりと天井を見つめていた目を画面に戻した。
 何か見つかったようだ。

***


chapter,01 end
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01
>>床に捨てるように置かれたアロマキャンドル
 部屋に備え付けられた電灯は全体を無感動に照らします。ラピスの生活する世界全体のおよそ八割を占める狭い部屋の中にはやはり、彼女が毎日と目にしたくもないものも存在します。明かりが強すぎては、それらがふとした拍子に目に入ってしまうのです。
 高い場所にあるキャンドルは、望んでも居ない薄気味の悪い雰囲気を醸し出します。白くて細いキャンドルならより一層。色のついた可愛らしいキャンドルで、低い位置からぼんやりと照らすのが良いのです。捨て置かれたようにとあるのは、床には他に物がないためです。ポツンと一つだけ部屋の中央にあっては、世界の中で一人、どこか取り残された印象を与えます。ラピスはそれが気に入っているのです。

>>朝を告げる小鳥の鳴き声が聞こえる場所に、一度住んでみたいとは思う
 ラピスは夜中暗い間にぐっすりと眠って、小鳥の鳴き声と共にすがすがしい朝を迎える生活をしてみたいと思っています。そしてそれが世間一般から見て望ましいものであることも理解しています。しかし、今の生活も気に入っているのです。








***
01.5
>>私は昼間にイヤホンをつけて眠る
 日中は騒々しく下品な音があふれているので、快適な生活のためには、ラピスのお気に入りの楽曲でそれらを塗りつぶす必要があります。

***

02
>>オレンジ色の光が部屋全体を明るくしている
 人体は朝日を浴びて活性化すると言われていますが、ラピスはそれならば夕日を浴びても身体を活性化させることができるのではないかと考えました。そういう問題ではないのでしょうが、気の持ちようでどうにかなっているようです。

>>そろそろパジャマが皺になってきたので
 パジャマは三日も着続ければ、たちまちくたくたになってしまいます。快適な睡眠を得続けるためには、できるだけ短いサイクルでパジャマを交換する必要があります。





***

03
>>通常スペックの家庭用コンピューター
 効率を重視して機械のように無駄を切捨て必要なものだけを突き詰めていった場合、依存症等の望ましくない症状が見られることがあります。あまり広くない回線を使ってネットサーフィンをしながら、読み込みのちょっとした時間に指でデスクを叩いてリズムをとったり、鼻歌を歌うことも大切であるとラピスは考えます。




***
03.5
>>エマージェンシーとは何事だ
 ラピスは酷く憤慨しています。

***



plus

私の未来が幸せであるよう、どうか気遣ってちょうだい。





***

04
>>上手く行き過ぎたようなプロジェクトが一つか二つあったような覚えもない
 アカツキのいう上手く行き過ぎたとは、ライバル企業の手のひらに乗せられ、一時の夢を見せられている状態のことを比喩しています。企業家になるために最も必要なのは、やはりコツコツと小さなものを積み上げていく堅実さではないでしょうか。

***

05
>>モダンレッドの大人な服
 年頃の少女であるラピスにとって、落ち着いた色合いの服は大人な女性の象徴です。年相応に明るい色合いの装飾過剰な服を買いに行く行きつけの店には、置いていないものでもあります。

>>くちばし型のヘアクリップ
 何度はらっても目の前に垂れてくる髪をうざったらしいと思い、突発的にはさみでばさりと切ってしまわないためには、このような髪留めは必要不可欠なものです。これから訪ねるネルガルには、着飾ったラピスを見せたい人物は居ないので、ラピスは無造作に髪をそのクリップで留めて行くのです。モダンレッドの服を選んだのは、イネスへのサービスでしょうか。彼女がその服を着たラピスに会って気を良くしたら、また新しい服を買ってもらえるかもしれません。

***

06
>>やきもきしながらも、のんびりと待っている
 気持ちは随分と急いていますが、あくまでコンピューターに向かう際は余裕を持って行動します。大事なことはまだ始まっていないので、疲れを持たずにスタートを迎える必要があります。

***

06.5
>>ローズのキャンドル
 ローズの香りには、眠れないとき、切ないとき、寂しいとき、情緒不安定なとき、幸せになりたいときに効果があると言われています。ですが、効果を得ようと意気込んで火をつけても、ほとんど効果が得られません。軽く部屋の空気を替える気持ちで火をつけて、気づけば状態が良くなっているという使い方が望ましいでしょう。





08
 すっかり頭が白髪に染まったミスマルコウイチロウが所属不明の黒い機動兵器の噂を聞かなくなってから五年。彼は自分よりも先に死んでしまった愛娘の、遺体のない墓の前に立っていた。新しい墓石も随分と風景に馴染んでしまっている。ああ、私の愛しい子よ。
 コウイチロウはおもむろに、誰とも知れぬ誰かが挿していった菊の花を除ける。彼女のために撫し子の花を二輪添えた。

***

09
「こんにちは、お義父様」
 シルエットジーンズに白のカットソー。随分と気安い格好でミスマル本宅を訪ねたルリは、家に入ってすぐにどこからか聞こえるクラシックに気がついた。どこから? 静かに、淡々と流れるプロコフィエフのピアノ曲。なんという名前だったか。一分少々の、駆け足の伴奏に乗りつつもゆっくりと流れるメロディ。明るいキーで始まったかと思えば、一分少々の曲の中で中盤のほとんどを悲しい音色に費やし、最期に一瞬だけ高い音を出して消える曲。ああ、なんという名前だったか。
「ルリ君。久しぶりだね」
「あの……。この音楽は一体どこから?」
 ああ、とコウイチロウは笑った。最近見慣れてしまった、苦労の滲み出た笑い方だ。
「ユリカの部屋からだよ」
 そういえば、その辺りから聞こえてきているような気がする。ユリカさんの部屋だったか。
「こういうことは、頻繁に?」
 今まで耳にしたことはなかったのですが。
「ああ、いや。たまにだ。本当に、たまに」
 お互いに口を閉じる。少しだけその音色に耳を傾ける。ああ、良い曲だ。一分と少しの静寂を待って、ルリは口を開いた。
「それで、今日私を呼んだ理由は一体どのような?」
「ああ。そのことなんだが……」

「ルリ君は、”黒い箱”という物を知っているかね?」
 初耳だ。

***

無理はない。
それはネルガルのとっておきなのだ。

***




The epitaph/chapter,02

[rigid/tender father and sunny/quiet daughter]




***

10
 軍の多くの者たちの言葉はこうだ。A級ジャンパーテンカワアキトは実は生きていて、ネルガルがそれを懐の奥深くに隠している。
 コウイチロウはそれをまるで信じていなかった。大々的に宣伝され、頻繁にメディアに顔を出すネルガルのA級ジャンパー、イネスフレサンジュは常に沢山の護衛を引き連れている。コウイチロウ個人としてはこのような言い方は嫌いだが、言ってしまえばコックのアキトよりも科学者のイネスの方が格段と大事なはずである。イネスの美貌は確かに宣伝にはうってつけかもしれないが、テロ等で彼女を失う可能性を考えればまるで小さな事だ。コウイチロウならば、アキトを広告塔にして、イネスを秘匿するだろう。
 それにコウイチロウは、アキトがもし生きているならば一度自分のところか、ユリカの墓に挨拶に来るはずだと思ったのだ。

***

来た。

***

11
 ラピスはふらっと、自分の体をすっぽり覆ってしまうほどのワークチェアーから立ち上がった。どうやらルリが、その箱の情報を集めだしたようだ。ラピスはそのまま絨毯の上に横になった。疲れた。
 ルリの突然の行動はオモイカネが教えてくれた。ハッキングしてきた相手に積極的に情報を流しつつ、ハッカーの存在をこうしてネルガル本部内に居るラピスに教えてきている。なんともまぁ、うらやましく育ったものだとラピスは思った。
 さて、どうしようか。

***

一人っきりで何をしようか。
一人っきりで暇を持て余して。
二人っきりになると何か変わるだろうか。
いいや、何も変わらないよ。
誰かが言った。

***

12
 ルリが黒い箱を持ち出した男の居場所を調べだしたことを、ラピスはオモイカネ経由で知った。ラピスは疲労が溜まってきたので、まだ手がかりは何も掴めていないが一度家に帰ると言ってネルガル本社を出た。

***

 私と、ルリと、イネスと、エリナとアカツキとプロスペクターと、ミスマルコウイチロウと、火星の後継者の後継者がその黒い箱を探している。
火星の後継者の後継者は、それを使って人を沢山殺したい。
ミスマルコウイチロウは、それを静かに燃やしてしまいたい。
エリナとアカツキとプロスペクターは、それを使って大儲けしたい。
イネスは、それを詳しく調べて元の形に直したい。
ルリは、それを手元に置いておきたい。

私は、それを毎晩抱いて寝たい。

***

13
 そしてラピスは家に帰って、カツラと伊達眼鏡、それに丸々一着分の着替えを持って買い物に出かけようとしてその行動に意味がないことを知った。ニュースが流れている。
『電子の妖精、美少女艦長ホシノルリさんがある一つの”箱”に3000万円の懸賞金をかけました。3000万円という大金とともに、ホシノさんは我々に一枚の写真を提示なされ……』
 もしかしてルリは、箱の中身のことまでは知らないのか。
 バカ。バカ、バカ、バカ。バカ!

***

箱は今どこにある?

***

14
「ああ、そう、そうだ。目処がついた。だから、だから早く用意してくれ。……ああ? いや、大丈夫。証拠なんて残らないだろ。これはその点に関しては最高だ。ネルガルのお墨付きだしな」
 男は右手で持ったタバコを揺らして、全ての照明を切ったこのホテルの一室をゆらゆらと照らす。ぼうっとした光にいくつかの物が浮き上がる。蛍が飛んでいるようだ。トントン、と革靴を履いたままの爪先で床を叩いた。
「ん、お、何とかなる? ああ、ああ。それだけあれば十分だ。さすが! かなり好きなようにできそうだ。今からワクワクする」
 ほとんど吸っていないタバコの明かりを頼りに灰皿を探し、ずんと煙を潰す。
「そうだ。そう、そう……。あいつら、あいつらを全員まとめて、こうだ!」
 男はシングルのベッドに思いっきり倒れこんだ。
 どすん、という音がした。

***


chapter,02 end
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plus
厳しい父親と朗らかな女性と、優しい青年と物静かな少女のこと。

***

08
>>撫し子の花
 ナデシコの花の撫でしという言葉には、我が子を可愛がるときに頭を撫でるような、そんな意味があります。その愛は恋愛のそれとはまた違ったものであり、どんなときも、普段から常に愛しているという意味も持っています。

***

09
>>プロコフィエフのピアノ曲
 イメージはプロコフィエフの「おとぎ話(Fairy Tale)」。楽しい時間は早く駆け、辛い時間が長く続く。メジャーコード(楽しい音)を最初に連ね、マイナーコード(悲しい音)で中盤を繋いでまたメジャーコードに戻ったかと思えば、一瞬だけ高い音を出して眠るように終わってしまう曲です。コウイチロウはその曲に、何かを連想したのかもしれません。

>>ユリカの部屋からだよ
 子を亡くした親が、寂しさを紛らわすために誰も居ないその子の部屋で音楽をかけるのです。次第にその部屋に誰か、具体的には故人ユリカ嬢が存在しているように思えてきます。
 顔を見ることも声を聞くことも適いませんが、その「おとぎ話」が家中にこっそり聞こえている間だけ、ミスマル宅にはテンカワユリカが帰ってきます。きっと夫のアキトと一緒にクラシックを聴きながら、明日の屋台のメニューについて話し合っていることでしょう。理解ある父親はそれを邪魔してはいけません。決して声をかけたり、ドアを開いたりしてはいけないのです。

***

11
>>ラピスはそのまま絨毯の上に横になった
 ラピスはルリと張り合うことをしません。自身の能力がルリに負けていないという自負を持ちつつも、決して一方的に勝っているものでもないという事を理解しているためです。ルリが必死になれば、きっとラピスも必死になるでしょう。それは格好が良くありません。
 ラピスにはルリよりも、テンカワアキトを巡る点に置いて優位に立っているという自信があるため、ルリ相手に必死になってはいけないのです。それではまるで自分が、好きな相手に振り向いてもらえない小娘のようではありませんか。

>>うらやましく育ったものだ
 企業によって生かされている身でありながら、企業に縛られることなく自分たちと付き合えるオモイカネが羨ましいのです。オモイカネのように生きることができたなら、ネルガルに詰めて七日目になるラピスラズリはきっと、当の昔に家に帰ってアキトに好きだよと言っていたことでしょう。

***

11.5
>>誰かが言った
 それは彼女自身の言葉なのです。

***

12
>>ラピスは疲労が溜まってきたので、まだ手がかりは何も掴めていないが一度家に帰ると言ってネルガル本社を出た。
 ラピスは事態が動き出したときのために七日間、あまり体力を消費しないよう行動してきました。人形ラピスラズリを上手く使っているネルガルに、掴んだ情報をそのまま流してしまっては分け前がもらえない可能性があります。

***

12.5
>>私は、それを毎晩抱いて寝たい。
 ラピスは夜中に眠ることができません。朝日が出る頃になってやっと、彼女の愛しいアキトにおやすみを言って眠るのです。

***

13
>>カツラと伊達眼鏡、それに丸々一着分の着替え
 着せ替え人形は当然ですが、人の手で服を替えてやらなければ格好は変わりません。誰かが全く別の服を着せた人形のことを、その人形の持ち主たちは初見で自分たちの物だと見抜くことはできないでしょう。





15
 見つかったのは20代の男。軍人でも火星の後継者でもネルガル職員でもない男で、崎野という。前科持ちだったためか、個人情報は比較的多く手に入った。彼がその黒い箱を持っているらしい。
ここ数日酷く挙動不審で、監督官が警戒を強めているらしかった。一日一回、早足でコンビニへ食事を買いに行き、それ以外の時間はずっとホテルに篭っている。
 ネルガル本社の社長室が、良く見えるホテルに篭っている。

***




The epitaph/chapter,03

[her dearest black box I feel terror is two]




***

 虹色の光に連れられて、男がやってくる。
 こそりこそりと、忍び足でやってくる。
 誰も知らないその男は、大きな鞄を持っている。
 大きな大きな鞄は、一秒ごとに空気を震わす。

 かち、かち、かち。

 鞄を手放した男は、ゆっくりとあとずさる。
 こそりこそりと、忍び足であとずさる。

 かち、かち、かち。

 虹色の光に連れられて、男は去っていく。

 かち、かち、かち。


 どすん。

***

16
 崎野は知らぬ顔でホテルを後にして、自宅に戻った。
 そして音を立てて自宅のドアを閉めると、大声で笑った。

***

 部屋の真ん中に堂々と置かれたラジオが、
 ディスコードの恋歌を歌った。
 無名のDJの番組を流した。
 下らない三流企業の宣伝をした。
 そして一時間ほど無言を保ってから、
 「私は見ていた」と言った。

***

17
 ラピスは慣れない電車に乗ったせいかついてしまったマーメイドスカートの皺を気にしながら、警察にハッキングして調べた家の前に来ていた。ルリももう何時間もしないうちにやってくるだろうから、できるだけ早く済ませてしまわなければならない。両手で持ったジュラルミンケースが重たい。
 日ごろから乱雑に扱われているのだろうか、ところどころに傷が見られる玄関。色だけは落ち着いた色の深いこげ茶。ラピスはチャイムを鳴らす。
「こんにちは、はじめまして。ラピスラズリと申します。こちらは崎野さんのお宅でしょうか? 今日は崎野さんにお話があって参りました」
 一息に捲し立てる。あるだけのお金を用意してきた。なんとしてでもその黒い箱を譲ってもらわなくては。
 少しの沈黙の後に、どうぞという呟きが聞こえた。ラピスは少しばかりの躊躇いの後にドアノブに手をかける。指に力を込めたそのときに、突然後ろから声がかかった。
「ラピス……さん?」
 ラピスは小さく舌打ちした。ルリだ。

***

18
 黒い箱は、二人が通された居間のテーブルの中央に鎮座していた。
「初めまして、ラピスラズリです。先ず、突然の訪問に快く……」
 崎野は、ラピスが必死に覚えてきた前口上を、手を振って止めさせると、ばさりと言った。
「これは俺が死ぬまで俺のものだ」
 恍惚とした表情を浮かべて彼はその箱の蓋に手をかける。虹色の光が零れて、陰湿な空気のまとわりつくこの部屋を照らす。
二人は図らずも、同時に息を呑んだ。

***

 閉じた目蓋を開けてやれば、白い瞳。
 塞いだ耳元で囁いてやれば、緑の面。
 結んだ唇を啄ばんでやれば、死の薫。

***

19
「この箱にはA級ジャンパーの脳が入っている。素晴らしいだろう。翻訳機に繋がっているんだ!」
 なんとなく予測がついていた彼女と、ひたすらに信じたくなかった彼女の顔が同時にでたルリの脇を駆け抜け、ラピスは地に転がった黒い箱をさらって胸に抱いた。知っていたが故のとっさの判断だ。崎野はいくらお金を積んでもこれを手放さないだろう。ラピスは他に交渉の仕方を知らない。
その場で座りこんで、何かを思い泣きながら箱の蓋に手をかけた瞬間。
 崎野に腹を蹴られて、衝撃のためかその首を手放してしまった。
「これは、俺の――
 笑みを浮かべた崎野が、棺を拾い上げて言いかける。突然の不自然な虹色に彼は声を止めて。
 消えてなくなった。

***

箱は取り上げられた。
OTIKA OTIKA OTIKA OTIKA

***

20
 呆然と座り込むルリと、ぼんやりとそれを見やるラピス。
 ラピスはまるで幻でも見たかのような後味の悪さを覚えた。ルリはたった今目の前で起こった出来事は幻だと思った。
「……」
 家に、帰ろう。アキトのおかえりの声が聞きたい。

***

随分と綺麗ごとを言うと言われた。
 耳元で散々言ってやった。
甲高い声で頭が悪いなと言われた。
 私よりお前の方が愚鈍だと言ってやった。
人殺しと言われた。
 なるほど確かにそうだと言った。

***


 首は帰ってこなかった。


***

21
「アキト、アキト、ただいま」
 ラピスは部屋のドアを開けて靴を脱ぐ。
『ああ。おかえり、ラピス』
 ラピスは部屋の蛍光灯をつける。普段は押さないスイッチにたくさんの埃が溜まっている。
「アキト、アキト、アキト。私のアキト」
 ラピスは部屋の隅に行く。普段は行かないスペースにたくさんの埃が溜まっている。
『ああ。ラピス』

 部屋の隅には普段は見えない、真っ黒に塗られたコンピュータが一台ある。
「アキト、愛してる。私だけのアキト」
 ラピスはそのコンピュータをきつく抱きしめる。

『ああ。ラピス、俺も愛しているよ。』

 ラピスは眠りについた。

***


chapter,03 end
go to 21 plus




plus
私が畏怖した、彼女の愛しい二つの黒い箱。

***

16
>>崎野は知らぬ顔でホテルを後にして
 崎野の泊まっていたホテルの直ぐ近くで爆弾テロがあったようですが、犯人はボース粒子以外の痕跡を残さなかったので捜査が難航しています。

***

16.5
>>堂々と置かれたラジオ
 ラジオの向こう側の人の顔を知ることは、どんな人物にだって出来ないのです。
 ラジオは声高々に犯人を指差します。

***

17
>>マーメイドスカート
 世の男性はふとももに銃を隠し持つ女性の存在を概念として知っています。ですが、マーメイドスカートは足首まである長いスカートなので、そんな心配も要りません。
 ただし書きをするならば、身長のとても低い女性の場合、ぎゅっと屈むだけで簡単にふとももまでスカートをめくることが出来ることを忘れてはいけません。

***

19.5
>>箱は取り上げられた
 世界という小さな遊戯盤の脇に青い長髪を垂らして、彼女はひょいとそれを摘み上げました。一緒についてきた不純物は、ぽいとその辺りに投げ捨てました。

***




***

21 plus [A.I. AKITO]

 ラピス一人のための小さな部屋の隅を占領する黒塗りのコンピュータには、彼女が一から作り上げた人工知能AKITOが住んでいます。
 毎日の仲睦まじい二人の生活の中で彼が発する言葉は七つ。

『ラピス』
『ああ』
『おはよう、良い朝だな』
『おやすみ、良い夢を』
『行ってらっしゃい』
『おかえり』

『俺も愛しているよ』



 二人は、とてもとても幸せに暮らしました。



***

end